天皇が起源の神
- 神社に祀られている神様の多くは、「古事記」や「日本書紀」の日本神話に登場する。
- 日本国を作った天皇家が誕生してからは、天皇を起源とする神様が増えていく。
- 各地で信仰される神様と天皇家を一体化することで天皇を神格化。強大な権力を集中させた。
古代から地域で信仰されてきた神
- 古事記・日本書紀に記される神以外にも「八百万の神」として日本には多くの神が存在。
- 古代から日本各地に神社は存在し、その土地ごとの神様を信仰していた。
神格化された歴史上の人物や自然に宿る神
- 菅原道真公を祀った「天満宮」、徳川家康公を祀った「東照宮」、二宮尊徳を祀った「報徳神社」など。
- 太陽を神格化した「伊勢神宮」、星を神格化した「千葉神社」、雷を神格化した「雷電神社」など。
神社の数ってどれくらいあるの?
【神社の数とは】
「全国神社祭祀祭礼総合調査」(1990~1995年)調査。
(※法人格を持たない神社や祠は調査対象外としている。)
【系統別の全国の神社数】
1.八幡 7,817社 総本社=宇佐神宮
2.伊勢 4,451社 総本社=伊勢神宮
3.天神 3,953社 総本社=北野天満宮(生れ故郷)、太宰府天満宮 (終の棲家)
4.稲荷 2,924社 総本社=伏見稲荷大社
5.熊野 2,693社 総本社=熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社
6.諏訪 2,616社 総本社=諏訪大社
7.祇園 2,299社 総本社=八坂神社(※津島信仰を含む)
8.白山 1,893社 総本社=白山比咩神社
9.日吉 1,724社 総本社=日吉大社
10.山神 1,571社 総本社=不明
11.春日 1,072社 総本社=春日大社
12.愛宕 872社 総本社=愛宕神社
13.三島/大山祇 704社 総本社=大山祇神社(大山祇)、三嶋大社 (三島)
14.鹿島 604社 総本社=鹿島神宮
15.金毘羅 601社 総本社=金毘羅神宮
16.住吉 591社 総本社=住吉大社
17.大歳 548社 総本社=不明
18.厳島 530社 総本社=厳島神社
19.貴船 463社 総本社=貴船神社
20.香取 420社 総本社=香取神宮
21.恵比寿 408社 総本社=西宮神社、美保神社
22.浅間 397社 総本社=富士山本宮浅間大社
23.秋葉 362社 総本社=秋葉山本宮秋葉神社
24.荒神 317社 総本社=不明
25.賀茂 277社 総本社=賀茂別雷神社、賀茂御祖神社
26.水神 277社 総本社=不明
※〈全部わかる神社ガイド 成美堂出版〉より抜粋
それぞれの信仰と祭神について(上位7つを紹介)
一:八幡信仰 (全国におよそ7,800社と一番多い)
【八幡信仰とは】
- 八幡信仰とは、元々は土着の神(※新羅(現韓国)から来た神との説もある)であり、応神天皇の神霊として称え奉っている。
- 応神天皇は弓術の達人とされており、平安時代には、源氏が武の神や出世開運の神として崇められたことから、武家や民衆など多くの民衆から信仰を集めた。
【八幡の意味は?】
八幡信仰の起源は古く、奈良時代の571年に宇佐の地(現大分県)に現れたとされている。
その後、725年に八幡神をお祀りした神社(現八幡総本宮宇佐神宮)が創建された。
この「八幡」の文字が初めて出てくるのは『続日本紀』の、737年頃に初めてその名前が登場した。
この八幡の意味であるが、当時「八」という字は「数が多い」との意味を持ち、八重桜(何枚もの花びら)/八千代(長い年月)などにも用いられている。また「幡」という字は、神の依り代(神霊が寄り着く物)としての「旗」を意味する言葉とみられ、「八幡」は数多くの旗(神の依り代)を意味している。
ご祭神|応神天皇とは
