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京都府

金閣寺の御朱印|北山文化の傑作「鹿苑寺」で感じる日本の美意識と歴史|(京都府 京都市)

金閣寺の御朱印。舎利殿「金閣」が特に有名な、相国寺の塔頭寺院・北山鹿苑禅寺ほくざんろくおんぜんじ。義満が描いた極楽浄土の世界を表現した庭園や建築は、北山文化の舞台として知られている。金箔に覆われた有名な建物を一度は間近で見てみたいという願いが、今回かなって参拝することができた。
京都府

天龍寺の御朱印|日本初の国の史跡・特別名勝に指定された名庭園を堪能しよう!(京都府 京都市)

天龍寺の御朱印。天龍寺は、1339年に足利尊氏によって創立された禅寺で、後醍醐天皇の菩提を弔うために建てられたのだそう。ユネスコの世界遺産に登録されており、敷地のどこを見回しても美しい景観が広がる。特に日本初の国の史跡・特別名勝に指定された曹源池庭園は必見!
京都府

智積院の御朱印|真言宗智山派の総本山 秀吉と家康のエピソードが面白い(京都府 京都市)

智積院の御朱印。智積院は、空海が開祖の真言宗の源流となる寺院。数多くの紆余曲折を経て、現在の京都に建立され、真言宗智山派の総本山となった。その建立の経緯には、豊臣秀吉や徳川家康のエピソードが登場するなど、興味深い逸話がある。
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京都府

伏見稲荷大社の御朱印|京都のパワースポットとして知られる千本鳥居の神秘(京都府 京都市)

伏見稲荷大社の御朱印 稲荷神社の総本社である「伏見稲荷大社」は、多くの観光客や参拝客が訪れる、京都を代表するパワースポットだ。千本鳥居が続く長い参道と、多数の狐の像が配置された神社内は、神秘的で力を感じる場所として知られている。
京都府

平安神宮の御朱印|日本の伝統と美を感じる京都復興の象徴(京都府 京都市)

平安神宮の御朱印。京都市内に位置する神社で、京都の文化・伝統を象徴する聖域のひとつ。その起源は、京都復興の象徴として建立されたことにある。第50代桓武天皇や第121代孝明天皇をはじめとする多数の皇族や貴族が祀られており、歴史を感じる荘厳な雰囲気が漂う。
京都府

光縁寺の御朱印|新選組総長山南敬助と隊士のお墓があるお寺(京都府 京都市)

光縁寺の御朱印 光縁寺は、新選組にゆかりのあるお寺で、総長の山南敬助や河合耆三郎など多くの戦士たちが埋葬されている。山南敬助は仙台藩出身の北辰一刀流の使い手で、親切な人柄で親しまれていたが、首脳陣との確執から脱走し、隊規違反で切腹に処された。後に彼が葬られた場所が、光縁寺である。
ゆかりの人物

壬生寺の御朱印|新選組ファン必見!京都・壬生寺を訪ねてみた(京都府 京都市)

壬生寺の御朱印 新選組が京都を守るために使用していた屯所が壬生に位置していたため、壬生寺は新選組と関連が深いお寺として有名。壬生寺には、近藤勇の胸像をはじめ、「芹沢鴨」「河合耆三郎」「平山五郎」など、新選組の幹部のお墓もある。
寺院

比叡山延暦寺の御朱印|半日では足りない!古き日本仏教の歴史を感じる(滋賀県 大津市)

比叡山延暦寺の御朱印 数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」と言われている。
寺院

日光山輪王寺の御朱印|徳川三代将軍「家光」が眠る輪王寺(栃木県 日光市)

輪王寺の御朱印 徳川家光の霊廟である「大猷院廟」がある、世界遺産のお寺 「東照宮」「二荒山神社」「輪王寺」を総称して「二社一寺」と呼ばれる 766年(天平神護2年)に、勝道上人が開山 平安時代、空海・円仁が訪れる 鎌倉時代、源頼朝の寄進などにより東国の宗教的権威として栄える 江戸時代、徳川家康の東照宮、三代将軍家光の大猷院廟(家光の法号)が建立される 天海大僧正(慈眼大師)が住職となり家康公を「東照大権現」として日光山に祀る さらに慈眼大師・三代将軍家光も祀られ、後続出身の僧侶が幕末まで管理するようになる
寺院

長谷寺の御朱印|日本最大級の木造仏像である十一面観音像は圧巻の迫力であった(神奈川県 鎌倉市)

