神社

京都府

御香宮神社の御朱印|鳥羽・伏見の戦いで新政府軍(薩摩藩)の陣営が置かれた場所(京都府 京都市)

鳥羽伏見の戦いで新政府軍(薩摩軍)の陣営が置かれた神社。戦力は旧幕府側が1500以上、新政府(薩摩)側がその半数ほどであったが、御香宮神社は伏見奉行所を見下ろすような位置にあり、薩摩軍が伏見奉行所に向けて大砲で連射したため、伏見奉行所は炎上し、旧幕府側は敗退した。
京都府

伏見稲荷大社の御朱印|京都のパワースポットとして知られる千本鳥居の神秘(京都府 京都市)

伏見稲荷大社の御朱印 稲荷神社の総本社である「伏見稲荷大社」は、多くの観光客や参拝客が訪れる、京都を代表するパワースポットだ。千本鳥居が続く長い参道と、多数の狐の像が配置された神社内は、神秘的で力を感じる場所として知られている。
京都府

平安神宮の御朱印|日本の伝統と美を感じる京都復興の象徴(京都府 京都市)

平安神宮の御朱印。京都市内に位置する神社で、京都の文化・伝統を象徴する聖域のひとつ。その起源は、京都復興の象徴として建立されたことにある。第50代桓武天皇や第121代孝明天皇をはじめとする多数の皇族や貴族が祀られており、歴史を感じる荘厳な雰囲気が漂う。
ゆかりの人物

鶴岡八幡宮の御朱印|倒壊した大イチョウは、新しい姿でよみがえろうとしていた(神奈川県 鎌倉市)

鶴岡八幡宮の御朱印 1063年「源頼義」が京都の石清水八幡宮を「鶴岡若宮」として勧請 前九年の役で戦勝祈願をした神社 1081年「源義家」が修復 「鎌倉八幡宮」とも呼ばれ、以降源氏の守り神とされる 「源頼朝」は鶴岡八幡宮を篤く崇敬 鎌倉幕府開府と同年、「鎌倉八幡宮」を現在の場所へ遷す 幕府の重要祭事として「放生会」「流鏑馬」「相撲」「雅楽」などを境内で執り行う
千葉県

千葉神社の御朱印|千葉氏ゆかりの地千葉神社は、仏教と融合した珍しい神社であった。(千葉県 千葉市)

千葉神社の御朱印 平安時代末期、関東南部を統治した「平良文たいらのよしぶみ」が「北辰妙見尊星王ほくしんみょうけんそんじょうおう」を信仰 「北辰=北極星」であり、北極星・北斗七星を神格化ている 「平良文」を祖に持つ「千葉氏」が一族の守護神として「北辰妙見尊星王」を各地に祀る 千葉氏3代目「平忠常たいらのただつね」が、領内各地に祀られる「香取神社」境内の一角に「妙見」を祀る 第66代「一条天皇」が眼病平癒を祈り完治したことから、寺号「北斗山金剛授寺」を贈る これを受け「忠常」は伽藍を整備、息子を大僧正に就けて1000年(長保2年)に中興開山 源頼朝、日蓮上人、徳川家康など名だたる人物も参拝し崇敬 1869年(明治2年)神仏分離令により千葉神社へ改称 妙見大祭の「神輿渡御」が神社の様式だったから 千葉神社へ改称以降も「妙見信仰」と習合する神社となっている 社殿は2階建てのようになっており、上下2つの拝殿を持つ国内の重層社殿
神社

太宰府天満宮の御朱印|全国約12,000社!天神様と菅原道真はどんな人?(福岡県 太宰府市)

太宰府天満宮の御朱印 「天満宮」とは「菅原道真」を祭神として祀る神社のこと 天神様=菅原道真 太宰府天満宮は「菅原道真公の霊廟」として篤く信仰されている 京都「北野天満宮」と並び、全国約12,000社ある天満宮の総本社 菅原道真の死後、亡骸を牛車に乗せて運んだところ、現在社殿のある場所で動かなくなる 道真公の意思を感じ、その場所に埋葬 その後、墓所の上に社殿を造営し「太宰府天満宮」となる
大阪府

住吉大社の御朱印|日本全国に約2,300社!住吉神社の総本社に行ってきた(大阪府 大阪市)

住吉大社の御朱印 第14代「仲哀天皇」の后「神功皇后」が(211年)創建 神功皇后の新羅平定(三韓征伐)後、住吉大神の加護に感謝して創建したと言われている 古くから信仰が篤く「摂津国の一宮」として社格が与えられる 鎌倉時代の「源頼朝」をはじめ、多くの武家から崇敬される 全国約2,300社ある住吉神社の総本社 昭和21年までは、朝廷や国からお供え物をする「官幣大社」だった 本殿の4棟は【国宝指定】
神社

富士山本宮浅間大社の御朱印|全国1,300社!浅間神社の総本山に行ってきた(静岡県 富士宮市)

