富士山本宮浅間大社の御朱印|全国1,300社!浅間神社の総本山に行ってきた(静岡県 富士宮市)

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地元の千葉にも「浅間神社」と名のつく神社があり、一体いくつの浅間神社が存在するのだろうかと不思議に思っていた。いつも何気なく参拝していたこの「富士山本宮浅間大社」こそが、総本山だった。全国には1,300社もの広がりを見せており、その背景には「富士山信仰・山岳信仰」が関係しているようだ。

参拝日:2024年7月31日

目次

神社の紹介

  • 第7代「孝霊天皇」の時代(推定:紀元前300~200年)
    富士山大噴火により、周辺住民が離れる
  • 第11代「垂仁天皇」の時代(推定:3世紀高後~4世紀前期)
    「垂仁天皇」がこれを憂い、山足の地(=富士の山裾)に「浅間大神」を祀る
  • 第12代天皇の時代(推定:4世紀前~中期)
    • 「日本武尊」が駿河国で野火の難に遭い、「浅間大神」に祈念し難を逃れる
    • 平定後「山宮(現:山宮浅間神社)」に磐境いわさかを作り「浅間大神」を祀る
  • 第51代「平城天皇」の時代(平安初期:806年
    • 「平城天皇」の命により「坂上田村麻呂」が「大宮の地(現在地)」に社殿を造営
    • 元は「福地神」の社地だったが、この移転に合わせて現「富知神社」へ移転
  • 「源頼朝」「北条義時」「武田信玄・勝頼」「徳川家康」など多くの武家から崇敬される
  • 「源頼朝」は富士山麓の巻狩り時、流鏑馬を奉納したとされる
  • 境内のしだれ桜は、武田信玄寄進によるもので「信玄桜」と呼ばれている
  • 「徳川家康」は関ヶ原合戦勝利のお礼として境内一円を一気に整備
    • 富士山8合目以上を境内地として寄進

正式名称

 富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ 

御祭神

 木花之佐久夜毘売命このはなさくやひめのみこと   別称:浅間大神あさまのおおかみ 

※「木花咲耶姫命」とも書くが、浅間大社側では『古事記』に載る表記を正式名に採用しているとのこと。よって、北口本宮浅間神社とは異なる。

御朱印

富士山金箔押朱印 特別朱印紙梅月

参拝日:2024/7/31

参拝日:2020/8/21

参拝日:2018/7/23

参拝日:2017/7/15

御朱印所

こちらで御朱印が頂ける。

富士山クリップ

結構良い!

みどころ

境内案内図

富士山本宮 浅間大社の公式サイトよりダウンロードできます

結構というかかなり広くて、見る場所や遊ぶところも多い!

駐車場

富士山本宮浅間大社の駐車場は大鳥居の裏にあるので、らくちん。
1時間200円(30分まで無料)と安いので、助かる。

大鳥居と社号標柱

本来ならばドドーンと富士山が見えるのだが、この日は雲がかかり見えず…

駐車場はこの先にあるので、移動も楽ですね。

写真からはあまり感じられないが、この日の富士宮市の気温は37℃。
オーブンの中にいるような感覚で、むちゃくちゃ暑い・・・

参道

駐車場を抜けると、すぐに参道へ出る。
綺麗な参道の先に鳥居と楼門が見え、テンションが上がってきた!!

石畳で綺麗に舗装されたまっすぐな参道が奥へ延びる。木々に囲まれて夏でもすずし・・・くない・・!
暑い・・・!
ハンディタイプの扇風機から吹く風も熱風なので、余計暑い。

平日に参拝したためか、かなり空いている。
それとも暑いからなのか??

流鏑馬像

鳥居の奥には流鏑馬像が配置されている。手前の狛犬は歴史を感じる。

こちらは、「源頼朝公」が富士の裾野で巻狩(大規模な軍事演習)を行った際に、流鏑馬を奉納したことを表している。
毎年5月の連休には、この浅間大社で流鏑馬祭りがおこなわれており、源頼朝の流鏑馬奉納が起源とされている。

富士山の雪解け水が流れる小川

あまりの暑さのため、近くを流れる小川へ向かう。

写真を見てもわかるが、とても綺麗な水。道路わきのちょっとした小川でも、水が青くて美しい。
富士山の雪解け水が流れてきているので、真夏でも本当に本当につめたい。

熱くなった体をここでクールダウンすることにした。
まるで天国のような場所だ。清らかな水がひんやりとしていて、とても心地よく、癒される。

まー綺麗だし、まー冷たい。

川に入れるスポットがあるため、体を冷やすのに最適だ。
毎年夏休みの時期に訪れるが、ほとんどいつも子供たちがこの川で遊んでいる。

楼門

体も少し冷めたので、参拝を再開!

