興福寺の御朱印|藤原鎌足・藤原不比等ゆかりのお寺とは(奈良県 奈良市)

奈良県
奈良県寺院
興福寺は、美しい阿修羅像が保管されていることで有名だ。
また、お寺自体の歴史は平安時代「藤原家」まで遡るのだそう。今の時代まで残る長い歴史の中で、何があったのだろう。

参拝日:2010年5月2日
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お寺の紹介

  • 法相宗の大本山の寺院
  • 669年(天智8年)、山階寺やまなしでらが「鏡女王」によって建立される
    • 「藤原鎌足」の妻で、夫の病気回復を祈願して造営したものと言われる
  • 672年壬申の乱の後、山階寺が藤原京に移され、「厩坂寺うまやさかでら」と改称
  • 710年(和銅3年)、「藤原不比等」によって平城京に移され、「興福寺」と改称
  • 平安時代、天皇や皇后、藤原氏による整備が進み「七大寺」の一つとなり手厚く保護される
    • 特に摂関家・藤原北家との関係が深かった
  • その後「春日社」の実権を手中に収め、大和国を領するほどになる
  • 鎌倉幕府・室町幕府時代には、大和国に守護を置かず、興福寺が任に当たる
  • 安土桃山時代の検地では2万1千余石と定められる
  • 明治時代の「神仏分離令」や「社寺領上知令」によって苦境に立たされる
    • 当時の興福寺別当は早々に還俗
    • 18あった末寺とは関係を解消
    • 83の子院と6の坊はすべて廃止
    • 僧は全員自主的に還俗し「新新司」として春日社に使える
    • 西大寺と唐招提寺に興福寺の管理を任せる
    • 境内のみ没収から免れ残される
    • 没収された建物は解体されたり、県庁や警察署、役所に使用された後一部返還されている
    • 五重塔、三重塔は売りに出され危うく燃やされるところだった、と言う言い伝えもある
  • 廃仏毀釈の嵐が収まった1881年(明治14年)、興福寺再興の許可が下りる
  • 「古都奈良の文化財」の一部として「世界遺産」に登録

正式名称

 興福寺

御本尊

 釈迦如来

御朱印

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みどころ

「世界遺産 興福寺」の石碑

「世界遺産 興福寺」の石碑

ここ興福寺は、かつて広大な敷地を有していた。また、鹿で有名な奈良公園も一部が興福寺の敷地内に含まれていた。

奈良公園は、本当に本当に本当にたくさんの観光客でにぎわっていた。

興福寺の案内MAP

※興福寺のHPより入手できます。

興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)

興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)

興福寺伽藍の中心に位置する最も重要な建物が中金堂。2018年(平成30年)に復元されたばかりで、拝観時にはまだ出来立てほやほやで、とても煌びやかだった。

興福寺の東金堂(とうこんどう)

興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)

中金堂の東側にあるのが、この東金堂と呼ばれるお堂で、「聖武天皇」が726年に叔母の元正太上天皇の病気全快を祈って建立したとされる。なお、現在の建物は室町時代に再建されたものだそう。

興福寺の国宝館

興福寺は国宝が多く保管されており、2018年にリニューアルオープンしていたこともあり、見ごたえ十分だった。当時は特に阿修羅像が人気で、多くの観光客が訪れ大混雑していた。

興福寺にある代表的な仏像

阿修羅像

阿修羅像

阿修羅像

金剛力士(吽形)

竜燈鬼

天燈鬼

まとめ

興福寺の国宝館は、2018年にリニューアルオープンしたばかりで、建物自体とても綺麗だった。たくさんの国宝を見ることもでき、素晴らしかった。もう少し人が少ない時期に改めて見学したいなあ。
また、興福寺は古くは平安時代までさかのぼる歴史あるお寺であり、藤原氏が深く関わっていたことも知った。神話の中の人物のように感じられる藤原氏が、実在していたことに感慨深くなる。明治の廃仏毀釈令によって大きな苦境に立たされながらも、興福寺は大切に守り抜かれてきた歴史があり、現在は国宝指定されている。
興福寺は、日本の古代文化を知る上で欠かせない場所であり、多くの人々に愛されているのだ。

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アクセス

住所

所在地奈良県奈良市登大路町48
最寄駅「JR奈良線 奈良駅」下車 徒歩15分
「近鉄奈良線 近鉄奈良駅」下車 徒歩5分
駐車場情報専用駐車場無し
公式サイトhttps://www.kohfukuji.com/

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