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千葉厄除け不動尊(徳道寺)の御朱印|関東厄除け三不動尊であり千葉県の初詣参拝客第三位のお寺に行ってきた。(千葉県 東金市)

千葉市や東金市で有名な厄除け不動のお寺に参拝してきた。このお寺は正式には「徳道寺」と呼ばれ、関東地方で三大厄除け不動の一つとして知られている。特にお正月には多くの参拝客でにぎわい、その数はなんと60万人もの人々が訪れるほどだ。千葉県内では参...[続きを読む]
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寒川神社の御朱印|神輿をかついで海に入る「御浜下り」で有名な神社へ行ってきた(千葉県 千葉市)

地元千葉にある小さな神社であるが、この神社は神輿をかついで海に入る「御浜下り」が有名であり、千葉市のランドマーク?である千葉ポートタワーのある浜に神輿を担いで海に入り、海の安全を祈願している。
どうする家康

良玄寺(本多忠勝の墓所)|徳川四天王の一人「本多忠勝」のお墓へ行ってきた(千葉県 大多喜町)

大多喜城下町の名残を残す町並みに、ひっそりと佇む良玄寺。大河ドラマ「どうする家康」でも活躍中の本田忠勝と、大坂夏の陣で戦死した息子「忠朝」が眠る墓所がある。遠くには大多喜城も望むことができる。
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日本寺の御朱印|豊かな自然に囲まれた鋸山の大仏様と地獄のぞきは必見!(千葉県 鋸南町)

房総半島の東京湾沿いにある鋸山に、日本寺がある。大きな岩をくり抜いて造られた大仏や、山頂の展望台にある「地獄のぞき」を楽しむことが出来る。都心からは日帰りでも気軽に訪れることができ、歴史と自然を満喫することができる穴場スポットとして、注目を集めている。
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稲毛浅間神社の御朱印|富士山信仰で有名全国約1,300社ある浅間神社の一つ(千葉県 千葉市)

静岡県富士宮には、富士山信仰で有名な「富士山本宮浅間大社」が鎮座している。これは、全国1,300社ある浅間大社の総本社だ。そして、千葉にもこの浅間神社の分社が千葉県稲毛にも祀られていた。確かに、冬の天気が良い日などは、東京湾を挟んで遠くに富士山を拝める。
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愛新覚羅溥傑|ラストエンペラー「溥儀」の弟は新婚時代を日本の千葉で過ごした(千葉県 千葉市)

清朝の最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」は、映画化もされており有名だ。その溥儀の弟「溥傑」もまた、壮絶な人生を歩んでいる。その人生の中で、ひと時の幸せな時間を千葉で過ごしたことはあまり知られていない。
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長福寿寺の御朱印|とにかくご利益(特に金運UP)が欲しい方必見!!(千葉県 長南町)

いつも参拝するお寺とはちょっと違った雰囲気の、楽しいお寺に出会いました。ゾウの像が可愛い。
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千葉神社の御朱印|千葉氏ゆかりの地千葉神社は、仏教と融合した珍しい神社であった。(千葉県 千葉市)

千葉神社の御朱印 平安時代末期、関東南部を統治した「平良文たいらのよしぶみ」が「北辰妙見尊星王ほくしんみょうけんそんじょうおう」を信仰 「北辰=北極星」であり、北極星・北斗七星を神格化ている 「平良文」を祖に持つ「千葉氏」が一族の守護神として「北辰妙見尊星王」を各地に祀る 千葉氏3代目「平忠常たいらのただつね」が、領内各地に祀られる「香取神社」境内の一角に「妙見」を祀る 第66代「一条天皇」が眼病平癒を祈り完治したことから、寺号「北斗山金剛授寺」を贈る これを受け「忠常」は伽藍を整備、息子を大僧正に就けて1000年(長保2年)に中興開山 源頼朝、日蓮上人、徳川家康など名だたる人物も参拝し崇敬 1869年(明治2年)神仏分離令により千葉神社へ改称 妙見大祭の「神輿渡御」が神社の様式だったから 千葉神社へ改称以降も「妙見信仰」と習合する神社となっている 社殿は2階建てのようになっており、上下2つの拝殿を持つ国内の重層社殿
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宗吾霊堂の御朱印|民のために自らの命を懸けた人のお寺(千葉県 成田市)

宗吾霊堂の御朱印 「桓武天皇」の勅命により「坂上田村麻呂」が創建(推定:700年頃) 坂上田村麻呂が房総を平定した際、戦没者供養のために建立された真言宗豊山派の寺院 佐倉宗吾の伝説 当時、度重なる凶作と、佐倉藩の追い打ちをかけるような重税に農民が苦しんでいた 見かねた名主の「木内惣五郎」ら6名が藩へ窮状を訴えるも取り合ってもらえず 覚悟を決めた「惣五郎」が徳川将軍へ直訴 ようやく訴えを聞き届けられ、佐倉藩の領民たちは救われた 面目をつぶされた藩主「堀田正信」が怒り、惣五郎夫妻を貼り付け、子供4人は死罪に これを宗吾霊堂の当時の和尚「澄祐ちょうゆう」が刑場跡に埋葬 100年後の佐倉藩主「堀田正亮まさすけ」が惣五郎に対し「宗吾道閑居士」の法号を諡号しごう 以降「佐倉宗吾様」と呼ばれ、人々から親しまれるようになった
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證誠寺|「しょ、しょ、しょうじょうじ♪」の童謡でお馴染みのお寺は実在する(千葉県 木更津市)

