光縁寺は、新選組にゆかりのあるお寺で、総長の山南敬助や河合耆三郎など多くの戦士たちが埋葬されている。山南敬助は仙台藩出身の北辰一刀流の使い手で、親切な人柄で親しまれていたが、首脳陣との確執から脱走し、隊規違反で切腹に処された。後に彼が葬られた場所が、光縁寺である。 参拝日:2007年12月23日
お寺の紹介
- 浄土宗の寺で、知恩院の末寺
- 1613年(慶長18年)、創建
- 天明の大火により堂宇が焼失し、後に再建
- 寺の門前近くには新撰組の馬小屋があり、隊士たちが毎日往来していた
- 山門の瓦には山南家と同じ家紋がある
- 山南切腹当時の住職は22世の「良誉上人」で、年齢も山南と同じであった
- 山南と良誉上人が親交を深め、山南や隊士たちが良誉上人によって弔われ、埋葬された
- 沖田総司の悲恋物語に登場する京娘に関連する墓がある
- 山南敬助
正式名称
満月山 普照院 光縁寺
御本尊
阿弥陀如来
御朱印
みどころ
光縁寺の表門及び新選組墓所の碑
光縁寺と新選組の説明看板
ご住職から新選組に関する話を聞くことができた。また、本堂に上がって当時の葬儀についてのお話も聞かせていただいた。流れるような解説は、まるで講談師のようでもあり一度聞くとクセになる。
沖田総司の縁者の墓
沖田総司の恋人とも、内縁の妻とも言われている女性の墓。墓石には「真明院照譽貞相大姉」と刻まれ、側面には「沖田氏縁者」とある。光縁寺の過去帳には、沖田総司の縁者とされる女性に関する記載がありますが、その詳細は不明。
山南敬助の墓
山南敬助|江戸の試衛館にて近藤勇と出会い、ともに京に上る。筆頭局長の芹沢鴨と局長の新見錦が新選組に粛清され、その後の組織再編で山南総長となった。(実際は名ばかりの位とも言われている)「局ヲ脱スルヲ許サズ」の法度に背いたため、切腹を命じられ、近くの旧前川邸にて沖田総司介錯により切腹した。
松原忠司他新選組隊士の墓
松原忠治|新選組の前身である壬生浪士組に入隊。1865年の組織再編で、彼は四番組の組長と柔術師範に任命された。
大石造酒蔵の墓(新選組観察方 大石鍬次郎の弟)
山南敬助が切腹を行った旧前川邸(新選組の屯所)
沖田総司の介錯により介錯され、光縁寺に埋葬された。
「沖田君・・・」
まとめ
光縁寺は、新選組ファンにとっては聖地とも言える場所だと思う。初めて参拝した時には、大河ドラマ「新選組!」を見てから間もないころだったので、山南敬助をはじめとする新選組のメンバーたちが眠る場所に立ち、心に来るものがあった。
アクセス
住所
所在地 | 京都市下京区綾小路通大宮西入四条大宮町37 |
最寄駅 | 「阪急京都線 大宮駅」下車 徒歩3分 「旧前川邸(新選組屯所)」から徒歩4分 |
駐車場情報 | 専用の駐車場なし |
公式サイト | https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=540 (京都市観光協会) |