葛飾八幡宮の御朱印|JR本八幡駅の由来にもなった葛飾八幡宮に行ってきた。ついでにサイゼリアの一号店もご紹介(千葉県市川市)

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本八幡(もとやわた)と言う地名の由来にもなった「葛飾八幡」。その歴史は古く、なんと平安時代に建立された神社だ。神仏習合の流れから、お寺が管理していた時期もある。多くの武将から崇敬され、今でも地元に住む人々から大切にされている神社だ。 また、市川市役所の目の前にある「八幡の藪知らず」とも関りがある。

参拝日:2023年10月7日

目次

神社の紹介

  • 889~898年(平安時代/寛平年間)に、宇多天皇の勅命により下総国の総鎮守として建立
    • 石清水八幡宮を勧請
  • 下総国での葛飾文化や八幡信仰の中心となる
  • 多くの武将から崇敬され寄進を受ける
    • 平将門の奉幣
    • 源頼朝が社殿を改築
    • 太田道灌が社壇修復
    • 徳川家康が社領52石を寄進
  • 葛飾八幡の近くには「八幡の藪知らず」と呼ばれる禁足地があることで知られる
    • 「八幡不知森=やわたしらずのもり」とも言う

正式名称

 葛飾八幡宮かつしかはちまんぐう

御祭神

 誉田別命ほむだわけのみこと仲哀天皇ちゅうあいてんのうの皇子、応神天皇おうじんてんのうを指す。母は神功皇后じんぐうこうごう。この方が八幡神である。
 息長帯姫命おきながたらしひめのみこと|神功皇后を指す。第14代天皇・仲哀天皇の皇后。武運・安産の神。
 玉依姫命たまよりひめのみこと神武天皇じんむてんのう(初代天皇)の母を指す。育児の神。

御朱印

御朱印所

社務所で葛飾八幡宮の御朱印を頂ける。

こちらでは、「本殿の葛飾八幡宮」「下総国総社六社神社」「不知森神社」の3つの御朱印が頂ける。

パンフレット

斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第4,有朋堂書店,昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション

みどころ

葛飾八幡宮 一の鳥居と社号標柱

市川市役所の程近くに、社号標柱と一の鳥居が建っている。
天気も良いので参拝日和である♪

なるほど、平安期に下総国の総鎮守として作られたのが始まりなのか!歴史が古い神社だ。

葛飾八幡宮 参道

参道がまっすぐと伸びていて、遮るものもなく二の鳥居まで見通すことが出来る。二の鳥居手前には、京成本線の線路が横切っている。

てくてくと歩く。
夏場は気温35度を超える日も多く、外へ出るのもためらわれたが、秋を迎え涼しくなってくると散策日和も少しずつ増えてくる。この日は雲一つない快晴で、気温もちょうど良く過ごしやすい一日となった。

そうこうしていると、踏切にぶつかる。

タイミングが合えば、京成電鉄の車両に出くわす。それにしても間近で見る電車なんて久しぶりだ。ふと昔を思い出す。

二の鳥居をくぐるとすぐに、参道両脇に松の木が立ち並ぶ。あたりは住宅街や商店が広がっているが、松林が神社の雰囲気を作り出している。参道自体も綺麗に整備されているので、歩いていてとても気持ちが良い。

さっそく見えて来たのは、仁王門のような「随神門ずいじんもん」。神社なのに仁王門???

葛飾八幡宮 随神門(ずいじんもん)

この随神門、明治維新以前は天台宗上野寛永寺の末寺である「八幡山法漸寺」が八幡宮を管理しており、「法漸寺仁王門」として建っていたのだそう。
ちなみに、随神門とは仁王門と同じ役割で、神様のいる聖域に邪気が入らないようにする意味で建てられている。

隋神門の碑と、歴史深そうな狛犬。

左大臣
右大臣

隋神門には、左大臣と右大臣が配されている。仁王門だった頃には仁王が配置されていたはずだ。

明治の神仏分離によって八幡山法漸寺は廃寺となり、仁王門は葛飾八幡宮の随神門となった。
なるほど、だから神社なのに仁王門があったという訳だったのね。

昔はお寺と神社が融合していたことを偲ばせる面白い建築物だ。

斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第4,有朋堂書店,昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション

