国宝

寺院

圓應寺(円応寺)の御朱印|閻魔大王がご本尊!?鎌倉の珍しいお寺(神奈川県 鎌倉市)

円応寺の御朱印 1250年(建長2年)、建長寺を開山した蘭渓道隆の弟子「桑田道海」が創建と伝承 本尊の木造閻魔王坐像は建長2年に作られ、1520年に一度修理が行われた 現在は東部が鎌倉時代のもので、他は江戸時代のもの 関東大震災後にも補修 像の表情から「笑い閻魔」とも呼ばれる 閻魔王含む十王 地獄で、亡くなった人の審判を行う裁判官
寺院

厳島神社の御朱印|海の上に浮かぶ神秘の神社「世界遺産」厳島神社に行ってきた(広島県廿日市市 宮島)

言わずとしれた広島を代表する神社。推古天皇の時代(593年)に建てられており、平清盛により現在の海上に浮かぶ社殿が修造された。1952年には「国宝」に指定され、その後1992年に「世界遺産」になっているとのこと。まさに傑作であり、日本を代表する建造物である。
千葉県

笠森観音の御朱印|日本で唯一の『四方懸造り』で造られた本堂は必見!千葉でも有名なお寺に行ってきた(千葉県長生郡)

本堂の観音堂は大きな岩の上に建立され、日本唯一の建築様式である「四方崖造り」と言われる構造だ。61本もの柱に支えられた本堂は一見の価値がある。また、本堂自体も784年で最澄によって開基されたもので、非常に歴史のある古刹だ。
ゆかりの人物

日光東照宮の御朱印|何が違う?平成の大改修を終えた日光東照宮(栃木県 日光市)

日光東照宮の御朱印 1617年(元和3年)、徳川家康(東照大権現)をご祭神に祀った神社 「久能山東照宮」「上野東照宮」とともに三大東照宮に数えられる 家康が亡くなった翌年に、遺言状に従う形で久能山から日光東照宮へ遷された 1645年(正保2年)、宮号を賜り「東照宮」と呼ばれるようになる 現在の主な社殿は、3代将軍家光により、1636年(寛永13年)に建て替えられたもの 隣接する輪王寺は、源頼朝の時代から東国の宗教的権威となっていた 家康が東照宮をここに置いた理由と考えられる
どうする家康

徳川家霊廟|徳川家のお墓っていったいどんなところ?霊廟と将軍について完全ガイド(東京都 増上寺/寛永寺)

増上寺境内に祀られている徳川家の歴代将軍の墓所が一般公開されていると知り、増上寺へと向かった。境内のこじんまりとした一角に将軍たちが埋葬されているが、戦前までは立派な霊廟が立ち並んでいたそうだ。当時に思いを馳せながら手を合わせる。
京都府

八坂神社の御朱印|京都祇園と言ったらまずここ!(京都府 京都市)

京都観光で欠かせない名所と言えば、やはり八坂神社だろう。その歴史は古く、飛鳥時代までさかのぼる。素戔嗚尊すさのおのみことを祀る神社として、全国の関連する神社の総本社なのだそう。四条通正面に大きく構える美しい楼門も見どころの一つだ。
大河ドラマ

建長寺の御朱印|鎌倉五山に数えられ北条氏と深い繋がりのあるお寺だった(神奈川県 鎌倉市)

建長寺と言えば、紫陽花だろう。実は、北条氏と深い繋がりがあり、意外な歴史が紡がれていることがわかる。梶原景時の逸話も、面白い。
奈良県

唐招提寺の御朱印|鑑真和尚が創建した歴史深い奈良の寺院(奈良県 奈良市)

奈良にある唐招提寺は、静かな中にも威厳を感じる美しい場所だ。日本の代表的な仏教寺院の一つであり、多くの人々から大切にされている。
寺院

鎌倉の大仏の御朱印|鎌倉と言ったら鎌倉の大仏!!(神奈川県鎌倉市)

鎌倉の大仏といえばこの高徳院。座っているのは国宝の「銅造阿弥陀如来坐像」。大仏は、奈良東大寺の大仏に大きさが及ばぬものの、造られた当時の像容を保っており、芸術的に重要な価値がある。大仏に関連した歴史資料館も併設されている。胎内巡りも並ばずに...[続きを読む]
京都府

清水寺の御朱印|清水の舞台には釘が一本もないなんて信じられない(京都府 京都市)