応神天皇と神功皇后の子
応仁天皇は、神功皇后の三韓征伐の帰り道の筑後にて、300年後半~400年前半頃に生まれたとされている。
応神天皇は、『日本書記』では誉田別尊(ほんだわけのみこと)と記されており、現在の神道では応神天皇と同一視されている。しかし、『古事記』・『日本書紀』・『続日本紀』に八幡神を応神天皇としたとの記述ははみられず、八幡神の由来は当初、応神天皇とは無関係であった。
ご神徳
【武運の神様】
厄除け・必勝・出世開運
信仰の対象
八幡神・応神天皇・八幡大菩薩
八幡信仰の総本社
八幡総本宮 宇佐神宮|大分県宇佐市
創建|725年・聖武天皇
三大八幡宮
宇佐神宮|石清水八幡宮|筥崎宮or鶴岡八幡宮
二:伊勢信仰 (全国におよそ4,500社と2番目に多い)
【伊勢信仰とは】
- 伊勢信仰とは、日本全国で根強い信仰を集めている。その中心に位置するのが伊勢神宮である。
- 伊勢神宮は「お伊勢さん」の愛称で親しまれ、江戸時代には御師による布教の成果により、「伊勢参り」や「お蔭参り」などの独自の儀式が信仰者たちの間で大流行した。
- 「日本国民の総氏神」として、全ての神社の上に立つ神社である。
【なぜ伊勢の地に?】
垂仁天皇の頃伊勢神宮(内宮)の御祭神である天照大神をお祀りするために最適な場所を探すため、垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)により各地を歩き回ったところ、「この地が大変気に入った」とのお告げがあり、伊勢の地に伊勢神宮を創建した。
ご祭神(内宮) |天照大御神とは
天上界を治める太陽の神
天照大御神は、神々が住む天上界(高天原)を治めている太陽を司る神である。父であるイザナギの左目から生まれたとされる。
皇祖神
初代天皇である神武天皇の祖先でもある天照大御神は、皇室の祖神として特別な位置付けとされた。
ご祭神(外宮) |豊受大御神(とようけのおおかみ)とは
食物・穀物を司る女神
神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神とされている。
伊勢神宮の外宮の御祭神
雄略天皇が夢の中で天照大神に出会い、「一人では安らかな食事ができないので丹波国の比治の真奈井に住む御饌の神、豊受大御神近くに招き寄せなさい」とのお告げを受け、外宮にお祀りすることが始まり。
ご神徳
【所願成就の神様】
国家安泰・五穀豊穣・産業発展
信仰の対象
内宮|天照大御神
外宮|豊受大御神(とようけのおおみかみ)
伊勢信仰の総本社
伊勢神宮|三重県伊勢市
創建|およそ2000年前・倭姫命(やまとひめのみこと)
その他の伊勢信仰の神社
神明神社(天照大神)、天祖神社(天照大神)、芝大神宮(天照大神・豊受大神)、など
三:天神信仰 (全国におよそ4,000社と3番目に多い)
【天神信仰とは】
- 天神信仰とは、「天満大自在天神」の略称であり、菅原道真公を祭神としている。
-
元々「天神」とは「あまつかみ」と読み、特定の神を指すものではなかったが、菅原道真公の怨霊が雷神と結びつき、天神≒雷神とされるようになった。
-
学問の神として信仰が広まる。
【祟り神から学問の神へ】
「菅原道真」の出世を妬む「藤原時平」に太宰府へ左遷され、失意のもと亡くなってしまう。
その後、無実の罪を着せた藤原時平は急死し、御所への落雷があり多くの死傷者を出すことになってしまった。
これを菅原道真公の祟りと噂され、「火雷神」と「菅原道真公の怨霊」が結び付けられた。
その後、北野の地に霊を鎮めるべく神社を建立し、朝廷より「天満大自在天神」の称号が送られた。
こうして怨霊は静まり、菅原道真公の功績を称えると共に、生前の和歌や学問が長けていたことから「学問の神」として神格化され江戸時代の庶民に信仰が広まっていった。
