大河ドラマ

土方歳三

高幡不動金剛寺の御朱印|新選組副長土方歳三ゆかりのお寺に行ってきた(東京都 日野市)

数年前に一度訪れたお寺に再び足を運んだ。このお寺は新選組のゆかりでも有名で、ファンとしては一度は訪れたい場所だ。また、関東三大不動の一つに数えられる不動堂があり、そこには他では見られない少し変わった像が安置されているのも見所の一つだろう。
どうする家康

徳川将軍墓所 (増上寺/寛永寺)徳川家のお墓ってどんなところ?完全ガイド(東京都 増上寺/寛永寺)

増上寺境内に祀られている徳川家の歴代将軍の墓所が一般公開されていると知り、増上寺へと向かった。境内のこじんまりとした一角に将軍たちが埋葬されているが、戦前までは立派な霊廟が立ち並んでいたそうだ。当時に思いを馳せながら手を合わせる。
どうする家康

良玄寺(本多忠勝の墓所)|徳川四天王の一人「本多忠勝」のお墓へ行ってきた(千葉県 大多喜町)

大多喜城下町の名残を残す町並みに、ひっそりと佇む良玄寺。大河ドラマ「どうする家康」でも活躍中の本田忠勝と、大坂夏の陣で戦死した息子「忠朝」が眠る墓所がある。遠くには大多喜城も望むことができる。
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真田丸

生島足島神社の御朱印|真田家や武田信玄ゆかりの神社には、信濃屈指の歴史が眠る(長野県 上田市)

真田家や武田信玄ゆかりの神社として有名だが、実はこの神社は地主神が祀られている場所であることが分かる。この場所は土地の人々から大切にされてきた場所であり、上田という町にとって欠かせない存在と言えるだろう。
真田丸

真田神社の御朱印|日ノ本一の兵(つわもの)を祀る神社(長野県 上田市)

真田氏だけでなく、そのあとに上田を守った仙谷氏や江戸時代の松平氏など、歴代の城主を合祀している神社、真田神社。明治に入ってからの建立であるが、人々の土地や先祖を想う気持ちが現れた神社と言えるだろう。参拝日:2016年5月15日神社の紹介真田...[続きを読む]
大河ドラマ

建長寺の御朱印|鎌倉五山に数えられ北条氏と深い繋がりのあるお寺だった(神奈川県 鎌倉市)

建長寺と言えば、紫陽花だろう。実は、北条氏と深い繋がりがあり、意外な歴史が紡がれていることがわかる。梶原景時の逸話も、面白い。
寺院

龍源寺の御朱印|近藤局長が生まれた故郷を訪ねて(東京都 三鷹市)

龍源寺の御朱印 「新選組局長 近藤勇」が生まれた上石原村(調布市)にある「龍源寺(りゅうげんじ)」に訪問。 近藤勇が板橋刑場で処刑された後、遺族が遺体を引き取り龍源寺に墓を建てたとのこと。局長のルーツを探る旅となった。 江戸時代には徳川将軍が鷹狩りのためにこの地をたびたび訪れては休憩所として利用していたこともあるそう。
京都府

光縁寺の御朱印|新選組総長山南敬助と隊士のお墓があるお寺(京都府 京都市)

光縁寺の御朱印 光縁寺は、新選組にゆかりのあるお寺で、総長の山南敬助や河合耆三郎など多くの戦士たちが埋葬されている。山南敬助は仙台藩出身の北辰一刀流の使い手で、親切な人柄で親しまれていたが、首脳陣との確執から脱走し、隊規違反で切腹に処された。後に彼が葬られた場所が、光縁寺である。
ゆかりの人物

壬生寺の御朱印|新選組ファン必見!京都・壬生寺を訪ねてみた(京都府 京都市)

壬生寺の御朱印 新選組が京都を守るために使用していた屯所が壬生に位置していたため、壬生寺は新選組と関連が深いお寺として有名。壬生寺には、近藤勇の胸像をはじめ、「芹沢鴨」「河合耆三郎」「平山五郎」など、新選組の幹部のお墓もある。
ゆかりの人物

鶴岡八幡宮の御朱印|倒壊した大イチョウは、新しい姿でよみがえろうとしていた(神奈川県 鎌倉市)

鶴岡八幡宮の御朱印 1063年「源頼義」が京都の石清水八幡宮を「鶴岡若宮」として勧請 前九年の役で戦勝祈願をした神社 1081年「源義家」が修復 「鎌倉八幡宮」とも呼ばれ、以降源氏の守り神とされる 「源頼朝」は鶴岡八幡宮を篤く崇敬 鎌倉幕府開府と同年、「鎌倉八幡宮」を現在の場所へ遷す 幕府の重要祭事として「放生会」「流鏑馬」「相撲」「雅楽」などを境内で執り行う
京都府

金戒光明寺の御朱印|新選組の名前が生まれたお寺(京都府 京都市)

金戒光明寺の御朱印 法然上人が結んだ草庵が始まりとされる、とても歴史の深いお寺。幕末には京都守護職「会津藩主・松平容保公」が本陣を敷いた場所で、新選組ともかかわりが深い。
大河ドラマ

