了仙寺の御朱印|鎖国時代、ペリー提督一行がやってきた寺!(静岡県 下田市)

寺院
寺院徳川家康静岡県
日本で最初の開港場となった下田。ここ了仙寺は「下田条約締結」の場所であるが、いったいどのようなお寺なのか。

参拝日:2019年1月3日
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お寺の紹介

  • 徳川家康が大坂夏の陣で目の病に罹り、病気平癒
    • 平癒祈願にあたったのは、当時目の神様として人気だった身延山久遠寺の「日朝上人」
  • その後、無事治ったことから家康公が建立を約束
  • 1635年(寛文12年)、下田奉行「今村正長」により創建
  • 時の将軍「徳川家光」より正式に領地が与えれ、家康公の祈願成就に奉じた
  • 歴代の徳川家将軍から朱印状が下賜されている
  • 1854年(嘉永7)「日米和親条約」締結により、下田開港
  • のちに締結される「下田条約」にかかる、アメリカとの交渉場所が了仙寺
    • 先に締結済みの「日米和親上条約」規定に基づく追加13条の付帯協定のこと

正式名称

 法順山 了仙寺りょうせんじ

御本尊

 十界曼荼羅じっかいまんだら

御朱印

 

本堂に誰も居ない場合は、敷地内に隣接する「黒船ミュージアム」に行けば御朱印を頂ける。

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みどころ

寺院名碑

左:下田了仙寺 右:開国の道場 と刻まれた石碑。
珍しい朱色の文字が目立つ。

「日米下田条約締結地 了仙寺」の看板

了仙寺の境内の中には、「黒船ミュージアム MoBS(The Museum of Black Ship)」があるので、参拝の際はぜひこちらも立ち寄って頂きたい。

入館料
大人:500円 小中高生:250円 シニア:400円

「黒船ミュージアム MoBS(The Museum of Black Ship)」

御朱印はこちらで書いていただいた。

了仙寺の説明看板

ペリー一行の応接所としてここ了仙寺が使われ、「日米和親条約付録下関条約」が了仙寺で調印された。また、米人休息所としても使われたとのこと。
まさに目の前に大きな黒船が停泊し、そしてこれまで見たこともない異人達を前に、当時の人々はどのように思い相対したのだろう。あれこれと想像するだけで、歴史のロマンを感じる。

了仙寺調練の図が書かれた「石絵」

ペリーの一行は下田へ上陸後、軍楽隊とともに了仙寺までの道を行進し、了仙寺の境内では軍事パレードや戦闘訓練の様子も披露したとされている。この絵はまさに、その時の様子を描いたものだそう。
ペリーの外交手腕の一端を垣間見るシーンでもある。

了仙寺の本堂

ご本堂内の下田条約に関係する資料

先にあった石版画の複製とのこと。カラーになると、当時の様子がわかりやすい。これは、驚きだっただろうなあ。畏怖の念か、面白い見世物感覚か・・?

お寺の中は無料で拝観できた。
学生時代に学校で学んだことの、答え合わせとなるような時間で面白かった。
昔持っていた社会の資料集を片手に来ると、より一層わかりやすかったかもしれない。

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アクセス

住所

所在地静岡県下田市七軒町3-12-12
最寄駅「伊豆急行線 下田駅」下車 徒歩10分
駐車場情報専用の無料駐車場あり(40台)
公式サイトhttps://ryosenji.net/

GoogleMap


せっかく下田まで来たので、街中を散策。

下田散策

下田まちなか案内図

どれどれ

「ペリーロード」と「ペリー艦隊来航記念碑」があるので、てくてく歩いて行ってみよう。

ペリーロード

ここが「ペリーロード」か。

昔からの街並みがとても綺麗に残されている。これを「エモい」というのか。

石造りの建物は、当時からあるのかな?

ペリーロードは歩くだけでも十分に楽しい。
この橋の欄干はかなりの古さを感じる。これも当時のものか?

ペリー上陸の碑

マシュー・ペリー

まとめ

ペリー来航の騒動は、誰しも学校の授業で習う、日本歴史においての非常に大きな転換ポイントだと思う。何事も本で読むだけでなく、可能な限りその地に足を運び、残っている資料や建物に実際に触れることで、歴史を自分事に置き換えることが出来る。今回の参拝は、とても学びとなる1日だった。

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