ご祭神|菅原道真公とは
学問の神
菅原道真公は、平安時代初期の日本の学者・政治家であり、学問や文芸の分野で卓越した才能を発揮し、学術の振興に尽力した。
菅原道真はその優れた才覚ゆえに、後に官職に就きながらも政治的な軋轢に巻き込まれ、その結果大宰府(現在の福岡県)に左遷され失意のもと亡くなってしまう。
生前より、菅原道真公は多くの人々に尊敬されており、死後は神格化されました。
その後、菅原道真は天満宮の祭神として崇敬され、学問・文芸・商売繁盛などの神として信仰されています。
ご神徳
【学問の神様】
文芸・商売繁盛
信仰の対象
菅原道真公・天満大自在天神
天神信仰の総本社
北野天満宮(生れ故郷)|京都府京都市上京区
創建|947年・神主 神良種(みわのよしたね)ら
太宰府天満宮 (終の棲家)|福岡県太宰府市
創建|919年・門弟 味酒安行(うまさけのやすゆき)
その他の天神信仰の神社
天満宮・天満神社・天神社・菅原神社・北野天神社など
四:稲荷信仰 (全国におよそ3,000社と4番目に多い)
【稲荷信仰とは】
- 稲荷信仰とは、稲を始めとする穀物の神、稲荷神(いなりのかみ)を祭神としている。
-
五穀を司る神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と稲荷神は同一視されているため稲荷神社の多くは宇迦之御魂神をご祭神としている。
-
古代での稲荷の信仰は、元々は渡来人であった秦氏の氏神である農耕の神から始まった。
秦氏の勢力が拡大するにつれ稲荷の信仰も広まり、やがて日本の宇迦之御魂神と習合された。 - 稲荷神は稲荷大明神とも呼ばれ、庶民などにはお稲荷さんで親しまれている。
- 穀物の神、または産業の神として信仰が広まる。
【稲荷信仰の神であり仏教での仏でもある!?】
稲荷神は、「神仏習合思想」においては仏教の女神「荼枳尼天(だきにてん)」と同一視されており、そのため仏教寺院でも祀られることがある。(豊川稲荷など)
この仏教の仏である荼枳尼天とは、人間と獅子との間に生まれ、鳥獣や人肉を食すとされ、やがて死者の心臓のみを食するようになった。これが狐の習性(死肉を食べたり、人間の死期を予言する)と重なることから、日本の神道であった稲荷信仰と習合することとなった。
ご祭神|宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とは
素戔嗚尊の子
名前にある「うか」とは、食を意味し、穀物・食物を指しており、五穀豊穣を司る神として崇められている。
穀物の中でも稲との関係が深く、日本全国に信仰が広まった。
稲荷の名前の由来とは
稲が成ることが由来
伏見稲荷大社は、奈良時代の711年に「秦 伊呂具」によって、創建された。
「山城国風土記」によると、この地には昔から裕福な秦氏族である伊呂具が住んでいた。ある日、伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、餅が白鳥に化けて飛んでいき、この山に降りてそこに稲が成ったとある。この場所こそが伏見稲荷大社の場所である。
ご神徳
【穀物の神様】
五穀豊穣・商売繁盛・産業発展
信仰の対象
稲荷神・宇迦之御魂神・荼枳尼天
稲荷信仰の総本社
伏見稲荷大社|京都府京都市伏見区
創建|711年・秦 伊呂具(はたの いろぐ)
日本三大稲荷神社
・伏見稲荷大社(京都府)
・笠間稲荷神社(茨城県笠間市)
・祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)
稲荷信仰のお寺
・豊川稲荷(愛知県豊川市)
・豊川稲荷東京別院(東京都港区赤坂)
他
五:熊野信仰 (全国におよそ2,700社と5番目に多い)
