静岡県

大河ドラマ

伊豆山神社の御朱印|源頼朝と北条政子ゆかりの地、鎌倉幕府将軍家「二所詣」の一つに行ってきた(静岡県 熱海市)

源頼朝や鎌倉幕府との深い繋がりがあることで有名だが、古代から信仰の地とされており、推古天皇の時代には「走湯権現」と言う神号を賜る。富士山信仰とも繋がりがあり、当時伊豆山で修業していた「末代上人」が富士山登拝を重ね、上皇や貴族、民衆にその教えを広めた。伊豆山から富士山までの修行道が形成されたと言われる。
大河ドラマ

修禅寺の御朱印|修禅寺完全ガイド!鎌倉2代将軍「源頼家」最後の地である修善寺をまるっとご紹介(静岡県 伊豆市)

「修禅寺」と言うと、伊豆でも人気の観光スポットだ。実は鎌倉幕府2代将軍「源頼家」最後の地になった場所でもあり、幽閉の日々をどう過ごしたのだろうかと思いを巡らせる。
神社

來宮神社の御朱印|樹齢2000年の御神木!有数のパワースポットで初詣!(静岡県 熱海市)

パワースポットで有名な来宮神社へ、初詣した時の記録。古くから「来宮大明神」と、人々から愛され、来復・縁起の神として大切にされてきた。さすがパワースポット、たくさんの参拝客で溢れていた。
神社

富士山本宮浅間大社の御朱印|全国1,300社!浅間神社の総本山に行ってきた(静岡県 富士宮市)

富士山本宮浅間大社の御朱印 第7代「孝霊天皇」の時代(推定:紀元前300~200年) 富士山大噴火により、周辺住民が離れる 第11代「垂仁天皇」の時代(推定:3世紀高後~4世紀前期) 「垂仁天皇」がこれを憂い、山足の地(=富士の山裾)に「浅間大神」を祀る 第12代天皇の時代(推定:4世紀前~中期) 「日本武尊」が駿河国で野火の難に遭い、「浅間大神」に祈念し難を逃れる 平定後「山宮(現:山宮浅間神社)」に磐境いわさかを作り「浅間大神」を祀る 第51代「平城天皇」の時代(平安初期:806年) 「平城天皇」の命により「坂上田村麻呂」が「大宮の地(現在地)」に社殿を造営 元は「福地神」の社地だったが、この移転に合わせて現「富知神社」へ移転 「源頼朝」「北条義時」「武田信玄・勝頼」「徳川家康」など多くの武家から崇敬される 「源頼朝」は富士山麓の巻狩り時、流鏑馬を奉納したとされる 境内のしだれ桜は、武田信玄寄進によるもので「信玄桜」と呼ばれている 「徳川家康」は関ヶ原合戦勝利のお礼として境内一円を一気に整備 富士山8合目以上を境内地として寄進
神社

三嶋大社の御朱印|源頼朝が深く信仰したのはなぜか?(静岡県 三嶋市)

三嶋大社の御朱印 創建時期は不明だが、奈良時代の古書にも記録が残っている 東海随一の神格で、平安時代中期に編纂された「延喜式」に「名神大」として掲示されている 伊豆に流された「源頼朝」は特に深く信仰し、源氏の再興を祈願した 源氏再興後、頼朝は多くの社領や新法を寄進し、より一層信仰を強めた 北条政子が奉納したと伝えられる「梅蒔絵手箱」と内容品一式は【国宝】 源氏再興の成功以後、伊豆国の一宮として多くの武家からも信仰を集めた 地理的には、東海道に面し下田街道の起点に位置しており、伊豆国の一宮として広まった
寺院

了仙寺の御朱印|鎖国時代、ペリー提督一行がやってきた寺!(静岡県 下田市)

了仙寺の御朱印 1854年(嘉永7)「日米和親条約」締結により、下田開港 のちに締結される「下田条約」にかかる、アメリカとの交渉場所が了仙寺 先に締結済みの「日米和親上条約」規定に基づく追加13条の付帯協定のこと
北条義時

北條寺の御朱印|北条義時の故郷 江間へ(静岡県伊豆の国市)

北條寺の御朱印 2022年の大河ドラマの主人公「北条義時」が創建したと言われるお寺。義時の嫡子が不慮の事故で命を失った際、冥福を祈るためにこの地を墓所として七堂伽藍や仏殿を建立した。鎌倉幕府二代執権として活躍した後、1224年に急死すると、息子の泰時によってこの寺に墓を建てられたと伝えられている。夫人である「伊賀の方」の墓も横に並んでいる。
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