神社の紹介
- 「天満宮」とは「菅原道真」を祭神として祀る神社のこと
- 天神様=菅原道真
- 太宰府天満宮は「菅原道真公の霊廟」として篤く信仰されている
- 京都「北野天満宮」と並び、全国約12,000社ある天満宮の総本社
- 菅原道真の死後、亡骸を牛車に乗せて運んだところ、現在社殿のある場所で動かなくなる
- 道真公の意思を感じ、その場所に埋葬
- その後、墓所の上に社殿を造営し「太宰府天満宮」となる
- 菅原道真
- 讃岐国の長官として京都から赴任後、国を立て直す
- 実績を当時の「宇多天皇」に認められ京都へ戻る
- 894年、遣唐使廃止を提案
- 日本独自の文化の発展に大きな影響を与える
- 右大臣として活躍中、当時の左大臣「藤原時平」の政略で罪を被せられ太宰府へ左遷
- 当時の「醍醐天皇」を廃立し、自分の娘婿を皇位に就けようとした、罪
- 時平首謀と言うより、当時道真に反感を持っていた貴族たち意思が働いた
- 子供4人は流刑
- 衣食住もままならぬ生活の中で、そのまま他界
- 生活に必要な俸給や従者も与えられず、流罪と言いながら緩やかな死罪に等しい
- 道真の5世孫の養子となった「菅原陳経」が、時平の虚偽申し立てだったとしている
- 現在もこの見解が一般的になっている
- 道真が左遷後に醍醐天皇廃立計画が存在したことを仄めかした資料もある
- 道真死後、関わった人間が相次いで病死や事故死
- 道真の怨霊が原因と考えられ、京都の「北野天満宮」にて神として祀られる
- 職位も右大臣に復帰し「正二位」を贈られている
- 一条天皇の時代には更に「太政大臣」を贈られている
正式名称
太宰府天満宮
御祭神
菅原道真公
御朱印
御朱印帳
みどころ
境内案内図
※太宰府天満宮の公式サイトよりダウンロードしました。
太宰府駅
観光客が続々と降りてくる。やはり全国でも有数の観光地である。
参道
太宰府で有名な「梅が枝餅」のお土産屋もあり、香ばしい匂いがたまらない。
神社名碑
「太宰府天満宮」と彫られている。かなり大きく、ゴツゴツとした形そのままを使用している。
石鳥居
三の鳥居|ここをくぐると太宰府の境内に入る。
太宰府天満宮由緒の説明看板。
四の鳥居|この鳥居は今からおよそ700年前、南北朝時代に建立されたと推定されている。九州では最古と言われているそう。
白い石を使っているからなのか、あまり劣化を感じさせず、美しい。
太鼓橋と心字池
たくさんの参拝客が行き交う太鼓橋。
と、「心字池」。
太宰府天満宮といったら、この「太鼓橋」と「心字池」ではないだろうか。
記念写真を撮っている人も多かった。
楼門(ろうもん)
朱色と金色がとても華やかな門。奥に御本殿が見えて来た。
御本殿
社殿造営後、兵火により何度か焼失しているが、1591年「小早川隆景」が造営したものが現在の社殿の姿とのこと。「桃山時代」の勇壮さと豪華さを感じる。
特徴的な屋根がすぐ目に留まるが、これは「檜皮葺」と呼ばれる手法で、檜の樹皮を用いる日本古来から伝わる伝統的な建築法なのだそう。国の重要文化財指定。
人気の神社なので、とにかく参拝客が多かった・・!
合格祈願の絵馬
天神様と言えば「学問の神様」としても有名。受験シーズンには、地元の天神様が祀られている神社へ合格祈願に行ったことを思い出す。国民に広く浸透する文化の一つになっているんだなあ。すごい。
大楠
苔むした奥の建物と、手前の大楠がの姿がマッチしていてとてもいい。ジブリの世界を思い起こす。
まとめ
太宰府天満宮は、菅原道真が突然左遷され、そのまま志半ばで倒れてしまった想いが今の形となって表れているように感じる。当時の政治ではよくある陰謀と失脚の一つが、現在まで続く人々の文化へと昇華されているところに、歴史の面白さがある。
アクセス
住所
所在地 | 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号 |
最寄駅 | 「西鉄電車太宰府線 太宰府駅」下車 徒歩5分 |
駐車場情報 | 専用の有料駐車場あり |
公式サイト | https://www.dazaifutenmangu.or.jp/ |
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長浜ナンバーワン
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味玉入り
【感想】
福岡にて6件ほどラーメン屋に行ったが、ここ「ナンバーワン」が一番おいしく感じた。
クリーミーでマイルドな味であり、豚骨がくどくないスープは最後まで飲めるほどおいしい。
卓上に「紅ショウガ」があるので、これは替え玉の2杯目に投入してほしい。
当時一杯500円(ラーメン)であり、コスパと味は他(一風堂、Shin-Shin、だるま、一蘭)より頭一つ抜け出している。