【熊野信仰とは】
- 熊野信仰とは、古くから山岳信仰として存在し、修験道の修行の地とされている。
- 熊野権現を祭神としている。
- 古代の熊野では、地域の有力者(豪族)は熊野川の上流・河口に祖先の神々を祀っていた。
-
奈良時代より山中で法華経を読み、その教えに基づき修行をする僧侶「持経者」が多く居た。彼らは非常に厳しい修行を行い、命を捨てて罪を滅ぼす捨身行も行われた。これら僧侶たちの山岳修行が、後の修験道の起源となった。
- 樹木/山・海・滝の神の自然信仰と祖先神信仰の神道に密教が合わさり熊野信仰へとなった。
【熊野信仰の熊野三山について】
熊野信仰の大事な要素でもある「熊野古道」。これは熊野にある三つの神社を結ぶ参詣道のことであり、ここを歩くことは「熊野詣」と呼ばれ、皇族を始め、武士から庶民へと流行した。
三つの神社とは「熊野本宮大社(本宮)」「熊野速玉大社(新宮)」「熊野那智大社(那智)」であり、それぞれに熊野三所権現をご祭神として祀っている。
【本地垂迹説について】
奈良時代になると仏教が盛んになり、神道の八百万の神々は仏の仮の姿であり、状況に応じて仏が様々な神の姿へと代わるとの解釈が生まれた。(本地垂迹説)
【熊野三所権現とは】
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)
熊野本宮大社(本宮)のご祭神
垂迹神|素戔嗚(すさのお)
本地仏|阿弥陀如来
熊野速玉男大神(くまのはやたまおのおおかみ)
熊野速玉大社(新宮)のご祭神
垂迹神|伊邪那岐(いざなぎ)
本地仏|薬師如来
熊野牟須美大神(くまのむすみのおおかみ)
熊野那智大社(那智)のご祭神
垂迹神|伊邪那美(いざなみ)
本地仏|千手観音
ご神徳
現世利益・来世救済・縁結び
信仰の対象
・熊野三所権現・熊野十二所権現
熊野信仰の三社
熊野本宮大社|和歌山県田辺市
創建|伝・崇神天皇65年・神が降臨した
熊野速玉大社|和歌山県新宮市
創建|伝・景行天皇58年・神が降臨した
熊野那智大社|和歌山県那智勝浦町
創建|伝・仁徳天皇5年・神武天皇
六:諏訪信仰 (全国におよそ2,600社と6番目に多い)
【諏訪信仰とは】
- 諏訪湖周辺の自然物を御神体とした信仰。(上社は守屋山、下社はイチイの木と杉の木。
- 国譲りの神話で登場する建御名方神(たけみなかたのかみ)と妃の八坂刀売神(やさかとめのかみ)を祭神としている。
- 建御名方神は建御雷神(たけみかづちたのかみ)との戦いに敗れ、諏訪の地で国造りを行う
- 古代は雨・風を司る神として崇められ、五穀豊穣・狩猟・開拓の神としても崇められていた。
-
甲斐の武田家は軍神として信仰が厚かった諏訪信仰を古くから代々崇敬していた。武田信玄公により信濃の国(諏訪のある国)を領地とた際は、諏訪大社を手厚く庇護した。
【神事で有名な御柱祭り】
大きな木に跨り、崖から滑り降りるという荒々しい一場面が有名なお祭り「御柱祭り」。様々なメディアで取り上げられるので一度は目にしたことがあると思うが、このお祭りは諏訪大社での神事である。
この神事は「御柱祭(おんばしらさい)」と呼ばれ、正式には「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」と言う。大きなモミの木を御柱として、6年に一度の寅年と申年に四社(上社の2社と下社の2社)の社殿の四隅に建て替える神事である。
この神事の始まりは古く、1200年以上前の平安時代から行われている。
ご祭神|建御名方神(たけみなかたのかみ)
大国主命の御子神|三大軍神の一人
国造りの神話によると、出雲の国造りの際、武神である建御雷神との争いに挑むもの、敗れてしまい遠く諏訪の地に追いやられてしまった。しかし、勝負には負けたが、強いものに立ち向かう姿や、劣勢でも挫けない姿から、軍神として崇拝されるようになった。武士の武田信玄も崇拝している。
