42.桑名宿|七里渡口
現在の場所はこんな所
桑名宿 七里の渡し跡
ちょっとした船旅気分を味わえて楽しかったのう。
桑名宿 大塚本陣跡
これまた立派な建物があるのう。現在は旅館になっておるのか。
桑名宿 桑名宿舟会所・問屋場跡
こちらは綺麗に跡形ナッシング
以前は旅館があったそうじゃが、今は更地のようじゃのう。
43.四日市宿|三重川
現在の場所はこんな所
四日市宿 三重川(三滝川)
絵にも描いたのがこの三重川(三滝川)なんじゃよ。
四日市宿 陣屋跡(四日市代官所跡)
陣屋の跡地には小学校が建っているのう。
四日市宿 富田の一里塚
こちらは一里塚の碑じゃ。一里塚とは、主要な街道の側に1里ごと(約4キロ弱)に設置された目じるしの塚のことなんじゃ。
44.石薬師宿|石薬師寺
現在の場所はこんな所
石薬師宿 石薬師寺
お寺の名前がそのまま宿の名前になっておるんじゃのう。
石薬師宿 小澤本陣跡
こちらの本陣はとても大きな規模じゃったんじゃろうな。
45.庄野宿|白雨
現在の場所はこんな所
庄野宿 本陣跡
現在は町の集会所になっておるんじゃな。
庄野宿 高札場跡
立て札が目じるしじゃよ。
庄野宿 脇本陣跡
玄関の上の方に立て札が掲げられているのに気付いたじゃろうか。
庄野宿 問屋場跡
こちらも立て札が壁に掲げられておるのが目じるしじゃよ。
46.亀山宿|雪晴
現在の場所はこんな所
亀山宿 亀山城
この櫓(やぐら)が素敵で絵にも描いたくらいじゃ。
亀山宿 樋口本陣跡
柱に案内板が括り付けられているんじゃ。
亀山宿 高札場跡
こちらには立て札があるのう。
亀山宿 亀山宿の碑
階段の脇に石碑があるんじゃよ。
47.関宿|本陣早立
現在の場所はこんな所
関宿 関宿の街並み
最高すぎる!死ぬまでに行きたい場所No1じゃ!
関宿 川北本陣跡
こちらは碑が残っているだけじゃのう。
関宿 関一里塚
案内看板と燈籠が目じるしじゃ。当時の雰囲気が出てるのう。
関宿 高札場
これじゃこれじゃ。まさに当時のままの様子じゃのう!!これを見に関宿に行きたいもんじゃ!!
48.阪之下宿|筆捨嶺(ふですてみね)
現在の場所はこんな所
阪之下宿 筆捨山
「筆捨山」という名前の由来については、元々は岩根山(いわねさん)と呼ばれていたが、絵師の狩野元信がこの山を描こうとした際、1日目の天気とは異なり、2日目には雲や霞で覆われてしまい、山の全景が変わってしまったことで、絵を描くことを断念して筆を捨てたことから、この山が「筆捨山」と呼ばれるようになったと伝えられているんじゃ。
わしは捨てんよ。もったいない。
阪之下宿 大竹屋本陣跡
石碑が目じるしじゃよ。
阪之下宿 松屋本陣跡
こちらも石碑があるだけじゃ。
阪之下宿 坂之下宿~鈴鹿峠 解説版
滋賀県側は比較的なだらかな地形なんじゃが、三重県側は高低差が急激であり、現在でも箱根峠に次ぐ「国道1号有数の難所」とされるほど険しい区間なんじゃ。
49.土山宿|春之雨
現在の場所はこんな所
土山宿 鈴鹿峠
この峠が最後の難関じゃった。旅の疲れにこの峠越えはさすがにこたえるのう。
土山宿 土山家本陣跡
立派な家が建っておるから、きっと本陣の名残なんじゃろう。
土山宿 陣屋跡
こちらは空き地となっておるわ。立て札があるのが目じるしじゃ。
土山宿 旅籠井筒屋跡
こちらも立派な建物があるのう。石碑と立て看板が設置しておるの。
50.水口宿(みなくちじゅく)|名物干瓢(かんぴょう)
現在の場所はこんな所
水口宿 本陣跡
ちと分かり辛いが、ミラーの下に立て看板があるんじゃよ。
水口宿 脇本陣文右衛門跡
入口に看板が掲げられているんじゃ。
水口宿 東見附跡
これは当時を彷彿とさせる見事なものじゃのう。
水口宿 問屋場跡
ここも当時の名残があるのう。
51.石部宿|目川ノ里
現在の場所はこんな所
石部宿 三大寺本陣跡
立て看板があるのみじゃのう。
石部宿 田楽茶屋
ワシの描いた絵を基に再現したのがこの茶屋なんじゃ。雰囲気は似ているのう。
石部宿 東見附跡
立て看板があるのみじゃのう。(2回目)
石部宿 西見附跡
立て看板があるのみじゃのう。(3回目)
52.草津宿|名物立場
現在の場所はこんな所
草津宿 本陣跡
この本陣は現存しており、国の史跡としても指定されておるんじゃ!残っていることが奇跡なんじゃな!
草津宿 本陣田中九蔵家址
こちらには石碑と立て看板が建っている。
草津宿 高札場
これまた雰囲気のある高札場じゃ!
当時もトンネルの前にあったんかのう。
草津宿 追分道標
追分とは道が分かれるところを指す言葉で、草津宿にある東海道と中山道との分岐点を「追分」と呼ぶんじゃ。ここには「追分道標」という道標が立てられておるんじゃよ。
53.大津宿|走井茶店
現在の場所はこんな所
大津宿 大塚本陣跡
とてつもなく大きな石碑が建っておるのう。
ここだけちょっと緑地になっておるんじゃな。
大津宿 札ノ辻
札の辻(ふだのつじ)とは、高札場があった辻のことなんじゃ。
大津宿 肥前屋九左衛門本陣跡
こちらは名前のある看板があるだけじゃのう。
大津宿 走井餅本家
こちらは大津名物走井餅の店で絵にも描いているんじゃ。
え?どんな味じゃったかって?忘れてもうたわい。
到着 京師(京都)|三條大橋
長かった旅もここでようやく終わりじゃ。
現在の場所はこんな所
京師 三条大橋
カップルが並んで座っておるが、ここはかつて「三条河原」と呼ばれており、処刑や処刑後の晒し首が行われた場所じゃったんじゃが・・・ここは言わないでおこう。
京師 高札場
高札場の跡には石碑が建っているだけじゃのう。
まとめ
いかがだったでしょうか。本ブログ記事では、歌川広重についての詳細な解説を含み、彼が描いた東海道五十三次の絵を豊富に掲載し、ひろしげさんの一言を載せて分かりやすく説明させていただきました。各地の場所について詳細な説明と現在の地図を交えて、旅情を味わえる内容になっているかなと思います。
これを見て旅行に行ってみたいなと思って頂ければ幸いです。