鶴岡八幡宮の御朱印|倒壊した大イチョウは、新しい姿でよみがえろうとしていた(神奈川県 鎌倉市)

ゆかりの人物
ゆかりの人物北条義時大河ドラマ神奈川県神社都道府県別鎌倉殿の13人
数年前に台風で倒壊した鶴岡八幡宮の大イチョウ。すっかり枯れてしまったのだと思っていたが、実は倒れた場所から新たな若木が芽吹いていた。

参拝日:2023年2月27日
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神社の紹介

  • 1063年「源頼義」が京都の石清水八幡宮を「鶴岡若宮」として勧請
    • 前九年の役で戦勝祈願をした神社
  • 1081年「源義家」が修復
  • 「鎌倉八幡宮」とも呼ばれ、以降源氏の守り神とされる
  • 「源頼朝」は鶴岡八幡宮を篤く崇敬
    • 鎌倉幕府開府と同年、「鎌倉八幡宮」を現在の場所へ遷す
    • 幕府の重要祭事として「放生会」「流鏑馬」「相撲」「雅楽」などを境内で執り行う

正式名称

 鶴岡八幡宮

御祭神

 八幡の神(誉田別命ほんだわけのみこと=第15代応神天皇おうじんてんのう

 比売神 (ひめがみ)

 神功皇后 (じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母

御朱印

参拝日|2014/9/13
参拝日|2012/4/15
参拝日|2007/4/21
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みどころ

大鳥居

参拝日は平日だったが、かなり多くの人で賑わっていた。修学旅行や校外学習らしき生徒たちもいて、懐かしい気持ちがよみがえったりもする。

鶴岡八幡宮の説明看板

11世紀後半に、源氏の守り神として創建された。
のちに源頼朝によって盤石となったことは言うまでもない。

本殿までの参道と境内

学生だけでなく、20代と思しき若い人たちも多く参拝していた。お寺と言うと、あまり若い人たちを見かけないので、人気の観光地であることが伺える。

手水舎

昨今の感染対策ゆえなのか、水は出ていなかった。仕方ない部分ではあるけれど、お清めの水が無いというのは、やはり寂しい。早く普段通りに戻ってほしい。

舞殿

1181年に源頼朝が建立した「若宮の回廊」があった場所。
静御前が義経に向けて舞を行った若宮廻廊跡に、現在の舞殿が建てられている。

過去に来たときは、この場所で結婚式が挙げられていた。

こんな素敵な場所で式を挙げるなんて、一生の思い出になること間違いない。

鶴岡八幡宮の大銀杏(大イチョウ)の場所には新しい息吹が芽生えていた

2010年3月に強風にて倒壊してしまった大銀杏。すでに枯れてしまっていたと思ったが、同じ場所で大銀杏の根から新たな芽が出たとのことで、今ではこんなに大きな姿に!
枯れてしまったと思っていたので、とてもうれしい。この銀杏も、千年後まで生き続けてくることを願う。

在りし日の大銀杏

千年後も、今と同じように参拝客を見守ってほしい。

御朱印所(祈祷受付所)

御朱印は書置きでの対応とのこと。当分はこの形なのかな。早く自分の御朱印帳に書いてもらえる日が来るのを願う。

若宮(下宮)

鶴岡八幡宮の御祭神「応神天皇」の子「仁徳天皇」を始め、「履中天皇」・「仲媛命」・「磐之媛命」の四柱の神様を祀っている。

本宮楼門(上宮)

「八幡宮」の「八」の文字、よく見るとハトが向かい合わせのデザインとなっている。可愛い。

あまり人も居なかった右側からパチリ。
この角度からのアングルはあまり見たことがなかったが、よい眺め。

本宮前

鶴岡八幡宮の神輿(手前の黒い御神輿|本宮三基)

例大祭ではこの御神輿が担がれるので、実際のお祭りを見てみたいと思う。

まとめ

学生のころの校外学習が、最初の参拝だった鶴岡八幡宮。先の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見た後で尋ねると、また一味も二味も違う注目ポイントがいくつもあった。

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アクセス

住所

所在地神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
最寄駅「JR横須賀線 鎌倉駅」下車 徒歩10分
「江ノ電 鎌倉駅」下車 徒歩10分
駐車場情報専用の無料駐車場なし
公式サイトhttps://www.hachimangu.or.jp/

GoogleMap

鎌倉をぶらぶら

上海焼き小籠包「華星」

横浜中華街に行くと、必ずと言っていいほど食べる「焼き小籠包」。
ここ小町通りにも「焼き小籠包」を売っているお店があったので、たまらず食した。

この汁が地球上で一番熱い!!!!!!!

絶対にひと口で食べてはならない食べもの。

うまいんだな~これが。

北条時房(トキューサ)邸跡

若宮大路を歩いているとこんな看板を見つけた。
「鎌倉殿の13人」を見ていなければ絶対に気づくことは無かった。

「若宮大路」の商店街を歩いていると突然この看板が出てくる。入口もわかりにくいので看板が頼り。

ちょうど工事を行っていたので、そこかしこに養生が。
奥は行き止まりとなっているが、案内板があるので行ってみた。

詳しい区割りが書いてあるのを発見。こんな区割りだったのだ。「和田義盛」に「北條泰時」の名前も!こんな位置関係に住んでいたんだなあ。

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