證誠寺の御朱印
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千葉寺の御朱印|千葉氏ゆかりのお寺はなんと奈良時代に創建された由緒あるお寺だった!(千葉県 千葉市)

千葉寺の御朱印 「千葉寺」の読み方は「せんようじ」 でも地名は「ちばでら」 諸国行脚中の行基が「観音像」を刻み、安置したのが始まり 1本の茎に二つの花と千の葉をもつ青い蓮華、中には阿弥陀如来と観音が並んで説法をしていた 聖武天皇の時代には大きな観音堂が建てられていた 奈良時代後半には、近藤、南大門、灯台門、西大門、講堂などの伽藍が並んでいた 平安後期には落雷で本尊以外のすべてを焼失 千葉氏の居城でもある猪鼻城に近いことから、千葉氏の勅願所として栄えた 源頼朝が平家打倒を祈願した 平家を打ち滅ぼした後、頼朝は「千葉常胤」に命じて運慶作の「愛染明王」を寄進した 千葉氏は北条氏と共に滅亡したが、寺は後に徳川家により保護された 度重なる火災や戦災で焼失しており、現在の建物は昭和51年に再建されたもの
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萬徳寺|世界最大級の釈迦涅槃仏(千葉県館山市)

寺なのに本堂はナシ。境内全体が聖域。 安置されているのは巨大な釈迦涅槃仏。お釈迦様の入滅の姿。 体長16m、重さ30トン。 青銅製では世界最大級。 修行を重ねた僧が発願22年にしてようやく昭和57年に建立。
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蔵光寺の御朱印|人里離れたところにある日蓮宗の寺院(千葉県山武市)

蔵光寺の御朱印 
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波切不動院の御朱印|なんか凄いところに建ってます!!(千葉県山武市成東)

波切不動院の御朱印 海の守り神として信仰を集める 奈良時代、行基が建立したかなり古いお寺 近海に海難が多いことから、海難除けの不動明王尊像を刻まれた(行基作) 不動尊の常夜灯が沖合を漂流する漁船まで「波を切るように届いた」ことから「波切不動尊」と呼ばれるように
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成田山新勝寺の御朱印|初詣参拝客日本一(お寺部門)に参拝に行ってきた(千葉県 成田市)

成田山新勝寺の御朱印 全国初詣参拝客ランキング寺院部門で、堂々の1位(神社・寺院合わせると2位)の成田山。毎年300万人以上が初詣に訪れているという。一体何が人をそこまで惹きつけるのか。
どうする家康

最福寺の御朱印|徳川家康と日善上人の関係性とは(千葉県茂原市)

ご朱印 最福寺  最福寺の住職であった日善上人と徳川家康との出会いは、鷹狩りのため家康公が東金を訪れたことがきっかけだった。鷹狩り期間中、最福寺御殿にて対談したとの記録が残っている。半年後、豊臣征伐の決断ができずにいた家康公は、駿府城へ日善上人を招き密談を行っている。ここでのやり取りが決定的となり、家康公は豊臣征伐を決定し、後の大坂夏の陣へと進んでゆくのであった。
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上総国分寺の御朱印|医王山 清浄院 上総国分寺(千葉県 市原市)

上総国分寺の御朱印 「上総国分寺」は、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、上総国国分寺の後継寺院にあたる。
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笠森観音の御朱印|大悲山笠森寺(笠森観音)(千葉県長生郡)

お寺の紹介地元の人たちからは、「笠森観音」として親しまれているお寺。平安時代に建てられており、明治時代には「国宝」に指定され、その後国指定の「重要文化財」になっているとのこと。確かに観音堂を見上げると、その歴史を感じる。入り口にあるのは、立...[続きを読む]
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勝覚寺の御朱印|萬徳山勝覚寺(千葉県山武市)

勝覚寺にはとても大きく立派な四天王像が四体そろった状態で伝来している。これは鎌倉時代、佛師運慶が護国安穏を祈願して、龍宮に捧げることを目的に海へ流した四天王像であり、近くの大網白里の海岸に流れ着き、運ばれたとされている。
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大福寺(崖観音)の御朱印|船形山大福寺:通称崖観音(千葉県館山市)

お寺の紹介地元では「崖観音」で知られるお寺。名前の通り、切り立った崖の中腹に張り付くようにお堂が建てられている。本堂の両脇には、温暖な館山ならではの大きなソテツが一対植えられていて南国らしさを演出しているようだった。本堂とソテツの組み合わせ...[続きを読む]
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