上野東照宮の御朱印|江戸初期に建立された当時の社殿は華やかで荘厳な造りであった(東京都上野)

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あの徳川家康公を祀る神社。それが東照宮。ここは江戸の人々にもお参りに行けるよう、日光東照宮に準じた豪華な社殿が立てられた。戊辰戦争にも、関東大震災にも、東京大空襲にも難を逃れ、江戸初期の姿のまま残っている貴重な社殿である。

参拝日:2024年2月15日

目次

神社の紹介

  • 1627(寛永4年)年、「藤堂高虎」が自身の敷地内に創建
    • 1616年に、危篤の家康から「高虎」と「天海僧正」へ創建を遺言された
  • 「徳川家康(東照大権現)」「徳川吉宗」「徳川慶喜」を祀る
    • 創建当初は、徳川家康、天海僧正、藤堂高虎が御祭神だった
  • 貴重な江戸初期の建築として国の重要文化財に指定
  • 四大東照宮の一つ(日光東照宮・久能山東照宮・芝東照宮・上野東照宮)
  • 現在の社殿は1651年(慶安4年)に「徳川家光」が改築したもの
  • 上野戦争、関東大震災、第二次大戦など多くの戦禍や災害に遭いながら焼失を免れる
    • 「強運の神」としても信仰される
  • 2009~2013年の間、平成の改築工事が行われた
  • 境内に、狸の木造をご神体とした栄誉権現が存在する
    • 「他抜き=たぬき」のご利益があるとされ、合格、就職、当選を願う人が多く参拝する
  • 1980年には、日中友好を記念して境内にぼたん苑が開苑

正式名称

 東照宮|通称:上野東照宮

知っておきたい 東照宮について

全国各地にある東照宮
日光東照宮|徳川家康公の墓所があり、東照宮の総本山。
久能山東照宮|家康が晩年を過ごした駿府(現静岡県)にある東照宮。
芝東照宮|東京の芝にある。元は増上寺内にあったが、神仏分離令で分離された。

ご利益

 出世・勝利・健康長寿

御祭神

 徳川家康|江戸幕府初代将軍
 徳川吉宗|江戸幕府第8代将軍。徳川家康のひ孫
 徳川慶喜|江戸幕府第15第将軍。水戸藩主・徳川斉昭の七男

御朱印

せっかくなので、2月限定の御朱印を頂いた。
四隅の松が冬の寒さを表現し、全体にちりばめられた結晶のようなあしらいが雪を連想させる。

普段、初めて参拝する神社仏閣では、御朱印を帳面に書いてもらいたいので通常の御朱印を頂くことが多いが、今回はこの華やかな特別御朱印に惹かれた。
高級和紙のような手触りの、紙製フォルダに収めていただく。粋だ。

上野東照宮 緣起についての説明

上野東照宮緣起

一六一六年(元和二年)の二月、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まる処を作るよう遺言されました。それを受け、一六二七年(寛永四年) 藤堂家の屋敷地であった当地に寛永寺の一部として創建されたのが始まりです。その後一六五一年(慶安四年)に三代将軍徳川家光公が、現存する社殿へと造営替えを行いました。その際、遠く日光までお参りに行くことが叶わない江戸の人々のため、日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したと伝わります。
幕末の戊辰戦争、関東大震災を乗り越え、東京大空襲では焼夷弾を被るも、不発弾だった為難を逃れ、今も江戸初期に建立された社殿が現存しています。 家康公の強さや社殿の奇跡的な運命から、強運の神様と信仰され、現在は国の重要文化財に指定されています。

御朱印について

中央の印は、創建当初の御祭神「東照神君(徳川家康公)、天海僧正、藤堂高虎」を示しています。明治の神仏分離令にて御祭神が変わり、現在は家康公、吉宗公、慶喜公をお祀りしておりますが、御祭神が変わる以前から御朱印に捺されていた印を今も使用しております。左下の印には「東照宮社務所」と記されております。この御朱印は境内の彫刻や季節の植物をあしらい、期間限定の授与品として奉製致しました。

上野東照宮 東京都台東区上野公園九番八八号

御朱印の際に頂いた由緒書きより

御朱印所

こちらの「神符授与所」にてご朱印を頂ける。まだ新しそうな建物で、とても綺麗!!

