「新選組局長 近藤勇」が生まれた上石原村(調布市)にある「龍源寺(りゅうげんじ)」に訪問。 近藤勇が板橋刑場で処刑された後、遺族が遺体を引き取り龍源寺に墓を建てたとのこと。局長のルーツを探る旅となった。 江戸時代には徳川将軍が鷹狩りのためにこの地をたびたび訪れては休憩所として利用していたこともあるそう。 参拝日:2023年4月4日
お寺の紹介
新選組局長「近藤勇」の墓がある。近藤勇の生家跡や、勇の養子となった近藤勇五郎が開いた道場「撥雲館」などが近くにあり、新選組ファンとしては一度は訪れておきたいところである。
正式名称
大澤山 龍源寺
御本尊
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)(釈迦如来)
御朱印
中央に「南無繹迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」、左下には「大沢山龍源寺」と記載。
みどころ
近藤勇の胸像
お寺の入り口では局長がお出迎え。とても勇ましい顔つきである。
近藤勇「史蹟 近藤勇墓所」の碑
「近藤勇と天然理心流」の碑
龍源寺の寺号標柱
近藤勇の石碑の横を抜け、本堂へ向かう。
龍源寺の参道
以下の写真は、2007年に撮った写真。
立派なイチョウが印象的であったが、今はバッサリと切られていた。
龍源寺の本堂
龍源寺本堂前
龍源寺の扁額
近藤勇の墓所へ
本堂の脇に裏手のお墓に続く道があるので、わかりやすい。
以前来たときは左が竹藪であったが、ここも綺麗になっていた。
歩いていると、この墓地につく。
近藤勇のお墓は入口すぐの所にあるが、これは、勇の亡骸(板橋での処刑後に勇の関係者が遺体をもって、このお寺のお墓の入口に置いたことで、この入口近くにお墓が出来たのだとお寺の人から聞いた。
近藤勇の墓
近藤勇の墓は看板があるので見つけやすい。
近藤勇斬首後の亡骸を、ここ龍源寺のお墓に埋葬したとのこと。
なお、近藤勇の戒名「貫天院殿純義誠忠大居士」は、松平容保公が近藤勇のために贈ったものであると言われている。戒名の通りの人だったのだなと思いを馳せる。
辞世の句、最後の「快受電光三尺剣 只将一死報君思」には、処刑されることに覚悟を決め、最後まで主君を思う気持ちが表れている。
御朱印を待っている間、お寺の方とお話させていただいたのだが、話の流れで本堂に入れてくださり、「天然理心流の木刀」を持たせてもらった。想像以上にとても太く、重く、これを当時軽々と振り回していた勇をはじめ、天然理心流の人たちがとてつもない猛者に思えた。本当に良い経験をさせていただいた。
さて、次はこの近所にある「近藤勇生誕の地、生家跡」へと向かう。
近藤勇 生誕の地
龍源寺の近くに位置しており、お寺を訪ねた際にはぜひ見ておきたい場所。
市遺跡となっている。この井戸がある場所が、生家跡とのこと。現在の跡地は屋敷の東南部に位置しており、昭和18年に家が取り壊されるまで使用されていたそう。今はこの井戸だけが、近藤勇の生家の痕跡として残されている。
近藤道場「撥雲館」
「エイっ!! トーっ!!」の掛け声が聞こえてきそう。
今も近藤家がこの地で生活していると思うと、感慨もひとしお。
これにて局長近藤勇のふるさと紀行は終了となる。
アクセス
住所
所在地 | 東京都三鷹市大沢6-3-11 |
最寄駅 | 東急多摩川線多摩駅下車徒歩15分 |
駐車場情報 | 門前に数台停められそうなスペースあり |
公式サイト | なし |