歌川広重の東海道五十三次を徹底解説:歌川広重の浮世絵で辿る歴史と風景

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11.三島宿|朝霧

三島宿は東海道五十三次の11番目の宿場で、現在の静岡県三島市にあった。箱根峠より西側の最初の宿場町であり、三嶋大社の門前町でもあった。江戸幕府の天領で、1759年までは伊豆国統治のための代官所が設けられていた。

現在の場所はこんな所 

三島宿 三島大社

12・沼津宿|黄昏図

沼津宿は東海道五十三次の12番目の宿場で、現在の静岡県沼津市大手町周辺にあった。宿場には本陣3、脇本陣1、旅篭屋55があった。

現在の場所はこんな所 

沼津宿 狩野川

13.原宿|朝之富士

原宿は東海道五十三次の13番目の宿場で、現在の静岡県沼津市にある。宿場整備前は浮島ヶ原と呼ばれ、源義経が木曾義仲討伐のために大規模な馬揃えを行ったことで知られている。

現在の場所はこんな所 

原宿 富士山

14.吉原宿|左冨士

吉原宿は東海道五十三次の14番目の宿場で、現在の静岡県富士市に位置する。元々はJR吉原駅付近にあったが、1639年の高潮で被害を受け、内陸の富士市依田原に移転その後、1680年の再度の高潮により現在の吉原本町に移転した。この影響で、原宿から吉原宿間は海から離れ、富士山が左手に見える「左富士」と呼ばれる景勝地となった。往時は松並木があったが、現在は1本の松の木のみ残っている。

現在の場所はこんな所 

吉原宿 左富士

15.蒲原宿(かんばらしゅく)|夜之雪

初版
後版

蒲原宿は東海道五十三次の15番目の宿場で、現在の静岡県静岡市清水区旧蒲原町に位置する。吉原宿から富士川を渡って最初に到達する宿場で、降雪が少ない東海地方ではあるが、絵にはまるで雪国のように雪がしんしんと降り積もる様子が表現されている。

現在の場所はこんな所 

蒲原宿 西本陣(平岡本陣)跡・佐藤家

16.由井(由比)宿|薩埵嶺(さったれい)

由比宿は東海道五十三次の16番目の宿場で、現在の静岡県静岡市清水区に位置します。本陣跡は整備され、由比本陣公園となっている。東海道名主の館(小池家住宅)は1998年に国の登録有形文化財に登録。

現在の場所はこんな所 

由比宿 薩埵峠

17.興津(おきつ)宿|興津川

興津は、東海道五十三次の17番目の宿場である。興津は静岡県静岡市清水区の地名で、古くから清見潟と呼ばれた海辺があり、歌枕として知られている。地名の由来は興津宗像神社の祭神、興津島姫命が住居を定めたことや、平安末期から興津氏が居住していたことに由来している。

現在の場所はこんな所 

興津宿 興津川

18.江尻宿|三保遠望

江尻宿は東海道五十三次の18番目の宿場で、現在の静岡県静岡市清水区の中心部に位置します。駿河湾に注ぐ巴川の河口付近に発展した宿場町で、戦国時代には武田氏家臣の馬場信春によって江尻城が築かれ、城下町として栄え、江戸時代には清水港に近く、江戸への物流拠点となっていました。

現在の場所はこんな所 

江尻宿 三保の松原

19.府中宿|安部川

府中宿は東海道五十三次の19番目の宿場で、駿府の一角を成しています。現在は静岡市葵区に属し、徳川家康のお膝元で、旧東海道はJR静岡駅の北側にある駿府城と安倍川を結んでいます。

現在の場所はこんな所 

江尻宿 安部川

20.丸子(鞠子)宿|名物茶屋

鞠子宿(丸子宿)は東海道五十三次の20番目の宿場で、現在の静岡県静岡市駿河区丸子に位置します。東海道中で最も小さい宿場で、1843年の記録では家211軒、旅籠24軒でした。宿場町としては慶長6年(1601年)に指定された。隣の岡部宿との間には宇津ノ谷の古い街並みが残り、付近には歴史的な史跡も存在します。名物はとろろ汁で、丁子屋がその一つです。

現在の場所はこんな所 

丸子宿 とろろ汁の丁子屋

21.岡部宿|宇津之山

岡部宿は東海道五十三次の21番目の宿場で、現在の静岡県藤枝市岡部町にあります。隣の鞠子宿との間には昔の街並みが残っています。1836年に再建された旅籠・柏屋は国の登録有形文化財で、岡部宿本陣址や旧東海道の松並木は藤枝市の史跡に指定されています。

現在の場所はこんな所 

岡部宿 宇津ノ谷峠越

22.藤枝宿|人馬継立

現在の場所はこんな所 

藤枝宿 人馬継立碑

23.嶋田宿|大井川駿岸

嶋田宿は東海道五十三次の23番目の宿場で、現在の静岡県島田市に位置します。大井川の左岸にあり、川が増水すると江戸から京都へ向かう旅客が足止めされ、長雨で滞在費と遊興費を使い果たすことも多く、所持金が無くなったり宿が満員になると家を借りることもありました。その名残で、旧・東海道沿いには「御仮屋」という地名が残っています。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠まれた大井川は東海道の難所であり、かつての川越し宿場は「島田宿大井川川越遺跡」として国の史跡に指定されています。

