歌川広重とはいったいどんな人物?
歌川広重について
- 生い立ち
- 歌川広重(1797年 – 1858年)は、江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。幼名は徳太郎、後に重右衛門、鉄蔵、徳兵衛と称した。
- 江戸の八代洲河岸の定火消屋敷に生まれ、安藤源右衛門の長男。母を亡くした後、13歳で火消同心職を継ぐ。
- 修業時代
- 幼いころから絵心があり、15歳のとき初代歌川豊国の門に入ろうとしたが断られ、歌川豊広に入門。1812年に「歌川広重」の名をもらい、1818年にデビュー。
- 画業の発展
- 1832年、息子が成人したため正式に同心職を譲り、絵師に専念。一立齋(いちりゅうさい)と号を改める。
- 同年、公用で東海道を旅し、「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声を確立。その後も多くの「東海道」シリーズや「江戸名所」シリーズを発表。
- 晩年と死
- 晩年には花鳥画、歴史画、戯画、美人画など多岐にわたる作品を手掛ける。
- 1858年、コレラにより62歳で没。墓所は足立区伊興町の東岳寺。法名は顕功院徳翁立斎居士。友人の歌川豊国(三代目)が描いた追悼ポートレートには辞世の歌が残されている。
- 辞世の句
- 「東路へ筆をのこして旅のそら 西のみ国の名ところを見ん」
- 死んだら西方浄土の名所を見てまわりたい の意
そもそも五十三次って何??
「東海道五十三次」の「次」の意味について
東海道は「幕府のある江戸」と「朝廷のある京都」を結ぶ全長約500kmの街道。
- 慶長5年(1600年)
- 徳川家康が全国の街道整備を進める。
- 東海道に宿駅伝馬制度を導入
- 宿駅伝馬制度
- 街道沿いに宿場を設置。
- 公用の旅人や物資を次の宿場まで無料で運搬。
- 宿場が必要な人手と馬を提供。
- 運搬は隣の宿場までで行い、宿場を越えての運搬は禁止。
- 運搬方法
- 次の宿場に到着するたびに人足と馬を交替。
- 荷物も新しい馬に積み替えられる。
- 東海道五十三次
- 江戸から京都まで53の宿場が存在。
- 旅人や物資は53回の継ぎ替えを経て運ばれる。
- これが「五十三次」と呼ばれる由来。
東海道五十三次の宿場町
- 日本橋 (東京都中央区) – 「日本橋 朝之景」
- 品川宿 (東京都品川区) – 「品川 日之出」
- 川崎宿 (神奈川県川崎市) – 「川崎 六郷渡舟」
- 神奈川宿 (神奈川県横浜市) – 「神奈川 台之景」
- 保土ヶ谷宿 (神奈川県横浜市) – 「程ヶ谷 新町橋」
- 戸塚宿 (神奈川県横浜市) – 「戸塚 元町別道」
- 藤沢宿 (神奈川県藤沢市) – 「藤沢 遊行寺」
- 平塚宿 (神奈川県平塚市) – 「平塚 縄手道」
- 大磯宿 (神奈川県中郡大磯町) – 「大磯 虎ヶ雨」
- 小田原宿 (神奈川県小田原市) – 「小田原 酒匂川」
- 箱根宿 (神奈川県足柄下郡箱根町) – 「箱根 湖水図」
- 三島宿 (静岡県三島市) – 「三嶋 朝霧」
- 沼津宿 (静岡県沼津市) – 「沼津 黄昏図」
- 原宿 (静岡県沼津市) – 「原 朝之富士」
- 吉原宿 (静岡県富士市) – 「吉原 左富士」
- 蒲原宿 (静岡県静岡市清水区) – 「蒲原 夜之雪」
- 由比宿 (静岡県静岡市清水区) – 「由井(由比) 薩埵嶺」
- 興津宿 (静岡県静岡市清水区) – 「興津 興津川」
- 江尻宿 (静岡県静岡市清水区) – 「江尻 三保遠望」
- 府中宿 (静岡県静岡市葵区) – 「府中 安倍川」
- 丸子宿 (静岡県静岡市葵区) – 「丸子 名物茶屋」
- 岡部宿 (静岡県藤枝市) – 「岡部 宇津之山」
- 藤枝宿 (静岡県藤枝市) – 「藤枝 人馬継立」
- 島田宿 (静岡県島田市) – 「島田 大井川駿岸」
- 金谷宿 (静岡県島田市) – 「金谷 大井川遠岸」
- 日坂宿 (静岡県掛川市) – 「日坂 佐夜ノ中山」
- 掛川宿 (静岡県掛川市) – 「掛川 秋葉山遠望」
- 袋井宿 (静岡県袋井市) – 「袋井 出茶屋ノ図」
- 見附宿 (静岡県磐田市) – 「見附 天竜川」
- 濱松宿 (静岡県浜松市) – 「濱松 冬枯ノ図」
- 舞阪宿 (静岡県浜松市西区) – 「舞阪 今切真景」
- 新居宿 (静岡県湖西市) – 「新居 渡舟ノ図」
- 白須賀宿 (静岡県湖西市) – 「白須賀 汐見阪図」
- 二川宿 (愛知県豊橋市) – 「二川 猿ヶ馬場」
- 吉田宿 (愛知県豊橋市) – 「吉田 豊川ノ橋」
- 御油宿 (愛知県豊川市) – 「御油 旅人留女」
- 赤坂宿 (愛知県豊川市) – 「赤坂 旅舎招婦ノ図」