長谷寺の御朱印 736年(天平8年)、奈良県「大和の長谷寺」開基である「徳道」が開山 藤原房前ふじわらのふささきが招請した(父は藤原不比等) 大和国山中で楠の大木から2体の十一面観音像を彫りだす 一体を大和長谷寺に祀り、もう一体を海へ流す 15年後、三浦半島に流れ着いた十一面観音を鎌倉に安置して開いたのが長谷寺 本尊の十一面観音は錫杖を右手に持ち、岩座に立つ姿で「長谷寺式十一面観音像」と呼ぶ 本尊は度重なる修復がなされおり、少なくとも室町時代には存在していたとされる 関東大震災で甚大な被害を受け、鉄筋による再建が進む
寺院

中禅寺の御朱印|奥日光の湖畔にある中禅寺は輪王寺の別院でもあった!(栃木県 日光市)

中禅寺の御朱印 784年(延暦3年)、日光山の開祖「勝道上人」により開かれる 船で湖を遊覧した際、湖上に千手観音の姿を感得 根がついたまま、桂の木に立木千手観音像を刻み「立木千手観世音菩薩」とする 国の重要文化財指定 当初は、男体山登拝口付近に二荒山神社の神宮寺「補陀洛山ふだらくさん中禅寺」として建立 脇侍として源頼朝が四天王像を寄進 日光は女人禁制だったため、女性はいろは坂の途中にある「女人堂」から遥拝した
ゆかりの人物

鶴岡八幡宮の御朱印|倒壊した大イチョウは、新しい姿でよみがえろうとしていた(神奈川県 鎌倉市)

鶴岡八幡宮の御朱印 1063年「源頼義」が京都の石清水八幡宮を「鶴岡若宮」として勧請 前九年の役で戦勝祈願をした神社 1081年「源義家」が修復 「鎌倉八幡宮」とも呼ばれ、以降源氏の守り神とされる 「源頼朝」は鶴岡八幡宮を篤く崇敬 鎌倉幕府開府と同年、「鎌倉八幡宮」を現在の場所へ遷す 幕府の重要祭事として「放生会」「流鏑馬」「相撲」「雅楽」などを境内で執り行う
京都府

金戒光明寺の御朱印|新選組の名前が生まれたお寺(京都府 京都市)

金戒光明寺の御朱印 法然上人が結んだ草庵が始まりとされる、とても歴史の深いお寺。幕末には京都守護職「会津藩主・松平容保公」が本陣を敷いた場所で、新選組ともかかわりが深い。
千葉県

長福寿寺の御朱印|とにかくご利益(特に金運UP)が欲しい方必見!!(千葉県 長南町)

いつも参拝するお寺とはちょっと違った雰囲気の、楽しいお寺に出会いました。ゾウの像が可愛い。
千葉県

千葉神社の御朱印|千葉氏ゆかりの地千葉神社は、仏教と融合した珍しい神社であった。(千葉県 千葉市)

千葉神社の御朱印 平安時代末期、関東南部を統治した「平良文たいらのよしぶみ」が「北辰妙見尊星王ほくしんみょうけんそんじょうおう」を信仰 「北辰=北極星」であり、北極星・北斗七星を神格化ている 「平良文」を祖に持つ「千葉氏」が一族の守護神として「北辰妙見尊星王」を各地に祀る 千葉氏3代目「平忠常たいらのただつね」が、領内各地に祀られる「香取神社」境内の一角に「妙見」を祀る 第66代「一条天皇」が眼病平癒を祈り完治したことから、寺号「北斗山金剛授寺」を贈る これを受け「忠常」は伽藍を整備、息子を大僧正に就けて1000年(長保2年)に中興開山 源頼朝、日蓮上人、徳川家康など名だたる人物も参拝し崇敬 1869年(明治2年)神仏分離令により千葉神社へ改称 妙見大祭の「神輿渡御」が神社の様式だったから 千葉神社へ改称以降も「妙見信仰」と習合する神社となっている 社殿は2階建てのようになっており、上下2つの拝殿を持つ国内の重層社殿
神社

太宰府天満宮の御朱印|全国約12,000社!天神様と菅原道真はどんな人?(福岡県 太宰府市)

