阿弥陀如来

千葉県

千葉寺の御朱印|千葉氏ゆかりのお寺はなんと奈良時代に創建された大変由緒のあるお寺だった!(千葉県 千葉市)

千葉寺の御朱印 「千葉寺」の読み方は「せんようじ」 でも地名は「ちばでら」 諸国行脚中の行基が「観音像」を刻み、安置したのが始まり 1本の茎に二つの花と千の葉をもつ青い蓮華、中には阿弥陀如来と観音が並んで説法をしていた 聖武天皇の時代には大きな観音堂が建てられていた 奈良時代後半には、近藤、南大門、灯台門、西大門、講堂などの伽藍が並んでいた 平安後期には落雷で本尊以外のすべてを焼失 千葉氏の居城でもある猪鼻城に近いことから、千葉氏の勅願所として栄えた 源頼朝が平家打倒を祈願した 平家を打ち滅ぼした後、頼朝は「千葉常胤」に命じて運慶作の「愛染明王」を寄進した 千葉氏は北条氏と共に滅亡したが、寺は後に徳川家により保護された 度重なる火災や戦災で焼失しており、現在の建物は昭和51年に再建されたもの
寺院

増上寺の御朱印|徳川将軍家菩提寺の御朱印を徹底解説!境内の案内板も詳しく掲載します。(東京都 芝)

増上寺は、歴代徳川将軍の墓所が置かれており、徳川家の菩提寺となっている。家康が大切にしていた「黒本尊」も祀られており、とても縁の深いお寺だ。
寺院

甲斐善光寺の御朱印|長野にある善光寺と甲斐善光寺はとても関係性の深いお寺であった(山梨県 甲府市)

善光寺と言うと、長野県信濃にある善光寺を真っ先に思い浮かべるが、実は甲斐にも善光寺が存在する。もちろん両寺院には深い関係があったのだ。
どうする家康

良玄寺(本多忠勝の墓所)|徳川四天王の一人「本多忠勝」のお墓へ行ってきた(千葉県 大多喜町)

大多喜城下町の名残を残す町並みに、ひっそりと佇む良玄寺。大河ドラマ「どうする家康」でも活躍中の本多忠勝と、大坂夏の陣で戦死した息子「忠朝」が眠る墓所がある。遠くには大多喜城も望むことができる。
寺院

深大寺の御朱印|深大寺蕎麦で有名な深大寺に行ってきた(東京都 調布市)

国宝の阿弥陀如来像や、秘仏とされている元三大師像など、ありがたい仏様がいらっしゃる、深大寺。そして、深大寺と言えば何といっても深大寺蕎麦。たくさんのお蕎麦屋さんが立ち並んでいるので、お寺参拝の折にはぜひ立ち寄りたい。参拝日:2023年4月4...[続きを読む]
寺院

鎌倉の大仏の御朱印|鎌倉と言ったら鎌倉の大仏!!(神奈川県鎌倉市)

鎌倉の大仏といえばこの高徳院。座っているのは国宝の「銅造阿弥陀如来坐像」。大仏は、奈良東大寺の大仏に大きさが及ばぬものの、造られた当時の像容を保っており、芸術的に重要な価値がある。大仏に関連した歴史資料館も併設されている。胎内巡りも並ばずに...[続きを読む]
京都府

平等院鳳凰堂の御朱印|鳳凰堂平成大修理の前と後を比較してみた|(京都府 京都市)

平等院鳳凰堂は、10円玉で有名な国宝建築物であり、一度は訪れてみたい場所として知られている。運よく2回訪れることができたが、ちょうど平成の大修理前後に訪れたため、修復された美しい鳳凰堂を見ることができた。
京都府

天龍寺の御朱印|日本初の国の史跡・特別名勝に指定された名庭園を堪能しよう!(京都府 京都市)

天龍寺の御朱印。天龍寺は、1339年に足利尊氏によって創立された禅寺で、後醍醐天皇の菩提を弔うために建てられたのだそう。ユネスコの世界遺産に登録されており、敷地のどこを見回しても美しい景観が広がる。特に日本初の国の史跡・特別名勝に指定された曹源池庭園は必見!
京都府

光縁寺の御朱印|新選組総長山南敬助と隊士のお墓があるお寺(京都府 京都市)

光縁寺の御朱印 光縁寺は、新選組にゆかりのあるお寺で、総長の山南敬助や河合耆三郎など多くの戦士たちが埋葬されている。山南敬助は仙台藩出身の北辰一刀流の使い手で、親切な人柄で親しまれていたが、首脳陣との確執から脱走し、隊規違反で切腹に処された。後に彼が葬られた場所が、光縁寺である。
寺院

日光山輪王寺の御朱印|徳川三代将軍「家光」が眠る輪王寺(栃木県 日光市)

輪王寺の御朱印 徳川家光の霊廟である「大猷院廟」がある、世界遺産のお寺 「東照宮」「二荒山神社」「輪王寺」を総称して「二社一寺」と呼ばれる 766年(天平神護2年)に、勝道上人が開山 平安時代、空海・円仁が訪れる 鎌倉時代、源頼朝の寄進などにより東国の宗教的権威として栄える 江戸時代、徳川家康の東照宮、三代将軍家光の大猷院廟(家光の法号)が建立される 天海大僧正(慈眼大師)が住職となり家康公を「東照大権現」として日光山に祀る さらに慈眼大師・三代将軍家光も祀られ、後続出身の僧侶が幕末まで管理するようになる
京都府