こちらが楼門。朱塗りで立派な建物だ。都内ではなかなか見かけない規模で、左右に大きく広がっている。

こちらの楼門は、正面と左右に扉がある2階建ての入母屋造りで、間口は4間、奥行きは2間半、高さは6間半の構造になっている。

厳かな雰囲気が漂っている。巨大な絵馬が飾られていて面白い。

楼門の左右には随身像が置かれていて、その背面には1614年(慶長19年)の年号が刻まれている。
ただ、あまり見えないのが残念だ。

楼門に掲げられている扁額は、聖護院入道盈仁親王の筆によるもので、文政2年に制作されたものだそうだ。

手水舎

楼門の左前に手水舎が設置されている。ここで身を清めてからお参りしよう。

楼門と同様の装飾が施されているので、一体感がある。

こちらの水もひんやりしている。おそらく富士山の湧水だろう。まさに神聖な水だ。

境内

では、楼門をくぐって境内にお邪魔します。

この楼門越しに見える本殿はとても美しい。

正面には拝殿があり、その奥に本殿がある。境内はとても広い敷地であることがわかる。
きれいに整備されているなあ。

本殿の右側には御朱印をいただく場所がある。

本殿の左側には御守りの販売や御祈祷の受付があり、絵馬もこちらでいただける。

本殿の後ろには、今くぐってきた楼門がある。神社全体の構造は非常にシンプルだ。

では、まず拝殿へ向かい、旅行の安全と日々の感謝を伝えに行こう。

本殿・拝殿

こちらが富士山本宮浅間大社の拝殿である。

幣殿と拝殿は、「徳川家康」によって寄進されたものだ。屋根は檜皮葺で、外側と内側は丹塗りされており、蟇股や虹梁の彫刻には鮮やかな色彩が施されている。

拝殿の間口は5間、奥行きも5間で、床は幣殿より2段高くなっている。正面は入母屋造り、背面は切妻造りで、正面には1間分の向拝が設けられている。

神社なので、二礼・ニ拍手・一礼である。

子供には「ペコペコ・パンパン・ペコ」だよと教えている(笑)

大きな注連縄(しめなわ)が印象的だった。

本殿

向かって右側よりパシャリ

向かって左側よりパシャリ

御朱印所(社務所)

看板があるから分かりやすい

こちらで御朱印を頂ける。

今、この二種類の御朱印がもらえる。
紙の朱印の方は帳面に手書きしてもらえる。

参拝日の日付が記入されているのでそれはそれでありがたい。

御朱印帳はこの2種類。

南極の石・火山弾・浄砂(きよめずな)

本殿の左側には南極の石と火山弾があり、その奥には富士山の形をした「浄砂(きよめずな)」がある。
え?南極の石?と驚いて看板を熟読・・

南極の石

南極の石

 この石は、南極奥地より氷河に乗り幾億年もの歳月を経て流出し、地吹雪により風化したもので、第七次南極観測船ふじの乗組員により採取されました。
 富士浅間大神の御神霊を奉斎して、昭和基地に赴いた砕氷艦”ふじ”の乗組員赤池稔氏の(富士宮市出身)奉納であります。
 富士山本宮浅間大社

南極の石前の説明看板より

名称 火山弾  目方 約三十貫(約百キロ)

 これは富士山噴火の時に、地中の岩漿が火熱のために溶けて空中に吹き上げられ落下した際に、酸化して冷却したものです
 この様に形が整って大きなものは、珍しいといわれています。

火山弾前の説明看板より

富士山浄砂(きよめずな)