太宰府天満宮の御朱印 「天満宮」とは「菅原道真」を祭神として祀る神社のこと 天神様=菅原道真 太宰府天満宮は「菅原道真公の霊廟」として篤く信仰されている 京都「北野天満宮」と並び、全国約12,000社ある天満宮の総本社 菅原道真の死後、亡骸を牛車に乗せて運んだところ、現在社殿のある場所で動かなくなる 道真公の意思を感じ、その場所に埋葬 その後、墓所の上に社殿を造営し「太宰府天満宮」となる
千葉県

宗吾霊堂の御朱印|民のために自らの命を懸けた人のお寺(千葉県 成田市)

宗吾霊堂の御朱印 「桓武天皇」の勅命により「坂上田村麻呂」が創建(推定:700年頃) 坂上田村麻呂が房総を平定した際、戦没者供養のために建立された真言宗豊山派の寺院 佐倉宗吾の伝説 当時、度重なる凶作と、佐倉藩の追い打ちをかけるような重税に農民が苦しんでいた 見かねた名主の「木内惣五郎」ら6名が藩へ窮状を訴えるも取り合ってもらえず 覚悟を決めた「惣五郎」が徳川将軍へ直訴 ようやく訴えを聞き届けられ、佐倉藩の領民たちは救われた 面目をつぶされた藩主「堀田正信」が怒り、惣五郎夫妻を貼り付け、子供4人は死罪に これを宗吾霊堂の当時の和尚「澄祐ちょうゆう」が刑場跡に埋葬 100年後の佐倉藩主「堀田正亮まさすけ」が惣五郎に対し「宗吾道閑居士」の法号を諡号しごう 以降「佐倉宗吾様」と呼ばれ、人々から親しまれるようになった
大阪府

住吉大社の御朱印|日本全国に約2,300社!住吉神社の総本社に行ってきた(大阪府 大阪市)

住吉大社の御朱印 第14代「仲哀天皇」の后「神功皇后」が(211年)創建 神功皇后の新羅平定(三韓征伐)後、住吉大神の加護に感謝して創建したと言われている 古くから信仰が篤く「摂津国の一宮」として社格が与えられる 鎌倉時代の「源頼朝」をはじめ、多くの武家から崇敬される 全国約2,300社ある住吉神社の総本社 昭和21年までは、朝廷や国からお供え物をする「官幣大社」だった 本殿の4棟は【国宝指定】
神社

富士山本宮浅間大社の御朱印|全国1,300社!浅間神社の総本山に行ってきた(静岡県 富士宮市)

富士山本宮浅間大社の御朱印 第7代「孝霊天皇」の時代(推定:紀元前300~200年) 富士山大噴火により、周辺住民が離れる 第11代「垂仁天皇」の時代(推定:3世紀高後~4世紀前期) 「垂仁天皇」がこれを憂い、山足の地(=富士の山裾)に「浅間大神」を祀る 第12代天皇の時代(推定:4世紀前~中期) 「日本武尊」が駿河国で野火の難に遭い、「浅間大神」に祈念し難を逃れる 平定後「山宮(現:山宮浅間神社)」に磐境いわさかを作り「浅間大神」を祀る 第51代「平城天皇」の時代(平安初期:806年) 「平城天皇」の命により「坂上田村麻呂」が「大宮の地(現在地)」に社殿を造営 元は「福地神」の社地だったが、この移転に合わせて現「富知神社」へ移転 「源頼朝」「北条義時」「武田信玄・勝頼」「徳川家康」など多くの武家から崇敬される 「源頼朝」は富士山麓の巻狩り時、流鏑馬を奉納したとされる 境内のしだれ桜は、武田信玄寄進によるもので「信玄桜」と呼ばれている 「徳川家康」は関ヶ原合戦勝利のお礼として境内一円を一気に整備 富士山8合目以上を境内地として寄進
神社

三嶋大社の御朱印|源頼朝が深く信仰したのはなぜか?(静岡県 三嶋市)

三嶋大社の御朱印 創建時期は不明だが、奈良時代の古書にも記録が残っている 東海随一の神格で、平安時代中期に編纂された「延喜式」に「名神大」として掲示されている 伊豆に流された「源頼朝」は特に深く信仰し、源氏の再興を祈願した 源氏再興後、頼朝は多くの社領や新法を寄進し、より一層信仰を強めた 北条政子が奉納したと伝えられる「梅蒔絵手箱」と内容品一式は【国宝】 源氏再興の成功以後、伊豆国の一宮として多くの武家からも信仰を集めた 地理的には、東海道に面し下田街道の起点に位置しており、伊豆国の一宮として広まった
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