八幡宮 神門

随神門をくぐると、次に見えるのは葛飾八幡宮の神門だ。めちゃくちゃ絵になるなあ。

参拝時期が秋口だったため、七五三を祝う家族連れを目にした。また、お宮参りの家族も多く訪れているようだった。お日柄が良かったのかな。

写真右側に、鐘楼を発見。これも、神社とお寺がかつて同じ敷地で機能していたことを示す建築物だ。ここだけ切り取ると、なんだかお寺に来ているような錯覚を覚える。

さて、葛飾八幡宮へようこそ。

社務所は午後四時には閉まるとのことなので、御朱印は午後三時台までにいただくと良さそう。
午後四時半には閉門されるとのことなので、こちらもご注意を。

葛飾八幡宮 神門の扁額

八の文字が鳩に見える。これは鶴岡八幡宮の扁額と同じデザインだ!おなじ八幡様なんだなあ。

鶴岡八幡宮の扁額

葛飾八幡宮 手水舎

神門をくぐってすぐ右手に手水舎がある。
先ずは身を清めてから参拝しましょう。

お馴染み三匹の龍がお出迎え。

龍が三匹並ぶと、なぜか愛くるしい感じがする。

葛飾八幡宮 社殿(拝殿)

神門をくぐるとすぐ目の前に本殿が鎮座している。
早速お参りして、境内の散策と御朱印を頂くことに!

葛飾八幡宮の創建は平安時代の西暦889年〜898年とのことで、1,000年以上の歴史があるのだ。

平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康による52石の寄進など、平安時代から江戸時代まで、多くの武将から篤い信仰を受けていた。

木造の社殿はやはり良い。このように綺麗に維持するのも大変なのだろう。

拝殿の前はこのような感じ。

葛飾八幡宮 本殿

社殿の裏側にも歩いて行けるので、本殿横からの姿も見ることが出来る。

葛飾八幡宮 境内散策

本殿以外にも見どころがいくつかあるので、境内を散策してみた。
(神社の後ろがすぐ住宅地なので、ちょっと居心地が悪かったりする・・)

力石(ちから自慢)

この石、一個170kgもあるんだそうな!これを担いで境内を一周することで力を競い合った、とある。
力比べがハイレベルだ。

駒止めの石(頼朝公の馬の蹄あと)

この駒止めの石は、頼朝公が葛飾八幡宮を参拝した際、頼朝公の馬の蹄が石に前足を掛けて蹄の後を残したものだと伝わっている。

源頼朝の痕跡が残る貴重な場所である。
頼朝の馬が足を掛けただけで千年先の後世まで大切に残すとは、頼朝の偉大さが伝わる面白いエピソードだ。

鐘楼堂(今は廃寺となった「法漸寺」が管理していた鐘楼)

神社なのになぜ鐘楼?と思うが、これも神仏習合の名残なのだ。

お正月には突くのかな?

厳島社(いつくしましゃ)

御祭神|湍津姫命たぎつひめのみこと田霧姫命たぎりびめのみこと市杵島姫命いちきしまひめのみこと(弁財天)
御神徳|交通安全、海上守護、必勝、芸能上達

こんなところに厳島神社が!
広島の厳島神社へ行ったことがあるので、テンション上がる。

雰囲気がまた良い。

橋を渡るってのがミソ。

こぢんまり。

扁額には「厳島社」とある。

社の脇には蛇の石像が安置されている。厳島神社の祭神である市杵嶋姫命いちきしまひめのみことは弁財天と同一視されており、この蛇は弁財天の使いでもある。よって、弁財天に寄り添う形で脇に置かれているのだ。

神輿庫しんよこ (御神輿を保管する倉庫)

こちらには御神輿が保管されている。中が見えるようになっており、じっくり観察できた。

なんとも立派な御神輿が置かれていた。
御神輿をここまで間近で見る機会はあまりないので、興奮気味。

葛飾天満宮(菅原道真公を祀る神社)|「勝しか」のゲン担ぎで合格祈願!

