上野恩賜公園の一角に、不思議な大仏がある。上野に大仏があることは今では多くのメディアで取り上げて結構有名な存在になってきた。上野に来たらぜひ大仏様に会いに来てほしい。おそらくこのような姿の大仏様は日本中でここだけなので。 参拝日:2024年2月15日
お寺の紹介
- 上野「寛永寺」の敷地内にいらっしゃる釈迦如来像
- 江戸中期、後国村上城主「堀丹後守直寄公」が戦で命を落とした兵たちの冥福を祈り建立
- 京都「方広寺」の大仏に「見立て」られ、当時は漆喰づくり
- その後、僧侶「木食浄雲」によって高さ6メートルの銅仏に改められる
- やがて「輪王寺宮公弁法親王」が大仏殿を建立
- 度々地震や火災に遭いながら、その都度修復により守られる
- 明治6年には大仏殿解体
- 大正12年の関東大震災で頭部が落下し大破
- 第二次世界大戦時には、軍の供出令により胴体が徴用される
- 昭和47年春、再びこの地に迎えられ、大仏殿跡地にはパゴタ(仏塔)が建立される
- パゴタには旧薬師堂本尊の「薬師三尊像」が祀られている
- 現在は顔面部のみが祀られている
- これ以上落ちようが無いので「落ちない」合格大仏として現在も広く信仰を集める
正式名称
東叡山 寛永寺 上野大佛
御本尊
釈迦如来
ご真言
オン・コロコロ・センダリマトウギ・ソワカ
御朱印
なし(持参していた御朱印帳が終わってしまったため諦めた。)
書置きをもらってもよかったが、どうせなら御朱印帳に記載頂きたかったので、次回再訪予定。
御朱印所について
境内授与所
みどころ
上野大佛と書かれた看板と大仏とパゴダの説明看板
この看板の裏手、大仏山という小高い丘の上に上野大仏がある。
パゴダって何だ?上野だし、パンダと関係あるのかな?っと最初は思ったが全く違った。
パゴダ=仏塔のことだったのね。
東叡山 寛永寺 案内図
上野大仏と大仏殿は赤丸で囲った場所。
東叡山 寛永寺 山内散策マップ
開門時間及び大仏・パゴダの説明看板
開門時間は10:00~16:00。状況によって変わる可能性あり。
入口は二か所あります。開門前なので門が閉まっていた。
パゴダ(仏塔)
パゴダとは
上野大仏と同じく丘陵上の正面にある建物は「パゴダ」と呼ばれており、「仏塔」のことなのだそう。上野観光連盟が上野公園の名所のひとつとするために建設したもので、昭和42年3月着工、同年6月に完成した。高さ15メートル、内部には中央に薬師如来、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置している。この薬師三尊像は、江戸末期まで東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、明治初期の神仏分離令により寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられた。
中は撮影禁止とのこと。
看板に内部の様子が書かれているので、想像をしてください♪
祈願の手順が書いてあるので、絵馬を奉納する方は見逃さないように!!
上野大佛
関東大震災で頭部を失い、第二次世界大戦では胴体を失ってしまい、現在はなんとお顔だけの姿で祀られている。お顔の下には、在りし日の写真も供えられていた。
大仏様のお顔を間近で見る機会は滅多にないので、貴重な経験となった。じっくり観察すると、彩色が施されていた様子や、細部まで作りこまれていることがよくわかる。
横からはこんな感じ。奥行きもないのね。
注連縄が木製であった!めずらしー。
合格祈願!!!
もうこれ以上落ちることは無い つまり 落ちない!
と言うことにあやかって、多くの受験生が合格祈願に来ている。
もうこれ以上落ちようが無い大仏様「落ちない合格大仏」なだけあって、左右には合格祈願の絵馬がびっしり。皆さん合格しますように。
上野大佛の石碑
上野大仏の歴史が書かれている。
在りし日の大仏殿と大仏様
大仏殿は明治6年には解体された、とあるのでこの写真はそれ以前のものとなる。歴史を感じる。
当時はとても立派で大きな大仏だったのが分かる。
関東大震災により落下してしまった頭部
頭部が無残にも大破している様子がわかる。関東大震災の被害の大きさを伺える資料ともいえる。
まとめ
上野恩賜公園に顔だけの大仏様がいることは以前から知っていたが、寛永寺の広大な敷地内に存在していたとは全く意識していなかった。現在も上野恩賜公園は人々が集まる憩いの場所となっているが、江戸の当時も広大なお寺として、参拝する人々に愛されていたのだろう。一日では回り切れないほどみどころがたくさんあるので、再訪したいと思う。
アクセス
住所
所在地 | 東京都台東区上野公園4−8 |
最寄駅 | 「JR線・上野駅」下車 徒歩6分 「京成線・京成上野駅」下車 徒歩5分 |
駐車場情報 | 専用駐車場なし |
公式サイト | https://bentendo.kaneiji.jp/#gsc.tab=0 |