- 藤川宿 (愛知県岡崎市) – 「藤川 棒鼻ノ図」
- 岡崎宿 (愛知県岡崎市) – 「岡崎 矢矧之橋」
- 池鯉鮒宿 (愛知県知立市) – 「池鯉鮒 首夏馬市」
- 鳴海宿 (愛知県名古屋市緑区) – 「鳴海 名物有松絞」
- 宮宿 (愛知県名古屋市熱田区) – 「宮 熱田神事」
- 桑名宿 (三重県桑名市) – 「桑名 七里渡口」
- 四日市宿 (三重県四日市市) – 「四日市 三重川」
- 石薬師宿 (三重県鈴鹿市) – 「石薬師 石薬師寺」
- 庄野宿 (三重県鈴鹿市) – 「庄野 白雨」
- 亀山宿 (三重県亀山市) – 「亀山 雪晴」
- 関宿 (三重県亀山市) – 「関 本陣早立」
- 坂下宿 (三重県亀山市) – 「阪之下 筆捨嶺」
- 土山宿 (滋賀県甲賀市) – 「土山 春之雨」
- 水口宿 (滋賀県甲賀市) – 「水口 名物干瓢」
- 石部宿 (滋賀県湖南市) – 「石部 目川ノ里」
- 草津宿 (滋賀県草津市) – 「草津 名物立場」
- 大津宿 (滋賀県大津市) – 「大津 走井茶店」
- 京師[京都] (京都府京都市) – 「京師 三条大橋」
出発地点の日本橋から目的地の京都までの間にある宿場町を「驛」と呼んでいた。
その驛が53か所あるので東海道五十三次と呼んでいる。
東海道五十三次について詳しく解説
大正時代の東海道五十三次驛風景続画
以下の画像は、『東海道五十三駅風景続画』の画像を引用しております。
安藤広重 画 ほか『東海道五十三駅風景続画』,岩波書店,1919. 国立国会図書館デジタルコレクション
表紙
裏表紙
挿絵
目次
裏
東海道五十三次の風景画と現在の状況について解説
出発 日本橋|朝之景
現在の場所はこんな所
日本橋
すべての起点はここ「日本橋」から始まったんじゃ
日本橋を下から
首都高も地下化すればもっと良い景色になるだろうねぇ!
1.品川宿|日之出
現在の場所はこんな所
品川宿 脇本陣跡
ビル前の立て札が目じるし!
2.川崎宿|六郷渡舟
現在の場所はこんな所
川崎宿 六郷渡舟の場所
マンションの前にある看板が当時の名残を説明してくれるだけじゃ・・
川崎宿 現在の多摩川
この大きな川を渡るだけでも一苦労だったのう
3.神奈川宿|台之景
現在の場所はこんな所
神奈川宿 高札場跡
当時の雰囲気がそのまま残っている!!
神奈川宿 神奈川宿歴史の道碑
この細い道こそが当時の東海道なんじゃよ
4.保土ヶ谷宿|新町橋
現在の場所はこんな所
保土ヶ谷宿 本陣跡
歴史を感じる家が建っている。史蹟が残っている感じがあって良かった!
保土ヶ谷宿 上方見附跡
現在は公園のようになっており、敷地内に上方見附跡の看板が設置されているんじゃ
5.戸塚宿|元町別道
現在の場所はこんな所
戸塚宿 澤邊本陣跡
明治天皇もこの本陣を見に来ていたんだ!
戸塚宿 江戸方見附跡碑
記念碑が設置されているから分かりやすい
6.藤沢宿|遊行寺
現在の場所はこんな所
藤沢宿 遊行寺
絵にも描かれている遊行寺は今も現存しているんじゃの
藤沢宿 蒔田本陣跡
現在は当時の面影が無くなっちゃったね。でも歩道にはきちんと説明書きがあるんじゃよ
藤沢宿 高札場跡
現在は雰囲気のある建物になっているね。ここに高札場があったんじゃ
7.平塚宿|縄手道
現在の場所はこんな所
平塚宿 高麗山(湘南平)
当時も若いカップルが多く居たのかは覚えとらんのぉ
平塚宿 本陣旧跡
現在は銀行になっているんだね。歩道には記念碑があるんじゃよ
平塚宿 道標(江戸見附)
江戸側の出入口にあるのが「江戸見附」って言うんだ!宿の東端ってことじゃな
8.大磯宿|虎ヶ雨
現在の場所はこんな所
大磯宿 小島本陣跡
現在はレンタル着物屋さんになっているんだね。敷地内には本陣についての看板が設置されているんじゃ
大磯宿 上方見附跡
大きな松の木が立っているね。松の前に案内看板があるよ
大磯宿 尾上本陣跡
現在は信用金庫なっており、敷地の向かって左側に記念碑が設置されているんじゃ
9.小田原宿|酒匂川
現在の場所はこんな所
小田原宿 酒匂川
それにしても大きな川じゃ・・・
小田原宿
ここが小田原宿の中心だったのかな??
小田原宿 脇本陣 古清水旅館資料館
ここには脇本陣古清水旅館があったんだが、先の戦争の空襲で焼け落ちてしまったんじゃ・・・
10.箱根宿|湖水図
かつての箱根宿はこんな所
1880-1890年ごろの当時を写す貴重な写真じゃ
現在の場所はこんな所
箱根宿 芦ノ湖
芦ノ湖を望む景色はまさに絶景じゃの
箱根宿 杉並木
当時を思い出すような良い道じゃ
箱根宿跡
今も食事が出来るお店が並んでいるのぉ
箱根の関所
悪いことはしていないのにドキドキするのはなぜじゃろう?