何度か訪れていてお気に入りの円覚寺。いつもあまり見て回ることが出来なかったが、今回時間の余裕ができたので、あらためて参拝することに。鎌倉五山の一つに数えられるこのお寺は、広大な敷地に多くの歴史的建造物が並び、圧倒的な雰囲気を醸し出していた。平日に訪れたことが良かったのか、参拝客も少なくゆったりと見て回ることが出来たのも良かった。 参拝日:2023年2月27日
お寺の紹介
- 1282年(鎌倉時代の弘安5年)鎌倉幕府執権「北条時宗」が中国僧の無学祖元を招いて創建
- 創建の目的は元寇の戦没者追悼
- 北条得宗の祈祷寺となり、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された
- 建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したことが寺名の由来
- 境内には現在も禅僧が修行を行う道場がある
- 夏目漱石・島崎藤村・三木清らもここで座禅を組んだことで知られる
正式名称
瑞鹿山 円覚興 聖禅寺
宗派
臨済宗 円覚寺派
御本尊
宝冠釈迦如来
よく分かる!「円覚寺」御朱印の説明
御朱印
御朱印帳
御朱印は、山門を潜った先にあるこの受付でいただける。
みどころ
境内MAP
※円覚寺の公式サイトよりダウンロードできます。
円覚寺の社号標柱と北条時宗御廟所標柱
北鎌倉を代表するお寺であり、その風格が伝わる。
円覚寺の総門
階段を登ると先ず「総門」が目に入る。扁額には山号の「瑞鹿山」の文字が書かれている。
「瑞鹿山」という山号は、「無学祖元禅師」の話を聞こうとして白鹿が集まった、という逸話から名付けられたと言われている。だから文字も白いのかな?
円覚寺へ入場
総門をくぐり、こちらで拝観料を支払う。
大人・高校生|500円
小学・中学生|200円
円覚寺の御朱印はこちらの建物で頂ける。
円覚寺の案内
円覚寺の山門(三門)
見えて来た!これは大きい!
この三門は1785年に再建された、とのこと。
「円覚興聖禅寺」と書かれた扁額は、執権北条貞時の頃に「伏見上皇」より賜ったものなのだそう。
円覚寺山門(三門)の案内看板
山門は、三解脱門(空・無相・無願)を象徴しているのだそう。この門をくぐることで様々な煩悩を取り払い、清らかな気持ちで参拝しなければならないとされているらしい。いつも、何の気なしに通り過ぎていた、あるいは脇からすり抜けていた山門が、お寺を参拝するうえで重要な役割を果たしていたことを教えてもらった。今後はしっかりとした心構えで山門をくぐりたいものだ。
円覚寺の仏殿
- 円覚寺の本尊が祀られている場所
- 関東大震災で倒壊し、1964年(昭和39年)に再建
- 1563年(弘安6年)の大火で仏殿が焼失し、仏像の顔のみが救出される
- 1625年(寛永2年)に仏殿が再建され、この時に仏像の身体も補造
大きな山門を抜けると「仏殿」が目の前に現れる。その大きさゆえ、広大な敷地であることを感じる。
こちらの仏殿に、円覚寺の御本尊である薬師三尊像が祀られている。
円覚寺仏殿の案内看板
本殿の扁額
「大光明寶殿」と書かれた扁額は、1378年「後光厳上皇」から賜ったものだそう。
円覚寺の仏殿内
本堂内は広く、中央に御本尊が祀られている。
宝冠釈迦如来坐像
天井の白龍図
円覚寺の選佛場
- 修行僧の座禅道場で、「佛さまを選び出す」と言う意味
- 創建当初は裳階(五重塔などの仏塔や塔のこと)が付いた大きな建築物だったとのこと
- 1563年(永禄6年)の大火で焼失し、1699年(元禄12年)に今の選佛場を建立
藁ぶき屋根と手前に咲く梅の花とが、まるで日本昔話に出てくる景色のよう。
円覚寺選佛場の案内看板
さて、中に入ることが出来るので入ってみよう。
外から覗くと、何やら後光のようなものが見える。
円覚寺選佛場の内部