現在の場所はこんな所 

嶋田宿 大井川

24.金谷宿|大井川遠岸

金谷宿(かなやしゅく)は東海道五十三次の24番目の宿場で、遠江国最東端に位置します。現在の静岡県島田市金谷にあり、大井川の右岸に位置します。牧之原台地が迫る狭い場所にありますが、川の増水で大井川を渡れなくなると、江戸へ向かう旅客が足止めされ、島田宿同様に賑わいました。

現在の場所はこんな所 

金谷宿 大井川

25.日坂宿(にっさかじゅく)|佐夜ノ中山

日坂宿(にっさかしゅく)は東海道五十三次の25番目の宿場で、現在の静岡県掛川市にあります。小夜の中山の西麓に位置し、三大難所の一つとされています。江戸時代に正式に宿場として整備され、事任八幡宮が西の入口にあります。宿場は金谷宿と掛川宿の間にあり、規模は小さいものの重要な位置にありました。
日坂宿「小夜の中山の夜泣き石」が有名です。この石にまつわる話は、殺された者の霊が泣き声をあげるものや、石自体が怪音を出すものなどがあります。

現在の場所はこんな所 

日坂宿 夜泣き石

26.掛川宿|秋葉山遠望

掛川宿(かけがわしゅく)は東海道五十三次の26番目の宿場で、現在の静岡県掛川市中心部に位置します。掛川城の城下町でもあり、山内一豊が改修して住んだことで知られています。宿場は駿河湾沿岸の相良から秋葉山を経て信濃国へ通じる塩の道が交差しており、歌川広重の「東海道五十三次」には、この秋葉街道が分岐する大池橋と秋葉山、参詣者の姿が描かれています。

現在の場所はこんな所 

掛川宿 沢野本陣跡

27.袋井宿|出茶屋ノ図

袋井宿(ふくろいしゅく)は、旧東海道の宿場で、東海道五十三次の27番目に位置し、江戸からも京からも中間点にあたります。掛川宿から次の見附宿や浜松宿までの距離が長く、原野谷川の氾濫で交通が途絶することが多かったため、元和2年(1616年)までに整備されました。現在の静岡県袋井市中心部に位置し、遠州三山など歴史ある寺社の門前町として栄えました。

現在の場所はこんな所 

袋井宿 どまん中茶屋

28.見附宿|天竜川図

見附宿(みつけしゅく)は、東海道五十三次の28番目の宿場で、現在の静岡県磐田市見付付近に位置します。「見附」の名は、水に接する土地に由来します。10世紀には遠江国の国府が、鎌倉期には国衙と守護所が置かれ、中世の東海道で屈指の規模を誇る宿場町となりました。天竜川の左岸にあり、水深が深いため、人力ではなく、主に船が使われました。増水で川止めとなった際は足止めされた人々で賑わいました。また、遠江国分寺や見附天神の門前町であり、本坂通の分岐点でもありました。

現在の場所はこんな所 

見附宿 天竜川

29.濱松宿|冬枯ノ図

浜松宿(はままつしゅく)は、東海道五十三次の江戸から数えて29番目、京から25番目の宿場で、実距離では中間に位置します。遠江国敷知郡の中心で、浜松藩が司法行政を管理していました。現在の静岡県浜松市の中心部で、浜松城の城下町として発展し、天保年間には本陣6軒、旅籠94軒を有する遠江国・駿河国最大の宿場でした。天竜川の右岸にあり、洪水で川の流れが変わり、現在の川岸から6kmほど離れています。

現在の場所はこんな所 

濱松宿 濱松城

30.舞坂宿|今切真景(いまぎりしんけい)

舞阪宿(まいさかしゅく)は、東海道五十三次の江戸から数えて30番目の宿場町で、現在の静岡県浜松市中央区舞阪町に位置します。遠江国にあり、標高約3メートルの低地に立地していました。中世の明応8年(1498年)に明応地震が発生し、津波により浜名湖の開口部が沈下し、今切口が決壊して湖が塩水湖となりました。地震津波以前は舞阪と荒井は陸続きであった。

現在の場所はこんな所 

舞坂宿 今切れの渡し(上空)

31.荒井(新居)宿|渡舟ノ図

新居宿(旧名「荒井宿」)は、東海道五十三次の31番目の宿場町で、現在の静岡県湖西市新居町新居に位置します。遠江国に属し、標高約3-5mの低地にありました。新居宿は、浜名湖西岸の今切口に面し、北から東は浜名湖、南は遠州灘に接していました。平安から中世にかけて、浜名川沿いの橋本宿が栄えていましたが、明応地震と津波で壊滅し、新居地区に移転しました。江戸時代には、浜名湖今切口の対岸にある舞坂宿との間に今切の渡しが設けられ、東海道の要所として新居関所が設置され、上記の絵にも関所が描かれています。

現在の場所はこんな所 

荒井宿 関所跡

32.白須賀宿|汐見阪図

白須賀宿(しらすかしゅく、しらすかじゅく)は、東海道五十三次の32番目の宿場で、現在の静岡県湖西市白須賀に位置します。遠江国最西端で、静岡県最西端の宿場町です。元々は海岸近くにありましたが、1707年の宝永地震と津波で被害を受け、潮見坂の高台に移されました。天保年間には27軒の旅籠があり、中規模の宿場として栄えていました。

現在の場所はこんな所 

白須賀宿 潮見坂

とてつもなく長かった静岡もようやくここで終わり・・・次は愛知県に突入!

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