「修禅寺」と言うと、伊豆でも人気の観光スポットだ。実は鎌倉幕府2代将軍「源頼家」最後の地になった場所でもあり、幽閉の日々をどう過ごしたのだろうかと思いを巡らせる。 参拝日:2024年1月5日
お寺の紹介
- 807年(大同2年)に空海が創建し、470年間は「真言宗」
- 鎌倉時代中期に「曹洞宗」に改宗し、その時に、寺名を「修善寺」から「修禅寺」に変更したとの説がある
- 建長年間、中国の禅僧「蘭渓道隆」が滞在し「臨済宗」に改宗
- 蘭渓道隆は南宗の皇帝「理宗」から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」と言う額を賜る
- 中国大陸まで修禅寺の名が広まるきっかけに
- 源頼朝の弟「源範頼」・息子で鎌倉幕府2代将軍「源頼家」が幽閉され殺害される
- 範頼には、史料が残ってないこと、子孫が御家人として残っていること、から生存説も
- 本堂は1883年に再建されたもの
- 地名は「修善寺」寺名は「修禅寺」と、表記が異なる
正式名称
福地山 修禅萬安禅寺
創建・開基
807年・弘法大師空海
宗派
曹洞宗(当時は真言宗、のち臨済宗を経て現在は曹洞宗)
御本尊
大日如来
ご真言
おん・あびらうんけん・ばざら・だどばん
御朱印
切り絵のカラー印刷の御朱印
御朱印所
本殿向かって右側の建物で御朱印が頂ける。
看板もあるので分かりやすい。
御朱印は何種類か用意されていた。前回は大日如来の御朱印を頂いたで、今回は他のにしたいところ。
今年(2024年)は辰年なので、6番の切り絵(龍)にした。
直接御朱印帳への記載はしておらず、朱印紙でのお渡しのみとのこと。
修禅寺MAP
修禅寺だけでなく、周辺には見どころもたくさんあるので、ゆったりと観光できる時間を取って訪れた。
みどころ|修禅寺エリア
看板の地図だと、このあたり。
修禅寺までの修善寺の街並み|町名は修善寺・寺名は修禅寺
温泉街の雰囲気が漂い、街並みがとても綺麗。
修禅寺の近くにはいくつか駐車場があるが、参拝の折にいつもお世話になっている駐車場がある。舗装されているので車にも優しい。料金は1日500円。
虎渓橋(あこがれ橋)
「虎渓橋」は、桂川にかかる5つの橋のうちの一つ。それぞれに恋愛成就のご利益があるのだとか。
この橋を渡ると、修禅寺の入口となる階段が見えてくる。
川の中ほどにせり出すように「独鈷の湯」が作られている。昔は温泉として入浴できていたようだが、現在は利用することは出来ない。足湯として利用することも禁止されている。
独鈷とっこの湯と足湯
要約すると「川で体を洗っている人を見た弘法大師が、持っていた独鈷杵で岩を突いたら温泉が出た」というありがたいところ。
以前は入口から立ち入り禁止だったが、今回は入れそう。
入浴はもちろん、足湯も禁止されている。
ルールを守って観光したいものだ。
とても綺麗な水が張られていたが、温かいかどうかは不明。湯気も出ていなかったから、そこまで熱くはないのだろう。
で、足湯に入りたくなったら、この近くにある足湯がおすすめ。
ここの足湯は結構温度が高め。
この日は1月にしては暖かい日だったのでお湯も少し熱く感じたが、厳しい寒さにはこれくらいの温度の足湯がちょうど良さそうだ。
散策で疲れた足を癒してくれる、とてもありがたい足湯である。
この時点ではまだ駐車場から歩いてきたばかりで疲れていないけど。
修禅寺 山門前
修禅寺といったらまずこの階段からの景色が浮かぶのではないだろうか。テレビや雑誌に出てくる有名な場所だ。
「修禅寺」と書かれた石碑はなく、「弘法大師」の石碑がある。
実際に参拝しに来て感じたことだが、それほど長い階段では無いのだな。
想像ではこの3倍くらいあるイメージだったので、最初は気づかずに何度も通り過ぎたくらいだった。
仁王堂が設けられた山門
この山門は平成26年に改修されたとのこと。
門の両側には仁王像が安置され、両側から睨みをきかせている。
修禅寺 山門の扁額
山門の扁額には「降魔場」と書かれている。
※降魔場とは護摩場のことを意味し、護摩焚きをして祈願する場所のことを指している。
修禅寺境内
では、山門をくぐり、いざ参拝へ!