修禅寺の御朱印|鎌倉2代将軍「源頼家」最後の地(静岡県 伊豆市)

修禅寺の御朱印 807年(大同2年)に空海が創建し、470年間は「真言宗」 鎌倉時代中期に「曹洞宗」に改宗し、寺名を「修善寺」を「修禅寺」に変更したとの説がある 建長年間、中国の禅僧「蘭渓道隆」が滞在し「臨済宗」に改宗 蘭渓道隆は南宗の皇帝「理宗」から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」と言う額を賜る 中国大陸まで修禅寺の名が広まるきっかけに 源頼朝の弟「源範頼」・息子で鎌倉幕府2代将軍「源頼家」が幽閉され殺害される 範頼には、史料が残ってないこと、子孫が御家人として残っていること、から生存説も 本堂は1883年に再建されたもの 地名は「修善寺」寺名は「修禅寺」と、表記が異なる
土方歳三

會津藩の街並みを散策してきた!(福島県 会津若松市)

新選組局長「近藤勇」が眠る会津の街。ここは京都守護職「松平容保公」が治めた会津藩の土地でもある。豪雪地帯でも知られる会津の街並みでは、そこかしこで幕末の歴史に触れることができた。
土方歳三

天寧寺の御朱印|「會津」には近藤勇の墓所がある(福島県 会津若松市)

天寧寺の御朱印 1413年に創建されたお寺 1868年の戊辰戦争でお堂焼失後、同年に再建 近藤勇と天寧寺 天寧寺には近藤勇の首(又は遺髪)が埋葬されている 東京板橋にて処刑後、京都の三条大橋下流で首を晒され、その後天寧寺へ 首の埋葬時、新選組副長「土方歳三」が会津の東山温泉にて湯治中だったと言われる 当時の会津藩主「松平容保公」より、戒名「貫天院殿純忠誠義大居士」を贈られる 千葉県流山で別れて以後、「近藤勇」と「土方歳三」再開の場となった 現在、「近藤勇」の墓碑の隣に「土方歳三」の慰霊碑も建立されている
どうする家康

芝東照宮の御朱印|東京の港区にある東照宮ってどんなところ??(東京都 港区芝公園)

芝東照宮の御朱印 江戸時代初期の1617年、増上寺の境内に創建 増上寺は徳川家の菩提寺 家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれている 徳川家康の「寿像」をご神体とする 還暦記念に自身の像を家臣に彫らせたもの 「芝東照宮」「日光東照宮」「久能山東照宮」「上野東照宮」は四大東照宮と呼ばれる 明治の神仏分離令により増上寺から切り離され、現在の芝東照宮となった 1945年の東京大空襲により「寿像」と神木であるイチョウを残し、全て焼失 1969年に現在の社殿が再建された
北条義時

鎌倉殿の13人|完全に義時ロス(神奈川県 鎌倉市)

新しい大河も始まりましたが、見るたびに「義時ロス」に陥っていたので 懐かしみながら纏めました。 大河ドラマ絶賛放映中に『大河ドラマ館』へ行ってきた。
大河ドラマ

傳通院の御朱印|新選組の前身「浪士組」結成のきっかけとなった場所(東京都 文教区小石川)

室町時代に、浄土宗第七祖「聖冏」が開創 聖冏の弟子「聖聡(増上寺の開山上人)」の切望により開山 徳川家康の側室「茶阿の方」の菩提寺がある 傳通院の境内にあった子院「処静院」で浪士組が結成 清河八郎の墓所
北条義時

宝戒寺の御朱印|義時も住んでいた北條執權邸舊蹟へ(神奈川県鎌倉市)

宝戒寺の御朱印 鎌倉時代、執権として活躍した北条氏の邸宅跡(通称小町邸) 北条氏が代々住んでいた(泰時・経時・政村除く) 元弘の乱による鎌倉討伐で新田義貞が攻め入った際、屋敷は焼失 1333年北条氏滅亡後、北条氏の霊を弔うために「宝戒寺」を建立 建立したのは後醍醐天皇の命を受けた「足利尊氏
寺院

寶泉寺の御朱印|源さん(新選組副長助勤)の故郷を訪ねて(東京都 日野市)

寶泉寺の御朱印 大河ドラマ新選組!でも人気のあった「源さん」こと井上源三郎の墓所へ行ってきた。訪問時は大河の放送から3年程経過していたが、人気ぶりは健在であり数名訪問者が多く居た。尚、井上源三郎のお墓は「引き墓」であり、供養のためのお墓である。 お寺自体は、臨済宗建長寺派の禅寺。
土方歳三

石田寺(土方歳三墓所)の御朱印|鬼の副長の故郷に馳せ参じた(東京都 日野市)

石田寺の御朱印 「新選組副局長土方歳三」が生まれた石田(いしだ)村にある「石田寺(せきでんじ)」に訪問。 歳三のルーツを探る旅となった。 石田寺には土方歳三の墓と顕彰碑が置かれており、後年になって土方歳三の兄の子孫が建てた「土方歳三義豊之碑」などもあり、土方歳三の聖地となっている。
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