歌川広重の東海道五十三次を徹底解説:歌川広重の浮世絵で辿る歴史と風景

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33.二川宿(ふたがわじゅく)|猿ヶ馬場

二川宿(ふたがわしゅく、ふたがわじゅく)は、東海道五十三次の33番目の宿場で、三河国最東端となる。現在の愛知県豊橋市二川町と大岩町に位置します。1601年(慶長6年)の東海道設定当初から、二川村と大岩村の2村で宿場業務を担当していましたが、負担が大きいため、1644年(正保元年)に二川村を西に、大岩村を東に移動させ、二川宿と加宿大岩町として再構成されました。二川宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が約30軒ありましたが、大岩町には旅籠が設置されませんでした。

現在の場所はこんな所 

二川宿 馬場本陣

34.吉田宿|豊川ノ橋

吉田宿(よしだしゅく、よしだじゅく)は、東海道五十三次の34番目の宿場で、現在の愛知県豊橋市中心部に位置します。1601年(慶長6年)の伝馬朱印状があり、東海道設定当初からの宿場です。徳川将軍家の老中や大名の吉田藩の所領で、吉田城の城下町と湊町(吉田湊、船町)を合わせた宿場町でした。本陣のあった札木町(豊橋市札木町)は吉田城大手門のそばにあり、人馬継立の問屋場も設置され、賑わいました。絵に描かれている橋は「豊川橋」と言い、東海道の四大橋の一つとして数えられている。長さが120間(217m)もあるとても長い橋であった。

現在の場所はこんな所 

吉田宿 豊川橋

35.御油(ごゆ)宿|旅人留女

御油宿(ごゆしゅく、ごゆじゅく)は、東海道五十三次の35番目の宿場で、現在の愛知県豊川市御油町に位置します。美しい松並木(御油の松並木)が街道の面影を残し、観光地として人気です。御油宿の東には追分があり、姫街道の西の起点となっています。姫街道は、新居宿の「女改め」を避けるために、多くの女性が利用したとされています。

ひろしげ

客引きの女と旅人とのやり取りを面白おかしく描いたのは、ワシのお茶目なところなんじゃ。

現在の場所はこんな所 

御油宿 本陣跡

36.赤坂宿|旅舎招婦ノ図

赤坂宿(あかさかしゅく、あかさかじゅく)は、東海道五十三次の36番目の宿場で、現在の愛知県豊川市赤坂町に位置します。御油宿や吉田宿と共に飯盛女が多く、「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と言われるほど賑わっていました。東海道筋で唯一21世紀まで営業を続けた旅籠「大橋屋」は、1649年創業、1716年建築と伝えられ、2015年3月15日まで営業していました。

現在の場所はこんな所 

赤坂宿 本陣跡

37.藤川宿|棒鼻ノ図

藤川宿(ふじかわしゅく、ふじかわじゅく)は、東海道五十三次の37番目の宿場で、現在の愛知県岡崎市藤川町に位置します。旧東海道には約1kmの松並木があり、岡崎観光きらり百選に選定されています。1601年の伝馬制度により設置され、1648年には加宿の市場村が成立しました。吉良道の分岐点で、脇本陣跡は岡崎市指定史跡です。藤川宿資料館や関山神社には歴史資料が残り、宿場景観を保持しています。また、国土交通省により愛知県で唯一歴史国道に選定されています。

現在の場所はこんな所 

藤川宿 西棒鼻

38.岡崎宿|矢矧之橋(やはぎばし

岡崎宿(おかざきしゅく、おかざきじゅく)は、東海道五十三次の38番目の宿場で、現在の愛知県岡崎市中心部に位置します。徳川家康の生誕地である岡崎城の城下町として、宿場町の規模は大きく、駿河国の府中宿(現在の静岡市)に次ぐものでした。矢作橋は1601年に架けられた日本最長の橋で、江戸時代の矢作橋の長さは、なんと208間(約347m)もの長さであった。なお、現在の矢作橋は全長300mです。

現在の場所はこんな所 

岡崎宿 矢矧之橋(矢作大橋)

39.池鯉鮒(ちりゅう)宿|首夏馬市

池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく/ちりゅうじゅく)は、東海道五十三次の39番目の宿場で、現在の愛知県知立市に位置します。江戸の日本橋から約330km離れており、当時の旅人は約10日間かけて到達しました。この宿場は馬市で有名で、歌川広重の「東海道五十三次」にも「首夏馬市」として描かれています。毎年陰暦の4月25日から5月5日頃に開かれていた馬市や木綿市で賑わいました。1604年頃、徳川家康の命により宿場が設けられ、街道沿いの松並木は馬をつなぐために利用されました。松並木は1959年の伊勢湾台風で多くの古松が倒れましたが、1970年に幼松158本が補植されました。

現在の場所はこんな所 

池鯉鮒宿 本陣跡

40.鳴海宿|名物有松絞

鳴海宿(なるみしゅく、なるみじゅく)は、東海道五十三次の40番目の宿場で、現在の愛知県名古屋市緑区に位置します。この宿場は有松・鳴海絞り(ありまつ・なるみしぼり)の生産が盛んな地域として知られています。有松・鳴海絞りは、江戸時代に誕生して以来、日本国内の絞り製品の大半を生産しており、美しい模様と高い品質で広く認められています。

現在の場所はこんな所 

鳴海宿 高札場

41.宮宿|熱田神事

宮宿(みやしゅく、みやじゅく、宮の宿、熱田宿)は、東海道五十三次の41番目の宿場です。現在の愛知県名古屋市熱田区に位置し、中山道の美濃路(美濃街道)や佐屋街道との分岐点でもあり、宮宿は東海道でも最大の宿場であった。古くから熱田神宮の門前町、港町として栄えており、尾張藩によって名古屋城下や岐阜と並び町奉行の管轄地とされました。また、宮宿と桑名宿は東海道唯一の海路である「七里の渡し」で結ばれていました。現在でも、宮~桑名間を遊覧船で渡る現代版「七里の渡し」が行われており、当時の旅の雰囲気を味わうことができます。

現在の場所はこんな所 

宮宿 熱田神宮 大鳥居

長かった旅も次でいよいよ最後!三重から到着地の京都へ!

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