修禅寺 手水舎 ※ここの手水舎は水ではなく温泉が出る大変珍しい手水舎。
さすが温泉街にあるお寺は他とは違う!!
手水舎なのに、「桂谷霊泉 大師の湯」と名前がついている。
しかもこの温泉は飲むことが出来るのだそうだ。体の中まで温泉三昧。
暖かい日だったこともあり湯気があまり見えていないが、実際はかなり温かい。
寒い季節のかじかんだ手には本当にありがたい。
修禅寺縁起
お百度石
「お百度石」は、山門をくぐってすぐ左にある。
「お百度石」とは、屋根付きの石柱のこと。「お百度参り」に使うもので、これを自分の家に見立ててくぐり、本堂に参拝することを100回繰り返すことで、願いが叶うと言われている。
修禅寺 鐘楼
このお百度石の裏に、立派な鐘楼が建っている。
屋根もすごいが、この石積もとても綺麗で美しい。
写真だと少し分かり辛いが、この鐘楼自体かなりの大きさだ。
当たり前だが立ち入り禁止。
大みそかにはこの鐘を突くのかな?すごい音が鳴り響きそう。
弘法大師立像
本堂向かって左側には、開祖「弘法大師」の像が祀られている。
「南無大師遍照金剛」とは真言宗のお経であり、「私は弘法大師である空海に帰依します」という意味。
達磨石
なんともユニークな顔をした達磨石。御本堂の右側に鎮座している。
この達磨石、江戸時代に修善寺の街中で発見され、ここ修禅寺に奉納されたとのこと。
もともとこの達磨さんは、何のためにあったのだろう?
修禅寺 檀信徒会館
こちらの入口の前には様々な表情をした仏像が並んでいる。
入口はこんな感じ。
扁額は前修禅寺ご住職の書「慈照閣」と書かれている。
その奥にある墨書には「観月堂」と書かれている。
中はこんな感じ。
修禅寺 御本堂
こちら(↑)が今回(2024/1/5)の写真。
こちら(↑)は前回(2019/1/4)の写真。
さて、何がちがうでしょう。
そう!左側の大きな木が無くなってるじゃありませんか!
理由は調べてみたもののよくわからず。自然災害か、木の老いか・・。時の流れを感じる。
ご本堂は、1361年の戦乱及び1409年の火災で焼失したが、1883年(明治16年)に再建され、今にその姿を残している。歴史を感じる建物だ。
隙間があったので、本堂の中を見ることが出来た。
太い柱が歴史と風格を感じさせる。
欄間の彫刻が凝っていてとても美しいのだが、さらに
天井絵も丁寧に花の絵が描かれていてとても美しい。
このお堂が建てられた当時は、さぞかし煌びやかだったことだろう。
修禅寺 御本尊
北条政子から寄進されたとされる修禅寺の御本尊「金剛界大日如来坐像」。
このご本尊は、昭和59年の解体修理の際、胎内から墨書とともに三束の髪の毛が出てきたのだそう。北条政子の髪の毛なのではないか、との推察がなされている。
発見された髪の束は再度胎内に戻され、今もこのご本尊の胎内に安置されている。
みどころ|独鈷の湯公園・源頼家の墓・指月殿エリア
独鈷の湯公園
先ほどの独鈷の湯からすぐの場所に架かる橋を渡ると、すこし広い「独鈷の湯公園」がある。
ここにも足湯があり、川を眺めながら足湯に浸かることが出来る。
こちらの方がぬるめなので、長く休むにはおススメ。
湯掛け稚児大師
公園内では「湯掛け稚児大師」が出迎えてくれる。
こちらの大師像に温泉を掛け、自身の健康を願うことが出来るそうな。ありがたや。
この公園を抜け、奥には源頼家公のお墓があるので、早速行ってみたいと思う。
源頼家公のお墓と指月殿
頼家公のお墓と指月殿は少し足を延ばせば訪ねることが出来る。
歩いて数分なので、是非とも拝観して頂きたい場所だ。
これはまた歴史を感じる墓標だ。路地裏の雰囲気にノスタルジーを感じる。
所々に案内看板があるので、方向音痴の私でも迷うことは無かった。
で、てくてく歩いているとすぐに着いた!