燦然と輝く仏様の光背に、なんだか不思議な力を感じる。
中央には南北朝時代の作である薬師如来像が安座されている。左は不動明王坐像、右は観音菩薩。
円覚寺は敷地がとても広く、多くの建築物があるので全てを見学するにはある程度のまとまった時間が必要だった。
ここからは、方丈へと向かうことに。
円覚寺の勅使門(唐門)
方丈の正門である唐門は、1839年に建立された。
唐門の彫刻
唐門には多くの繊細で美しい彫刻が見られる。
円覚寺大方丈
入口は、先ほどの唐門の脇にある。
円覚寺方丈の案内看板
方丈とは、本来住職が居住する場所なのだそう。現在は、ここで様々な行事を行っているとのこと。かなりの人数が入れそうだう。
方丈庭園にある百観音霊場
江戸時代、百体の石仏を岩窟に安置したことが始まりだとされている。その後、この百観音を結願所として、百観音巡礼の札所が開設されたのだそう。
百観音とは、「西国三十三観音霊場」「坂東三十三観音霊場」「秩父三十四観音霊場」の観音様を合わせた総称であり、ここを参拝することで三大霊場を全て回ったことになる。
ここを参拝すれば、三大霊場を全て回り切ったことになるということか。時々、お寺にミニチュアの富士山を見かけるが、同じような意味合いがありそうだ。江戸時代、遠方に足を延ばせなかった人々にとっては、とてもありがたい場所だったことだろう。
様々な石仏があって、一体ずつじっくり見て回ると時間を忘れてしまう。
次は、国宝の洪鐘を見に行こう。
国宝洪鐘(おおがね)
ほほう。国宝「洪鐘」を見に行くにはこの階段を登るのか…。
行くしかない。行くしか。
国宝洪鐘の案内看板
1301年(正安3年)に鋳造された国宝!
洪鐘の鋳造に苦慮していたおり、江ノ島の弁天様に祈願したところ、円覚寺の池の底を掘るようにとの神託が下ったと伝えられている。掘り起こされた巨大な金銅の塊を使って、この洪鐘が生まれた。この伝説は、技術的な難題に立ち向かう中で、人々が神秘的な力を拠り所にしていたことがを物語っているように感じる。
かなり急な階段であり、体力が削られた。日頃の運動不足が表面化した瞬間である。
円覚寺 弁天堂
結構な階段を登ってきたが、閑散としていた。この茶屋も営業していない。平日の参拝だったので、休日にはもしかして営業しているのかな?
国宝洪鐘
思いっきり鐘を突きたかったのだが、当然ながら突くことはできなかった。(残念)
足がガクガクになりながら、続いては国宝の舎利殿に向かう。
円覚寺舎利殿
円覚寺舎利殿の案内看板
ここ舎利殿には、「佛牙舎利」と呼ばれる、お釈迦様の歯を祀っているとのこと。源実朝が宋の時代中国から持ってきたものなんだとか。今の舎利殿は、鎌倉時代にあった「太平寺」の佛殿を移築したもの。
奥に見える建物が、舎利殿。屋根の形が日本昔話に出てくるお寺みたいで面白い。
次は執権「北条時宗公」の廟所へと向かう。
円覚寺内にある佛日庵という所にあるのか。ふむふむ。
佛日庵(北条時宗公廟所)
- 北条時宗没後、建立
- 8代執権「北条時宗」の廟所
- 北条氏滅亡後、一時衰退したものの室町時代に再興
- 1811年(文化8年)に改築
- 川端康成の小説「千羽鶴」に登場する茶室のモデル
ここ佛日庵に入るには、別途拝観料が必要になる。
佛日庵 開基廟(かいきびょう)
こちらが開基廟。江戸時代に改築されただけのことがあり、歴史を感じる。
開基廟(かいきびょう)内部
さて、いよいよ最後となる黄梅院へと向かう。
円覚寺 黄梅院
参拝時、綺麗な黄梅が見ごろを迎えていた。北条時宗の夫人「覚山尼」が、時宗のために建立した。
おしまい
アクセス
住所
所在地 | 鎌倉市山ノ内409 |
最寄駅 | 「JR横須賀線 北鎌倉駅」下車 徒歩1分 |
駐車場情報 | 専用駐車場無し |
公式サイト | https://www.engakuji.or.jp/ |