清水寺の御朱印。京都を代表する観光スポット、清水寺。有名な清水の舞台は、一度は訪れてみたい憧れの場所だ。
寺院

日光山輪王寺の御朱印|徳川三代将軍「家光」が眠る輪王寺(栃木県 日光市)

輪王寺の御朱印 徳川家光の霊廟である「大猷院廟」がある、世界遺産のお寺 「東照宮」「二荒山神社」「輪王寺」を総称して「二社一寺」と呼ばれる 766年(天平神護2年)に、勝道上人が開山 平安時代、空海・円仁が訪れる 鎌倉時代、源頼朝の寄進などにより東国の宗教的権威として栄える 江戸時代、徳川家康の東照宮、三代将軍家光の大猷院廟(家光の法号)が建立される 天海大僧正(慈眼大師)が住職となり家康公を「東照大権現」として日光山に祀る さらに慈眼大師・三代将軍家光も祀られ、後続出身の僧侶が幕末まで管理するようになる
大阪府

住吉大社の御朱印|日本全国に約2,300社!住吉神社の総本社に行ってきた(大阪府 大阪市)

住吉大社の御朱印 第14代「仲哀天皇」の后「神功皇后」が(211年)創建 神功皇后の新羅平定(三韓征伐)後、住吉大神の加護に感謝して創建したと言われている 古くから信仰が篤く「摂津国の一宮」として社格が与えられる 鎌倉時代の「源頼朝」をはじめ、多くの武家から崇敬される 全国約2,300社ある住吉神社の総本社 昭和21年までは、朝廷や国からお供え物をする「官幣大社」だった 本殿の4棟は【国宝指定】
神社

三嶋大社の御朱印|源頼朝が深く信仰したのはなぜか?(静岡県 三嶋市)

三嶋大社の御朱印 創建時期は不明だが、奈良時代の古書にも記録が残っている 東海随一の神格で、平安時代中期に編纂された「延喜式」に「名神大」として掲示されている 伊豆に流された「源頼朝」は特に深く信仰し、源氏の再興を祈願した 源氏再興後、頼朝は多くの社領や新法を寄進し、より一層信仰を強めた 北条政子が奉納したと伝えられる「梅蒔絵手箱」と内容品一式は【国宝】 源氏再興の成功以後、伊豆国の一宮として多くの武家からも信仰を集めた 地理的には、東海道に面し下田街道の起点に位置しており、伊豆国の一宮として広まった
寺院

瑠璃光寺の御朱印|なぜ、山口発展の象徴となったのか?(山口県 山口市)

瑠璃光寺の御朱印 嘉吉2年(1442年)、「大内義弘」の菩提を弔うために弟「盛見」が建立 当時は「香積寺」の境内だった 江戸時代初期、「香積寺」が萩へ移転、跡地に「瑠璃光寺」が移転してくる 以降「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれている 室町時代の優れた建築の一つとして、国宝指定 屋外にある五重塔としては国内で10番目の古さ 京都「醍醐寺」、奈良「法隆寺」と並び日本三名塔の一つに数えられることもある 大内文化の最高傑作 香山墓地 萩市の「天樹院」「大照院」「東光寺」とともに長州藩主の墓所となっている 明治維新当時の13代当主「毛利敬親」などの墓がある 「瑠璃光寺五重塔の下には、大内義弘の棺が埋まっている」との口伝がある
京都府

知恩院の御朱印|浄土宗総本山の迫力に圧倒された(京都府 京都市)

「法然」が開山 江戸時代初期、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定める 家康・秀忠により、本堂や山門など多くの建物が建立される その後火災によりほぼ全焼するが、家光のもとで直ちに再建される 境内は3段に分かれている 上段:開創当初の敷地で勢至堂・法然廟がある 中段:徳川幕府によって造営された敷地で本堂など中心的な伽藍がある 下段:中断と同じく徳川幕府造営の敷地で山門・塔頭寺院がある
寺院

浄土寺の御朱印|転法輪山 大乘院 浄土寺(広島県尾道市)

御朱印 616年聖徳太子によって開かれたと言われる古寺。一時は堂塔を守る人もいない状況だったが、鎌倉中期に中興されたと言われている。境内には国宝の本堂・多宝塔、重要文化財の阿弥陀堂がある。山門を入ると境内が広がり、たくさんの鳩が出迎えてくれた。
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