気象神社(高円寺氷川神社)の御朱印|雨男、雨女必見!!全国にも珍しい気象神社とは!?(東京都 高円寺)

東京都
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日本で唯一の気象の神様を祀る「気象神社」。全国の雨男、雨女たちが、不本意な疑惑を脱却すべくこの神社へと駆け込むのであった。

参拝日:2018年12月21日
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神社の紹介

  • 1944年(昭和19年)、大日本帝国陸軍の陸軍気象部の構内に造営された
    • 軍事戦略に大きく関わる気象予報において、心のよりどころとしていたとのこと
  • 第二次大戦後の神道指令による撤去を、調査漏れのおかげで免れる
  • 1948年、「高円寺氷川神社」敷地内へ移転
  • 203年、遷宮55周年記念として、老朽化した社殿を再建
  • 日本で唯一の気象の神様として有名
    • 気象予報士合格祈願や、快晴祈願での参拝者が多い
  • 八意思兼命やごころおもいかねのみことを祭神とする
    • 本来は知恵の神として祀られることが多い
    • 神話に出てくる「岩戸隠れ」の際、天照大御神を岩戸の外へ連れ出す方法を考えた神
    • 太陽を取り戻したこと、名前の「八」の字から八つの気象条件を司ることから、気象の神様としているそう

正式名称

 高円寺氷川神社 ※気象神社

御祭神

 八意思兼命やごころおもいかねのみこと

御朱印

気象神社の御朱印
高円寺氷川神社の御朱印の御朱印
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みどころ

高円寺氷川神社

高円寺氷川神社 社号標柱と鳥居

気象神社は高円寺氷川神社の境内にお祀りしている。
なので氷川神社から参拝させて頂くことに。

全国で唯一の気象神社ともあり、参拝客が多く見られた。

高円寺 氷川神社の説明

高円寺 氷川神社

 この神社は、旧高円寺村小名原の鎮守で、祭神は素盞鳴命すさのをのみことです。
 創建について口碑によれば、天文年間(一五三一~一五四四)、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃といわれます。また社伝によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて
社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源ともいわれています。しかし、詳細なことは詳かではありません。
 当社は『新編武蔵風土記稿』多摩郡高円寺村氷川社の条に「除地四段三畝十歩、外二供免一段五畝、小名原ニアリ、是モ鎮守ナり、本社三尺四方南向、上屋二間二三間、木ノ鳥居ヲタツ、村内高円寺ノ持」と記されており江戸時代には、原の鎮守様として農民の信仰を集め、高円寺が別当職を務めていたといわれます。明治七年、村社となりました。
 境内には、三社の末社が祀られていますがなかでも気象神社(祭神・八心思比顕命やごころおもいかねのみこと)は、全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。この社は、戦時中、旧馬橋四丁目にあった陸軍気象部内に祀られたものですが、戦後、関係者の要請で当神社の境内に遷されました。
 例祭日は、八月二十八日です。
 昭和五十九年三月  杉並区教育委員会

高円寺氷川神社本殿前の案内看板より

高円寺氷川神社 手水舎

それではこちらで体を清めてから参拝と参りましょう。

龍の口から竹筒へと、ちょろちょろと流れている。

高円寺氷川神社 拝殿と本殿

先ずはこちらにご参拝。

高円寺氷川神社 本殿横

奥に見えるのが本殿ですね!

氷川神社について

高円寺氷川神社 本社神輿

 新しい令和の時代を祝して、 また高円寺の平安と繁栄を祈念し、昭和初期に謹製された神輿が高円寺北一丁目町会より奉納されました。
 奉納された神輿は、江戸期創業で江戸前神輿三大神輿師であった千葉県行徳の後藤直光作で、屋根延神社型神輿・漆塗品・台輪寸法二尺五分の一刀彫と透かし彫りを多用した繊細な造りが特徴の古典神輿です。
 当時、名工彫刻士として神輿師名を極め、都内に多くの大振りな名作を残した同社でしたが、平成十二年に廃業したため、浅草の宮本卯之助商店(神輿師 宮本重義) に依頼、見事に修復され、高円寺氷川神社の本社神輿の誕生となりました。
 令和元年八月吉日

本社神輿前の案内看板より

気象神社

では気象神社へと行ってみよう♪

氷川神社について

氷川神社について

氷川神社について

江戸名所図絵によれば、その音源頼朝奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り給う際、随兵の中に
当高円寺村にとまり終りに農民となる者あのと記されている。
一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)その時武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く燥杉浦義 水田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。御祭神は素盞鳴谷国土開発災難除けの信仰がある。氷川神社の御社は約一千社あり関東地方が大部分を占めている。当社の創建された時期は不詳であるが、口碑によれば天文年間曹洞宗高円寺の創建と同時に剏祀されたといわれている。末社には気象神社、稲荷神社、御嶽神社、日枝神社が祀られている。
昭和四十六年十月十四日、社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手水舎が新しく御造営され、今日に至る。例大祭月毎年八月二十七二十八日に行われる。
氷川神社氏子青年会結成十周年に当り記念事業として之を踊る。
昭和五十二年十
水氷川神社氏子青年会一同

気象神社鳥居前の案内看板より

源頼朝が奥州征伐の際、現在の高円寺に立ち寄り、ここに社殿を建立したと伝えられているのだそう。 頼朝公ゆかりの神社やお寺は、実はかなり多い。

気象神社の由緒について

こちらは歴史を感じる由緒書きである。と思ったら、平成七年のものであった…

こちらはピカピカの由緒書き。

八意思兼命について

 八意思兼命やごころおもいかねのみこと |名前の由来「多くの思慮を兼ね備えていること」という意味。
岩戸隠れの際に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたことで有名であり、また国譲りや天孫降臨にも関わっている大変重要な役割を果たしている神である。
ここでは、「八意思兼命」の名前から、晴・曇・雨・雪・雷・風・霜・霧の八つの気象条件をつかさどる神として祀られている。

