奈良時代に聖武天皇が建立した国分寺の一つ。千葉県にはこの他に、上総国分寺と下総国分寺が存在している。安房国は、「国分寺建立の詔」が出された頃には上総国に合併されていたのだそう。のちに安房国が設置された際、安房国分寺が建立された、との記録が残っている。 参拝日:2021年2月21日
安房国分寺とは?
- 聖武天皇の詔(741年/天平13年)によって日本各地に建立された国分寺の一つ
- 安房国国分僧寺の後継寺院とされている
- 発掘調査で出土した遺物から、奈良時代後半に創建されたと推定されている
- 安房国の歴史が関係し、他の国分寺建立からは少し遅れた時期の創建
- 安房国の歴史
- 718年(養老2年)、安房国設置
- 741年(天平13年)に上総国へ合併される
- 757年(天平宝字元年)には分立して再び安房国となる
- 安房国分寺建立については複数の説がある
- 既に建立されていた「定額寺」が安房国分に割り振られたとする説
- 727年(神亀4年)、役人の書記官が「行基」作の薬師仏を本尊に堂宇建立した説
正式名称
日色山 安房国分寺
創建・開基
奈良時代後半(推定)・聖武天皇の詔より国分寺が建立された
宗派
真言宗 智山派
御本尊
薬師如来
御朱印
御朱印所
こちらで御朱印を頂けた。
おそらく住職のご自宅であろう建物のインターホンを押して呼ぶタイプだったので、めちゃくちゃ緊張した。
マナーとしては、お昼時は外すことをお勧めする。
みどころ
安房国分寺 駐車場と入口
数台停められる駐車場があるので、車で来ることも全く問題ない。
孝子伴直家主之里の石碑
駐車場脇に建っている石碑には、「孝子伴直家主之里」と彫られている。
と言う話があったので、明治45年に村長らによってこの地に碑が建てられたのだそうだ。
一生税金免除とは、なんともうらやましい話である。
三名主石碑
三義民200回忌の祈念として1910年に有志にて建てられた。
安房国分寺 千葉県指定史跡 安房国分寺跡の標柱
お寺の入り口では「国分寺」と刻まれた、石柱や立派な扁額が掲出されている門が出迎えてくれる。
左に見切れているのは「三義民」の供養塔。完全にスルーしてしまった自分が悔しい。
安房国分寺 寺号標柱
だいぶ見づらいが、「日色山 國分寺」の山号と寺号が刻まれている。
一等水準点
寺号標柱の裏には水準点があった。
この水準点は、標高の基準となる地点のことを指す。ちなみにここは標高19m41cm4.8mmとのこと。
そこまで細かく算出できるのね。地盤沈下しないように地盤にはもっと大きな柱が埋めてあるんだと。
安房国分寺 山門
では、いざ参拝へ レッツラゴー。
日本に68か所設けられた国分寺の一つ。貴重なお寺である。
いずれ国分寺全国巡りをしたいと考えている。
国分寺と書かれた扁額が掲げられている。
安房国分寺 解説板と案内板
結構見ごたえがありそうな、ないような…。
安房国分寺 本堂|薬師堂
この薬師堂は江戸時代後期に建立されたとある。
中には入れなそうだが、ガラス張りになっているので、中が見えそうだ!
格子が有り多少見えづらいが、この中央に御本尊が安置されているのであろう。
薬師如来ご真言|おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
安房国分寺 釈迦堂
看板を見ると、薬師堂と釈迦堂の位置関係がわかる。
左が釈迦堂で右が薬師堂。
中は見えるようにはなっていなかったため、様子は分からず。
安房国分寺 境内散策
境内には色々な歴史的な碑や塔があるので、まとめてみた。
地蔵菩薩
嘉永四年とあるので、1852年頃かな。幕末の作品である。
五輪塔
五輪塔|仏教で地・水・火・風・空は宇宙の構成要素を表し、故人が極楽浄土に行けるという意味がある。
なるほど。この五輪塔は南北朝時代の物なのか。かなり古いものだ。
安房国分寺の礎石
礎石の実物だ。だいぶ大きい。と言うことは、当時の安房国分寺も大きかったのだろう。石から当時の建物を想像するのも、また楽しい。
知らない人が見たらただの石。よく残っていたなーと思う。
おしまい
アクセス
住所
所在地 | 千葉県館山市国分959-2 |
最寄駅 | JR内房線館山駅下車、 日東バス館山鴨川線または館山千倉線「国分寺前」下車徒歩1分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場有り(5台程度) |
公式サイト | https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p411-079.html(千葉県教育委員会) |