参拝時には3種類が頂けた。せっかくなので2月限定の見開きの御朱印を頂くことにした。
他抜御朱印も惹かれるなあ・・。

伊豆山神社 地図

上野公園には何度も訪れているが、上野東照宮に足が向かなかった。看板を見ると、かなり広い敷地であることが分かる。なんでいつも見落としていたのだろうか。

昔の写真|在りし日の上野東照宮

もちろん昔から上野東照宮は名所でもあったので、当時の様子を写す多くの写真が残されている。

明治時代の上野東照宮

国立国会図書館デジタルコレクション|瀬川光行-編『日本之名勝』,史伝編纂所,明33.12
国立国会図書館デジタルコレクション|瀬川光行-編『日本之名勝』,史伝編纂所,明33.12

明治時代の上野東照宮

国立国会図書館デジタルコレクション|『さくら狩』,関西写真製版印刷,明35.4

満開の桜と共に写された一枚。白黒ながら、その美しさを想像することが出来る。今も春はこんな感じなのかな?

明治時代の上野東照宮

国立国会図書館デジタルコレクション|『東京風景』,小川一真出版部,明44.4

参拝客が多く写っている。人気のスポットだったんだな。

明治時代の上野東照宮

国立国会図書館デジタルコレクション|田山宗尭-編『東京府名勝図絵』,ともゑ商会,明45.5

ハットを被った紳士淑女が写っている。当時ハイカラな方だったんだろう。

大正時代の上野東照宮|上野東照宮に於ける久能山大祭

国立国会図書館デジタルコレクション|『歴史写真』大正7年6月號,歴史写真会,大正2-10

徳川家ゆかりの方が参列している様子。

大正時代の上野東照宮|上野東照宮大祭に於ける徳川一門の参拝

国立国会図書館デジタルコレクション|『歴史写真』大正8年5月號,歴史写真会,大正2-10

これは大変貴重な写真!今も徳川一門の参拝が行われているのかな?

みどころ

上野東照宮 大石鳥居

上野公園のメインエリアから少し離れたところにあるので、見落としてしまっていた。
風情のあるお店も残っていて最高に良い雰囲気だ。

【TOSHOGU SHRINE】 神社ってシュラインって言うんだ。聞きなれないわー。

上野東照宮 参道~水舎門

まずは一礼してから鳥居をくぐる。その先に待ち構えるのが水舎門。

この門は、昔の手水舎の屋根を移築して門として使っているんだって!

言われてみると、なるほど確かに門なのに四つ足だ。

屋根には色々なお札が敷き詰められていた。手水舎の屋根を再利用するって発想がとても良い。

上野東照宮 参道~手水舎

上野東照宮 石灯籠

参道の両側には無数の燈籠が並んでいる。その数200基!!

このほとんどが現在の社殿建立時(1651年)に諸大名から奉納されたものだそう。
間近で見ると各大名の名前が刻まれていて、面白い。「土佐藩」や「薩摩藩」「米沢藩上杉氏」などの文字を見つけた。

五重塔も立派である。
実はこの五重塔、元々東照宮所属だったものが、明治の神仏分離令を受けて寛永寺の所属となった。しかし寛永寺は上野戦争で焼失、その敷地の多くを公園用地として没収されてしまった。これにより、上野東照宮から離れた地で再建されたのだそう。現在は東照宮の参道に面している。

東照宮略記の説明

東照宮略記

祭神|徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜
縁起|元和二年二月見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言された。そこで高虎の家敷地であるこの上野の山に寛永四年(一六二七年)に本宮を造営した。その後将軍家光はこの建物に満足出来ず慶安四年現在の社殿を造営替えをし、江戸の象徴とした。

上野東照宮 参道の案内看板より

上野東照宮の説明

上野東照宮(国指定重要文化財) 台東区上野公園九番

 藤堂高虎(一五五六~一六三〇)は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建といわれている。あるいは寛永四年(一六二七)、宮祠を造営したのが創建ともいう。もとは「東照社」と称していたが、正保二年(一六四五)に宮号宣下があり、それ以後家康を祭る神社を東照宮と呼ぶようになった。
 現在の社殿は、慶安四年(一六五一)、三代将軍家光が大規模に造り替えたもので、数度の修理を経ているが、ほぼ当初の姿を今に伝える。社殿の構造は、手前より拝殿、幣殿、本殿からなり、その様式を権現造りという。社殿は都内でも代表的な江戸時代初期の権現造りで、華麗荘厳を極めている。
 唐門、透塀は社殿とともに構造、様式が優れており貴重であることから、参道入口の石造明神鳥居、唐門前に並ぶ銅燈籠四十八基と合わせて国の重要文化財に指定されている。
 平成二十一年三月
 台東区教育委員会

上野東照宮 参道の案内看板より

東京で江戸初期から残る建造物は本当に少ないので、残っていることに感謝!!

とても分かりやすい看板なので助かる。

いよいよ本殿が近づいてきた!遠目に見ても、金色に光り輝く姿が神々しい。

上野東照宮 手水舎

と、その前に手水舎でお清め。
こちらはコンクリ製で比較的新しいように見える。

チロチロと4つの竹穴から水が流れている。
感染対策で柄杓は撤去されているとのこと。なので手のみお清めをする。
この手水鉢は昔からなのかな??