こちらにあったのが富士山の浄砂だ。

富士山の形をした砂が盛られ、祀られている。

特に説明はないので後で調べたところ、この砂は「お砂取り」に使われるものだということがわかった。
お砂取りとは、清められた砂をお守りとして持ち帰ったり、家の敷地に撒いて清めたりする行為で、もともとは占術に基づくお祓いの一環だった。
ここ富士山本宮では、富士山の砂が浄砂として用意されており、授与所で100円の初穂料を納めると一握りもらえる

これは、参拝時に知っておきたかった・・!
次回の参拝時には、ぜひ砂を分けてもらいたい。

水屋神社へ(富士山御霊水)

ここ富士山本宮で一番好きな場所がこの水屋神社だ。
富士山の冷たい湧水をいただける場所である。

本殿から見ると右側に位置している。看板があるので分かりやすい。

こちらの門から出る。

抜けるとすぐ左手に見えてくる。

門を出て振り返った写真。

国指定特別天然記念物
湧玉池

この池は霊峰富士の雪解けの水が熔岩の間から湧き出るもので水温は摂氏十三度、湧水量は一秒間に二、四キロリットル、年中殆んど増減がありません。
昔から富士道者はこの池で身を清めて六根清浄を唱えながら登山するならわしになっております。

つかふべき数にをとらむ 浅間なる手洗川の そこにわくたま
平 兼盛

湧玉池前の説明看板より

真夏でも13℃の水なのでとても冷たい。

こちらでお水を頂ける!!

「湧玉池」のほとりには、「富士山御霊水」として富士山の冷たい水に実際に触れることができる場所が設けられている煮沸が必要だが、飲むこともできるようだ。
真夏でもとても冷たくて気持ちがいい。

こう書いていあるが、気にならない人はそのまま飲んでも問題ない。この辺りは自己責任だ。

水屋神社

普段は飲料水として飲んでいるけど、あくまで天然水なので、気になる人は煮沸して飲んでくださいね。と言っている。

湧玉池

とにかく周囲を流れる水が本当にきれいで、富士山の恵みと言える。

湧水があまりにきれいで感動する。水草はもちろん、水底までしっかりと見ることができる。
この池を泳いでいる小魚たちもたくさん観察できた。

そして、「湧玉池」から湧き出る水が、先ほど見て感動した川に繋がっているのだ。

末社

湧玉池の向こう側に二つの鳥居が見えるので、行ってみようと思う。

右側の池に浮かぶ島にひとつだけ立っている鳥居の姿から、おそらく「厳島神社」ではないかと想像する。

末社 厳島神社

予想が当たった!少しずつ神社について詳しくなってきた!

この橋を渡って次の神社へ向かう。この朱塗りの橋が風情があって素敵だ。

末社 稲荷神社

駿州赤心隊の碑

今まで何度も訪れていたのに全く気づかなかったが、こんな碑があった。
「富士亦八郎重本」という人物の碑らしい。幕末の動乱期に浅間神社の宮司の家に生まれ、駿州赤心隊を結成して新政府軍として幕軍と戦った維新の志士だそうだ。知らなかった・・・!

駿州赤心隊

富士亦八郎重本 文政九年(一八二六年)~明治三十年(一八九七年)は駿州赤心隊を結成、勤皇に献身した。
富士山本宮浅間大社の大宮司家に生まれ十五歳で江戸に出て、漢学・武術を学ぶ。
二十歳で帰郷第四十四代大宮司家を継ぐかたわら塾を開き、国学、漢学、兵学を教える。
東征軍に参加、駿州赤心隊を率いて幕軍と戦う
その後、西南戦争に従軍、現靖国神社の前身、東京招魂社の社司となり祭祀を司り最後は東京麹町区長。
この石碑は明治維新の激動の時代を勤皇の志士として、国家に尽くした駿州赤心隊顕彰の碑である。

駿州赤心隊前の説明看板より

まとめ

真夏に訪れることが多い富士周辺。神社の敷地には子供たちが遊べるような広場もあり、小休憩として参拝することが多い。人々の憩いの場所でもあるわけだが、実は紀元前から浅間大社として祀られていた、とても由緒のある神社だった。神社の奥深い世界。

アクセス

住所

所在地静岡県富士宮市宮町1-1
最寄駅「JR身延線 富士宮駅」下車 徒歩10分
駐車場情報専用の有料駐車場あり
公式サイトhttp://fuji-hongu.or.jp/sengen/

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