御祭神|菅原道真公
御神徳|学業成就、書道上達

葛飾天満宮は学問の神様「菅原道真公」を祀っている神社だ。
葛飾は、「かつしか」→「勝つしか」の意味もあり、「受験に勝つ」としてゲン担ぎで合格祈願に訪れる受験生も多い。

お賽銭箱が壊れているのか、現在お賽銭は入れられないととのこと。

受験シーズンには多くの受験生の願いを聞くのだろう。

お賽銭は社殿のお賽銭箱に入れてくださいと記載あり。

尾上稲荷社

御祭神|宇迦之御魂神うかのみたまのかみ ※京都の伏見稲荷大社の祭神
御神徳|五穀豊穣、商売繁栄

八坂社

御祭神|建速須左之男命たけはやすさのおのみこと(古事記)。※日本書紀では素戔男尊すさのおのみこと
御神徳|病気平癒、厄除開運

こちらは京都祇園にある八坂神社を総本社とする八坂社。

須佐之男命を祭神としている社である。

こちらの賽銭箱は壊れてないようなので直接入れられそう。

浅間社(富士塚)

御祭神|宇迦之御魂神うかのみたまのかみ ※京都の伏見稲荷大社の祭神
御神徳|五穀豊穣、商売繁栄

浅間社は、小さな富士塚の上に建てられている。これなら簡単に登れそうだ。

富士塚とは

富士信仰に基づき、富士山に模して造られた塚のこと。
これは富士山信仰の富士講との関りが深い。

山頂まで一気に登れそう。

五合目らしきところで分かれ道。

こちらは富士山の五合目にある富士山小御嶽神社を模しているのだそう。

富士登山記念の石碑が置かれていた。当時富士登山に携わった人々の名前が彫りこまれていた。
富士登山が、いかに大きなイベントだったのか、よくわかる。

山頂まではもう少し!!

ついに富士山の山頂?

こちらにも、富士登山を記念した石碑が建てられている。
富士講(不二)同行の文字が彫られている。
中央に彫られている「大権現」とは、現在の富士山本宮浅間神社を表している。
右下には、「慶應三 丁 兎年 九月 三日」と日付が彫られている。
江戸時代最後の年で、まさに世は王政復古に向けて急激に流れを変えている頃だ。まだ武士以外にとってはあまりピンと来ていなかったのだろう。

富士塚の山頂から見下ろす?、千本公孫樹せんぼんいちょうと本殿。
元旦にここへ登る人も多そうだ。近所なら絶対にここに登りたい。

江戸城の旧石垣刻印石

江戸城の石垣が置かれている。

ギザギザや〇□やよくわからないものが並んでいた。

庚申塔(中国より伝来した道教に由来する「庚申信仰」に基づいて建てられた石塔)

こんな感じで並んで置かれていた。

「道祖神」と彫られた石塔。

三猿が彫られていた。顔が潰れちゃってるのが残念。

こちらは建物型の石柱。

並びに他の道祖神庚申塔もある。

樹齢1200年の千本公孫樹(いちょう)

葛飾八幡宮の御神木でもある千本公孫樹せんぼんいちょう
まるでジブリ映画に出てきそうな姿だ。これぞまさに、神が宿っているご神木じゃないだろうか。
このようなイチョウは初めて見たので感動した。

三好学 著『日本巨樹名木図説』,刀江書院,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1231389

昭和10年出版の本に記載されていた写真を発見。当地から今と同じ形だったのだ。

かつて、地上6メールとほどまで成長(樹齢およそ12年頃と推定)した頃、落雷により幹が折れてしまった。その後、周囲から伸びたたくさんの「ひこばえ」が成長したことで、現在の不思議な樹形になったのだそう。
とても珍しい現象によって今の姿になったのだ。

今でも青々としており、元気に育っている!

迫力がすごい!!

本殿の隣に並ぶように立っている。まさに御神木だ。

神楽殿と大絵馬

社殿の左側に建っているのが「神楽殿」。

神楽殿の扁額が掛けられている。

その舞台の奥には、幕末に奉納されたとされる絵馬が飾られている。

その大絵馬の図は、神功皇后の「新羅出兵」を描いたものとのこと。

右から二番目の勇ましい姿をした女性が神功皇后。この時にお腹には応神天皇を宿しており、その応神天皇ことが八幡様なんだそう。とても象徴的なシーンだ。

おしまい

この後は禁足地「八幡の薮知らず」として有名な、「不知森神社」に向かう。
この不知森神社の記事は別で紹介します。

アクセス

住所

所在地千葉県市川市八幡4-2-1
最寄駅「JR/都営新宿線 本八幡駅下車」徒歩で10分
「京成電鉄 京成八幡駅下車」徒歩5分
駐車場情報専用の無料駐車場あり
公式サイトhttps://www.katsushikahachimangu.com/

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