ご祭神|八坂刀売神(やさかとめのかみ)
建御名方神の妃神|水と農耕の神
諏訪固有の神とされ、「八坂」のヤサカは「弥栄(いやさか)」に通じるとされ「ますます栄える」との意味を含んでいるとの考えもある。
諏訪湖で有名な「御神渡り」
上社におられる建御名方神が、下社の妃である八坂刀売神に会いに行く際、凍った諏訪湖の氷上を渡る様子が、今なお伝説として語り継がれ、「御神渡り」と呼ばれている。
ご神徳
【戰や勝負の神・開拓の神】
五穀豊穣・狩猟・航海の安全
信仰の対象
・建御名方神・八坂刀売神
・御神体(守屋山・杉の木・いちいの木)
諏訪信仰の総本山である四社
○上社
諏訪大社 上社本宮|長野県諏訪市
創建|不詳(日本最古の一つとされる)
諏訪大社 上社前宮|長野県茅野市
創建|不詳(日本最古の一つとされる)
○下社
諏訪大社下社春宮|長野県下諏訪町
創建|不詳(日本最古の一つとされる)
諏訪大社下社秋宮|長野県下諏訪町
創建|不詳(日本最古の一つとされる)
七:祇園信仰※津島信仰含む(全国におよそ2,300社と7番目に多い)
【祇園・津島信仰とは】
- 平安時代、京の都で疫病が流行し多くの死者が出たため、疫病祓いとして御霊信仰(※1)が始まる。 疫病を退散させるため、疫病をもたらす素戔嗚尊(※2)を祭神として祀り疫病退散を願った。
- 素戔嗚尊と同じような気性であった牛頭天王(ごずてんのう)と習合し、併せて信仰された。
- 津島信仰(愛知県)も同じく牛頭天王を信仰しているが、これは平安時代に神職の御師にて東海地方に広められたとされている。
-
祇園神社で行われる祇園祭は「疫病払い」のための神事である。新型コロナの流行で中止となったが、「本末転倒」であると大問題となった。
※1 祟り神を祀り、その神にご機嫌をとって祟りを回避する信仰を「御霊信仰」と言う。
※2 祇園信仰はもともと疫病をもたらすとされていた素戔嗚尊(牛頭天王)を手厚くお祀りすることで、疫病を防ごうとしていた。
ご祭神|素戔嗚尊(すさのおのみこと)
天照大御神の弟神
気性が荒く凶暴であり、いたずらも酷いため、いつしか疫病神とされていた。
このため世間で疫病が流行すると、素戔嗚尊が疫病をもたらしていると考え、逆に素戔嗚尊を丁重にお祀りすることで、疫病を防ごうとした。
お祀りすることで、疫病を鎮められることから、いつしか疫病退散の神として信仰されるようになった。
スサノオと習合した牛頭天王とは?
インド起源の「祇園精舎」の守護神
お釈迦様が説法をしたとされる祇園精舎の守護神が牛頭天王。こちらも気性が荒い性格から素戔嗚尊と同一視された。その牛頭天王と同一視されたのが、備後風土記に登場する「武塔天神」である。この武塔天神は素戔嗚尊の生まれ変わりともされており、神仏習合が入り乱れている…。
ご神徳
【知略の神・嵐の神】
厄除・必勝・病気平癒
信仰の対象
・素戔嗚尊・牛頭天王・武塔天神
祇園信仰の総本山社
八坂神社|京都府京都市東山区
旧社名 |祇園社・感神院
創 建|伝・斉明天皇2年(656年)
同信仰の神社|八坂神社・祇園神社・弥栄神社
津島信仰の総本山社
津島神社|愛知県津島市
旧社名 |津島牛頭天王社
創 建|欽明天皇元年(540年)
同信仰の神社|津島神社・天王神社
まとめ
「○○八幡」や「〇〇稲荷神社」と、聞いたことはあるが、一体何をお祀りしているか、何の神様なのか、ピンと来ていなかった。が、こうして一つ一つまとめることで、神社とは一体なにをお祀りし、どのような神徳を得るために祈願しているのかを理解することが出来た。
これからの神社巡りがもっともっと楽しくなること間違いなし!!