富士山本宮浅間大社の御朱印 第7代「孝霊天皇」の時代(推定:紀元前300~200年) 富士山大噴火により、周辺住民が離れる 第11代「垂仁天皇」の時代(推定:3世紀高後~4世紀前期) 「垂仁天皇」がこれを憂い、山足の地(=富士の山裾)に「浅間大神」を祀る 第12代天皇の時代(推定:4世紀前~中期) 「日本武尊」が駿河国で野火の難に遭い、「浅間大神」に祈念し難を逃れる 平定後「山宮(現:山宮浅間神社)」に磐境いわさかを作り「浅間大神」を祀る 第51代「平城天皇」の時代(平安初期:806年) 「平城天皇」の命により「坂上田村麻呂」が「大宮の地(現在地)」に社殿を造営 元は「福地神」の社地だったが、この移転に合わせて現「富知神社」へ移転 「源頼朝」「北条義時」「武田信玄・勝頼」「徳川家康」など多くの武家から崇敬される 「源頼朝」は富士山麓の巻狩り時、流鏑馬を奉納したとされる 境内のしだれ桜は、武田信玄寄進によるもので「信玄桜」と呼ばれている 「徳川家康」は関ヶ原合戦勝利のお礼として境内一円を一気に整備 富士山8合目以上を境内地として寄進
神社

三嶋大社の御朱印|源頼朝が深く信仰したのはなぜか?(静岡県 三嶋市)

三嶋大社の御朱印 創建時期は不明だが、奈良時代の古書にも記録が残っている 東海随一の神格で、平安時代中期に編纂された「延喜式」に「名神大」として掲示されている 伊豆に流された「源頼朝」は特に深く信仰し、源氏の再興を祈願した 源氏再興後、頼朝は多くの社領や新法を寄進し、より一層信仰を強めた 北条政子が奉納したと伝えられる「梅蒔絵手箱」と内容品一式は【国宝】 源氏再興の成功以後、伊豆国の一宮として多くの武家からも信仰を集めた 地理的には、東海道に面し下田街道の起点に位置しており、伊豆国の一宮として広まった
愛知県

熱田神宮の御朱印|あの『三種の神器』の一つが祀られている!?(愛知県 名古屋市)

熱田神宮の創建は113年(景行天皇43年)と、今から1900年以上前からある神社 三種の神器の1つである草薙剣くさなぎのつるぎを祀る神社として有名 名前の由来: 日本武尊が賊に襲われた際、持っていた神剣が草を薙なぎ倒して事なきを得たことによる 三種の神器のあと2つは 「八咫鏡やたのかがみ」→「皇居」所持 「八尺瓊勾玉やさかにのまがたま」→「伊勢神宮」所持 伊勢神宮に次ぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬を集めている 皇室をはじめ、徳川家康、織田信長、豊臣秀吉からの寄進された品々を多く収蔵している 2009年に現在の社殿が再建され
どうする家康

芝東照宮の御朱印|徳川家康を祀るあの東照宮が東京タワーの近くにあった??(東京都 港区芝公園)

芝東照宮の御朱印 江戸時代初期の1617年、増上寺の境内に創建 増上寺は徳川家の菩提寺 家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれている 徳川家康の「寿像」をご神体とする 還暦記念に自身の像を家臣に彫らせたもの 「芝東照宮」「日光東照宮」「久能山東照宮」「上野東照宮」は四大東照宮と呼ばれる 明治の神仏分離令により増上寺から切り離され、現在の芝東照宮となった 1945年の東京大空襲により「寿像」と神木であるイチョウを残し、全て焼失 1969年に現在の社殿が再建された
東京都

富岡八幡宮の御朱印|日本一の御神輿は全てが規格外(東京都 門前仲町)

富岡八幡宮の御朱印 「深川の八幡様」として親しまれ、江戸最大の八幡様と言われている。江戸時代には徳川将軍家の手厚い保護を受けていた。境内には「日本一」のお神輿が保管されており、ガラス張りになっているので外からいつでも見ることが出来る。 ラーメン 「鶏料理 有明」
東京都

亀戸天神の御朱印|関東三天神の一つ。四季折々の美しい花々が彩る「花の天神様」についてご紹介!(東京都 亀戸)

学問の神様、菅原道真公(天神様)を祀る。 寛文二年(一六六二)菅家の後裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源とする。 九州の太宰府天満宮にて神官であった、菅原道真公の末裔「菅原大鳥居信祐公」が、神のお告げにより新たに天神信仰を広めるために各地を巡り歩き、江戸の本所亀戸村にたどり着いた。この村に元々あった天神の小さな祠にご神像をお祀りしたことが、亀戸天神の起源と言われている。亀戸天神は、九州太宰府天満宮に対し東の宰府「東宰府天満宮」と称されていた。
ハワイ

ハワイ出雲大社の御朱印|モヤさまで人気のヌシカンさんに会いにホノルルまで行ってきた(HAWAII)

御朱印 ハワイ出雲大社  ハワイへ旅行するなら、ぜひ訪れたいのが「ハワイ出雲大社」。海外の地で日本の空気を感じられる、ちょっとした癒しスポット。「モヤモヤさまぁ~ず」でおなじみのヌシカンさんにも出会える、モヤさまファンにとっては外せない聖地と言っても過言ではない場所。
Translate »
error: Content is protected !!