気象神社由緒

気象神社

御祭神 八意志兼命やごころおもいかねのみこと (知恵の神)
例大祭 六月一日(気象記念日)

気象神社由緒
御祭神 八意志兼命やごころおもいかねのみこと (知恵の神)

 この気象神社は、旧陸軍気象部の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目) に昭和19年4月10日造営、 奉祀され、途中空襲に因る焼失、再建されたが大平洋戦争の終戦に依り気象部隊解散に伴い旧気象部隊関係者によって払い下げを受け当高円寺氷川神社に昭和23年9月18日遷宮祭を執行し、移設されたものである。
以来気象部隊関係者を始め多くの方々のご参拝、奉仕を受けて参りましたが月日の経過と共に社殿の腐蝕が甚だしく遷宮55年を記念して新しい社殿の御造営に着手し、平成15年6月1日の気象記念日に竣工式を挙行した。

平成15年6月1日 氷川神社宮司 山本 雅道

気象神社前の案内看板より

旧陸軍気象部の構内に造営されたため、気象に関する神社として今に至る。

ミケさん

ミケさんについて

拝啓
永き冬に埋もれていた幾色の蕾たちがようやく花開き、境内が春光天地に満ちわたってまいりました。
そちらも春のあたたかな陽気に包まれて、穏やかにお過ごしのことと存じます。
貴方のお姿をお見かけしなくなってから五年余り、すっかりこの神社は明るく清潔になり、たくさんの活気で満ち溢れています。いま一度、お見せしたいものです。初めて貴方という三毛猫の存在に気づいたのは、平成十年ごろでした。本当はもっと前からいらしたのかもしれませんね。毎日、ひっそりと境内のどこかで、お参りしているかのように一匹の三毛猫がたたずみ続ける、それがここの日常の風景でした。
しかし時が経つにつれ、貴方がただの三毛猫ではないと感ずるようになってまいりました。飼い猫のように清潔な毛艶、端正な顔立ち、野性味のない淑やかで気高い所作、どこか哀しさを宿す吸い込まれるようなそのまなざし。決して、人にも他の猫にも懐かず、近づかず、お声を聞いた者もおらず。そしていつも現れたと思ったら消えてしまう。まさに神妙というに相応しい御存在でした。二十年もの永き時の中で、そのお姿が代わることは幾度かありましたが、毎度三毛猫の姿でおられましたね。みな同じ特長と所作をお持ちで、一目見ただけで、貴方なのだなと毎度感じておりました。お恥ずかしい限りですが、そんな貴方を見て、癒されるな、かわいいな、不思議な猫だな、と当時は思うだけでした。
そして忘れもしない平成二十九年の年末、突然訪れた貴方の最期。本殿の裏で、まるで祈るように手を合わせながら、安らかなお顔でひっそりと永き眠りにつく貴方のお姿。今でもその記憶は哀しみと共にこの心に焼きついております。皮肉なものです。初めて貴方にお近づきになれたのが貴方の最期の時であったとは。
そして涙ながらに貴方のその小さなお姿に触れたとき、僭越ながらこう感じました。永きに渡り、貴方はここを愛し、守っていてくださったのではないか。ならばこれからは人の力で守り、そして変えていくときなのではないか、と。
それから五年あまり、まだ至らぬところも多々あると思いますが、当社一丸となってこちらなりに懸命に前に進んで来たつもりです。あの頃の当社がここまで変われたそのきっかけは、貴方の御存在そのものであった、と言っても過言ではありません。
永くお守りくださり、そして様々な気づきときっかけを与えてくださり、ありがとうございました。よろしければこれからも当社の行く末を天からみまもりくださいませ。次いで、感謝と畏敬の念を込め、ここに御礼状と貴方の生きた証を遺させていただきます。最後になりますが、感謝と畏敬、何より親しみを込め、当社職員みなあなたをこうお呼びしております、「ミケさん」と。
敬具
令和五年吉日 高円寺氷川神社一同

気象神社前の案内看板より

気象神社 絵馬

みんなそれぞれの思いが込められている。
下駄が絵馬ってのも洒落が効いてて良い!

気象神社 照々みくじ

こっちはてるてる坊主。

お天気にまつわる物が色々とあって面白い!

気象神社 本殿

神社の社としては小さいが、この気象神社には、「晴天祈願」や「雨男・雨女」の厄払いとして、多くの参拝客が訪れる。

まとめ

色々なメディアに取り上げられているのも、日本で唯一の気象神社であり、天気に左右される仕事であることも大きな理由なのだろう。

参拝のきっかけは、イベントのたびに雨が降ることからだった。知人から、気象神社があると聞き、参拝することに。
成り立ちを調べてみると、戦時中に心の拠り所として造営された神社だというのだからとても面白い。てっきり、神社は遥か千年以上前から存在しているところばかりだと思っていたのでとても驚いた。神話の時代から、神を想い、そして心の拠り所として神々を崇める、日本人の心を感じることが出来た。
ちなみに、雨の呪いの方は大分軽減されたようで、雨に遭う確率90%だったところが60%くらいまで下がった?気がする。

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アクセス

住所

所在地東京都杉並区高円寺南4丁目44−19
最寄駅「JR中央線・総武線 高円寺駅」下車 徒歩2分
駐車場情報専用の無料駐車場あり
公式サイトhttps://koenji-hikawa.com/kisho_jinja/

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