金戒光明寺の御朱印|新選組の名前が生まれたお寺(京都府 京都市)

金戒光明寺の御朱印 法然上人が結んだ草庵が始まりとされる、とても歴史の深いお寺。幕末には京都守護職「会津藩主・松平容保公」が本陣を敷いた場所で、新選組ともかかわりが深い。
千葉県

長福寿寺の御朱印|とにかくご利益(特に金運UP)が欲しい方必見!!(千葉県 長南町)

いつも参拝するお寺とはちょっと違った雰囲気の、楽しいお寺に出会いました。ゾウの像が可愛い。
京都府

知恩院の御朱印|浄土宗総本山の迫力に圧倒された(京都府 京都市)

「法然」が開山 江戸時代初期、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定める 家康・秀忠により、本堂や山門など多くの建物が建立される その後火災によりほぼ全焼するが、家光のもとで直ちに再建される 境内は3段に分かれている 上段:開創当初の敷地で勢至堂・法然廟がある 中段:徳川幕府によって造営された敷地で本堂など中心的な伽藍がある 下段:中断と同じく徳川幕府造営の敷地で山門・塔頭寺院がある
千葉県

證誠寺|「しょ、しょ、しょうじょうじ♪」の童謡でお馴染みのお寺は実在する(千葉県 木更津市)

證誠寺の御朱印
寺院

寛永寺 両大師の御朱印|大師様のツートップ?!(東京都上野)

両大師の御朱印 慈眼大師じげんだいし「天海てんかい大僧正」と慈恵大師じえだいし「良源りょうげん大僧正」の両大師を祀るお堂 慈眼大師「天海大僧正」 寛永寺を開山した天台宗の僧侶。慈恵大師良源大僧正を尊崇。 織田信長の焼き討ちで荒れ果てた比叡山延暦寺を、復興した僧侶。寛永寺創建の際には延暦寺に見立てた、と言われている。また、吉野の桜を取り寄せ上野を桜の名所にしたことでも有名。 慈恵大師「良源大僧正」 正月3日に亡くなったことから「元三大師がんざんたいし」とも呼ばれる。比叡山延暦寺の度重なる火災による荒廃の復興を行った。また、規律乱れる僧たちへの教学を推し進め「比叡山中興の祖」と称賛されている。優れた霊力があり、鬼の姿となって疫病神を退散させた時の姿を護符にした「角大師」が非常に有名。おみくじの創始者でもある。 江戸初期、天海大僧正を祀るために創建 もともと寛永寺の伽藍の一部で、「開山堂」・「慈眼堂」と呼ばれていた 後に、寛永寺本坊にあった「慈恵堂」から「慈恵大師像」を移設 以降「両大師」と人々から親しまれるように 平成元年の火災で、開山堂及び本堂が焼失 現在の本堂は再建されたもの
大河ドラマ

傳通院の御朱印|新選組の前身「浪士組」結成のきっかけとなった場所(東京都 文教区小石川)

室町時代に、浄土宗第七祖「聖冏」が開創 聖冏の弟子「聖聡(増上寺の開山上人)」の切望により開山 徳川家康の側室「茶阿の方」の菩提寺がある 傳通院の境内にあった子院「処静院」で浪士組が結成 清河八郎の墓所
寺院

霊巌寺の御朱印|寛政の改革を行ったあの老中の墓所(東京都 清澄白河)

霊巌寺の御朱印 江戸初期、日本橋付近の芦原を埋め立て霊厳島に創建された 数年後、檀林だんりん(僧侶の養成所)が設置され「関東十八檀林」の一つに 寛政の改革を行った「松平定信」の墓所(国指定遺跡) 大名の墓多数→今治藩主「松平家」・膳所藩主「本多家」 江戸六地蔵の第5番(東京都指定有形文化財) 江戸の7大火葬場(荼毘所)
寺院

光明寺の御朱印|清浄山 宝幢院 光明寺(広島県尾道市)

お寺の紹介平安時代初期に円仁の開山によって創建されたという歴史ある古寺「宝幢院 光明寺」。鎌倉時代の末期には、足利尊氏が再興し、浄土宗へと改宗したとのこと。入り口には歴史を感じる門。江戸時代にすべての建物が建て替えられたとのことなので、その...[続きを読む]
寺院

持光寺の御朱印|日輪山 金剛台院 持光寺(広島県尾道市)

お寺の紹介尾道特有の坂道と細い路地を歩き、持光寺に到着。「尾道七佛めぐり」で一番最初に巡るお寺。なお、このお寺は「にぎり仏」が有名だが、この日は人気(ひとけ)がなく閑散としていた。「にぎり仏」とは、棒に刺さった粘土に願い事を込めて片手で強く...[続きを読む]
栃木県

輪王寺の御朱印|日光山輪王寺(栃木県日光市)

お寺の紹介有名な日光東照宮へ向かう参道の途中にある、輪王寺。平安時代に建てられたお寺だが、現在の建物は徳川家光によって建てられたもの。奥へ進むと「大猷院(たゆういん)」が現れる。徳川家光の墓所で、境内に並ぶ315基の灯籠がとても印象的。お墓...[続きを読む]
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