この上にお墓があるとのことなので行ってみよう!
この石門と苔むした石階段が良い雰囲気だ。
階段を登ると開けた公園が見えてくる。
なにやら何かが並んで見えるのが、何だろう?
こちらは源頼家の家臣13名のお墓だった。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、この時代のごたごたが描かれていたので実際その足跡を辿れるのは興味深い。
合掌。
源頼家公のお墓
この公園の先に見えてくるのが、あの源頼家公のお墓である。
この階段を登るとお墓がある。
この写真に写る中央の大きな石碑が供養塔であり、その背後に写る小さな塔が頼家公のお墓とのこと。
中に入ることは憚れるため、正面からパチリ。
指月殿
頼家公のお墓の隣には、指月殿が建っている。
母である北条政子が、我が子「頼家」をとても大事にしていたことが良くわかる。
こちらの扁額は「複製」とのことで、実物は修禅寺にて保管されているのだそう。
釈迦如来坐像
外からではあるが、指月殿を拝観することが出来る。
鎌倉時代の仏像、つまり800年程前の仏像を見ることが出来るのだ。
確かに『釈迦如来坐像』の右手にはハスの花を持っている。
指月殿の境内及び周辺
お堂の前には小さな手水舎?のようなものがあった。
帰りは指月殿前に伸びる参道を降りることに。
とても雰囲気のある場所だが、観光客の姿は全くなかった。穴場なのだろう。
みどころ|竹林の小径、源範頼のお墓エリア
いよいよ最後の目的「源範頼のお墓」に向かう。
とても綺麗な水が流れ、気持ちもスッキリする。
竹林の小径
範頼公の墓所へ向かうには、この竹林の小径を抜けていくことになる。
とても雰囲気の良い場所なので、ぜひ散策して頂きたい場所だ。
竹林の中にはこのような丸い休憩場所がある。
ここから寝そべって上を見ると綺麗な竹林と空が見れる。
源範頼公の墓所へ
竹林を抜け、範頼公の墓所へと向かう。
源範頼公の墓までは380mとある。そこまで遠くも無いので、気軽に向かえる距離かな。
てくてく歩いて行くが、本当にこの道で良いのか?と思いながら歩みを進める。(私道のようなところで不安でしかない)
なんか公園みたいなものが見えて来たぞ。ここかな??
ほっ・・・合ってた!いや~良かった良かった。
あと一息!といっても、今回はそこまで疲れてはいない。
見えた!あちらが範頼公のお墓である。
範頼=迫田さん(鎌倉殿の13人!)が出てくる。
この特徴的なお墓は、昭和7年に日本画家である安田靫彦氏がデザインを手がけたとのこと。
お墓の周りには色々な石碑が建っていた。
蒲候碑って書いてあるのかな?
帰りは違う道で。
こっちから来ても私道っぽいので迷いそう。でも、ちゃんと
これにて修禅寺はおしまい!
まとめ
伊豆と言えば修禅寺、と言うことでいつか参拝したかったお寺。
付近は温泉が湧き出ていて、おまけに弘法大師の逸話まで残る古い歴史のある街だった。散策しながら見て回れるスポットがあるのも良い。前回廻れなかった範頼や頼家の足跡を辿れたことが大変良かった。
アクセス
住所
所在地 | 静岡県伊豆市修善寺964 |
最寄駅 | 「伊豆箱根鉄道 修禅寺駅」下車 徒歩40分 修善寺駅よりタクシー利用で10分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場なし 近くに有料の駐車場あり。(一日500円) |
公式サイト | https://www.shuzenji-temple.jp/ |
GoogleMap
モヤさまにも出た「ワンコインそば」 ※現在(令和5年)は無かった…。
店舗は狭いが、お一人でせっせと作っている。
塩蕎麦(お通し??)
先ずはお塩とワサビのみで蕎麦の風味を味わってね、とばかりに一口サイズに盛られた蕎麦が出される。小粋な感じで、おいしい。
その後、かき揚げ蕎麦をいただく。(写真撮り忘れ)
モヤモヤさまぁ~ずの写真とサイン
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昔から我が家ではおなじみのツムラのバスクリン!
もちろん修善寺も4包入り!