ゆかりの人物

国分寺

甲斐国分寺の御朱印|廃寺同然であったお寺を復興したのは、やはりあのお方であった(山梨県笛吹市)

甲斐国分寺の御朱印 奈良時代聖武天皇の詔によって建立された「甲斐国分寺」。ところが、平安時代中期から律令国家の衰退と合わせるように寺の荒廃が進んでしまう。豪華絢爛なお堂などは戦乱に巻き込まれ悉く焼失し、広大な土地も次第に失い、廃寺寸前まで追い込まれる。この事態を憂慮した「武田信玄」が、寺の領地寄進や住職の入山など、手厚くサポートし見事に再興させたと伝わる。
北条義時

北條寺の御朱印|北条義時の故郷 江間へ(静岡県伊豆の国市)

北條寺の御朱印 2022年の大河ドラマの主人公「北条義時」が創建したと言われるお寺。義時の嫡子が不慮の事故で命を失った際、冥福を祈るためにこの地を墓所として七堂伽藍や仏殿を建立した。鎌倉幕府二代執権として活躍した後、1224年に急死すると、息子の泰時によってこの寺に墓を建てられたと伝えられている。夫人である「伊賀の方」の墓も横に並んでいる。
どうする家康

最福寺の御朱印|徳川家康と日善上人の関係性とは(千葉県 東金市)

ご朱印 最福寺  最福寺の住職であった日善上人と徳川家康との出会いは、鷹狩りのため家康公が東金を訪れたことがきっかけだった。鷹狩り期間中、最福寺御殿にて対談したとの記録が残っている。半年後、豊臣征伐の決断ができずにいた家康公は、駿府城へ日善上人を招き密談を行っている。ここでのやり取りが決定的となり、家康公は豊臣征伐を決定し、後の大坂夏の陣へと進んでゆくのであった。
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