上野東照宮 鈴舎

上野東照宮 鈴舎の説明

明治七年甲戌年 六月
駒込肴町 願主 石屋八右衛門

柏犬の石工、酒井八右衛門寄進の鈴。井亀泉の名で江戸三大石匠と呼ばれ、江戸時代から昭和初期まで四代に渡り、多くの石造物を残した。
鳥居や狛犬などには酒井八右衛門、墓碑や顕彰碑には井亀泉の銘を刻んだ。
鈴の来歴は不明であるが、昭和三十年頃珍品であるため人目のつくところにと、この水屋につけられた。
上野東照宮

上野東照宮 参道の案内看板より

拡大した鈴はこんな感じ。手水鉢と比べるとかなりの大きさであることが分かる。

上野東照宮 唐門(本殿前)

そしてようやく目の前に見えて来たのが「唐門」。そして、後ろに堂々鎮座しているのが「本殿」だ。

金色に輝く神社をあまり見たことがないので少し感動している。すごく綺麗。

いやあ、すごいね。まさに金ぴか。
日光東照宮も金ぴかだが、負けてない。

軒裏に当たる部分の彫刻も、とても綺麗!

門の両サイドにいる「登り龍・下り龍」の彫刻も素晴らしい。

上野東照宮 唐門の説明

唐門 (からもん)

1651年造営。 国指定重要文化財。
正式名称は唐破風造り四脚門 (からはふづくりよつあしもん)。
左甚五郎(ひだりじんごろう) 作の昇り龍・降り龍の彫刻や、扉には唐草格子、扉の上には亀甲花菱、正面上部には錦鶏鳥・銀鶏鳥の透かし彫りなど非常に精巧を極めたものである。 昭和25年重要文化財指定。

上野東照宮唐門前の案内看板より

奥の本殿は、別途拝観料(500円)を支払うと入れます。

この日は後に予定詰まっていたため、あえなく断念。
次回はじっくりと見学したい。

唐門の前には無数の銅燈籠が並んでいる。
この日は外国人観光客も多く見られた。渋い!数ある観光地でここを選ぶとは、日本玄人。
東京に居ながら、「日光東照宮」のように江戸初期の歴史を感じられて、豪華絢爛な建物を見られるのは、なかなかに貴重だ。

御三家燈籠

唐門の脇にあるひときわ大きな燈籠が「御三家燈籠」だ。
左から 紀伊・水戸・尾張 の順で並んでいる。

上野東照宮 御三家燈籠の説明

御三家灯籠

これら唐門両側の六基の銅灯籠は家康公36回忌である慶安四年(1651年)四月十七日に奉納された。
尾張・紀伊・水戸の「徳川御三家」 より2基ずつ奉納されたもので、 すべて重要文化財に指定されている。
笠の龍が舌を巻いているようなモチーフは「蜃 (しん) 」 という想像上の動物で、ロから気を吐き蜃気楼を作るといわれている。
火袋の天女の装飾が美しく精巧である。

灯籠の奉納者は唐門より順に以下のように並んでいる。
・紀伊 従二位大納言 徳川頼宜(家康の十男)
・水戸 正三位權中納言 徳川頼房(家康の十一男)
・尾張 從三位兼右近衛權中将 徳川光義(家康の孫、家康の九男義直の子)
御三家の中では尾張・紀伊・ 水戸の序列が一般的なので、通例だと兄弟の順からも九男が興した尾張家が一番唐門側に来るのであるが、奉納の前年に義直が他界し子の光義(後の光友) が家督を継いだばかりでまだ官位も低かったため、唐門から最も遠い場所に奉納し、このような順になったと考えられる。

上野東照宮 御三家燈籠前の案内看板より

これが「蜃 (しん) 」 という想像上の動物なのだそう。初めて聞いた。

上野東照宮 境内

2月限定御朱印の案内

今回頂い御朱印もこの看板につられてしまったのである。
見たら欲しくなるよね~

上野東照宮の絵馬

上野東照宮の祭神である「徳川家康」の勝ち運や、本殿が現存していることから「運やツキ」がある神社としてもご利益があるとのこと。
近くの上野大仏と併せて合格祈願するのも良さそう!

徳川武将おみくじ

成田山では「凶」だったので、ここでもう一度再チャレンジ!

結果は…..

大吉~!!  しかも武将は四天王の本多忠勝!良かった。

令和六年 巨大絵馬

今年は辰年!登り龍の如く運気が上昇したいものである。

アクセス

住所

所在地東京都台東区上野公園 9-88
最寄駅「JR上野駅」下車 公園口から徒歩約10分
駐車場情報有料の駐車場あり
公式サイトhttps://www.uenotoshogu.com/

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