大黒天

寺院

池上本門寺の御朱印|日蓮聖人入滅の地【日蓮聖人が荼毘に付された場所(火葬場)】とは一体どんな所?(東京都大田区)

地元の人たちからは「池上本門寺」として親しまれているお寺。日蓮聖人が、生涯最後の二十数日を過ごした場所とされている。また、日蓮聖人入滅の地として知られ、当時は日蓮聖人の御真骨が多宝塔に安置されてた。 長栄山本門寺は「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込め、日蓮聖人が命名したと言い伝えられている。
東京都

港区七福神巡りの御朱印|東京ど真ん中の港区で七福神巡りを満喫(東京都 港区)

都会の代名詞「東京都港区」に七福神巡りを発見。 港区のディープな街並みを歩く面白さや、港区のハイセンスな一面を目の当たりにし、貴重な体験が出来た。
寺院

不忍池辯天堂の御朱印|「財」を増やすご利益あり?!(東京都上野)

不忍池辯天堂の御朱印 江戸初期の「寛永年間」に「慈眼大師天海大僧正」によって建立された 不忍池や寛永寺を含む「上野の山」は「見立て」という思想によって設計された 「見立て」は京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味する 見立て1:「寛永寺」は寛永年間創建=「延暦寺」は延暦年間創建 見立て2:「不忍池」=「琵琶湖」 見立て3:元々聖天が祀られていた小さな島=竹生島 見立て4:新たにお堂建立=竹生島の「宝厳寺ほうごんじ」 見立て5:参拝は琵琶湖から竹生島へのルートと同様に、船を使用 江戸後期には庶民の間で七福神詣でが流行したこともあり橋が架けられる 弁才天の「才」の文字「財」と読み替えて、金運を授けてくれる神として信仰されるように
どうする家康

最福寺の御朱印|徳川家康と日善上人の関係性とは(千葉県 東金市)

ご朱印 最福寺  最福寺の住職であった日善上人と徳川家康との出会いは、鷹狩りのため家康公が東金を訪れたことがきっかけだった。鷹狩り期間中、最福寺御殿にて対談したとの記録が残っている。半年後、豊臣征伐の決断ができずにいた家康公は、駿府城へ日善上人を招き密談を行っている。ここでのやり取りが決定的となり、家康公は豊臣征伐を決定し、後の大坂夏の陣へと進んでゆくのであった。
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