東大寺の御朱印|聖武天皇が国の威信をかけて作成したお寺(奈良県 奈良市)

奈良県
奈良県寺院
奈良の東大寺は、日本を代表する有名なお寺の一つだ。その巨大な規模は、想像をはるかに超えるものであり、実際に訪れてみなければ本当のスケール感を把握することはできない。聖武天皇の想いが込められたこの寺の歴史もまた、大きな価値がある。

参拝日:2010年5月2日
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お寺の紹介

  • 聖武天皇が728年(神亀5年)、若草山の麓に「山房」を設け、9人の僧を住まわせた
    • 幼くして亡くなった光明皇后との息子の菩提を弔うため
  • 733年(天平5年)、「金鐘寺」として創建される
  • 8世紀半ばには「羂索堂けんじゃくどう」「千手堂」が存在していた記録がある
    • 羂索堂は現在の法華堂を指すとみられる
  • 741年(天平13年)、国分寺建立の詔が発せられる
  • 742年(天平14年)、大和国の「国分寺」兼「総国分寺」とされ、「金光明寺こんこうみょうじ」と改称
    • 正式名称は「金光明四天王護国之寺」
  • 747年(天平19年)に大仏の鋳造が開始される
    • この頃から「東大寺」の名前が用いられるようになる
    • 東大寺建設の役所「造東大寺司」の名前が748年から史料に登場する
    • 聖武天皇が国力(のべ人数にして当時の人口の約半分)を総動員して建立
  • 建立当時の大伽藍は2度の兵火で大半を焼失
  • 江戸時代には「東大寺大仏」「鎌倉大仏」「方広寺大仏」が日本三大仏と称された
    • 「東大寺大仏」は、上記を含め「雲居寺大仏」「東福寺大仏」等の大仏に影響を与えた
    • 方広寺大仏、雲居寺大仏、東福寺大仏は現存していない
  • 現在の大仏は江戸時代中期に再建されたもの
    • 再建時は方広寺大仏を手本として設計された
  • 1998年に「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録

正式名称

 金光明四天王護国之寺こんこうみょうしてんのうごこくのてら  通称|東大寺

御本尊

 廬舎那仏

御朱印

東大寺の御朱印
東大寺の御朱印
東大寺の御朱印帳
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みどころ

東大寺の世界遺産認定石碑

「世界遺産 古都奈良の文化財 東大寺」と書かれた記念の石碑。文字に味がある。

東大寺南大門

東大寺南大門

東大寺の正門であるこの南大門は鎌倉時代の建築物で、日本で最大級の重層門でもある。近くで見ると、とんでもなく大きい!

南大門金剛力士(仁王)像

1203年(鎌倉時代の建仁3年)に、仏師の運慶や快慶ら仏師達によってわずか69日間で制作された、巨大な仁王像がある。この像の高さは、いずれも約8.4メートルという大きさで、超ド迫力!!

東大寺の大仏殿(金堂)

東大寺の大仏殿

奈良時代に創建された大仏殿は、二度の兵火に遭い現在の建物は江戸時代に再建されたものだ。現在でも大きな建造物として圧倒的な存在感を放っているが、創建時の大仏殿はさらに巨大だったとされている。当時の人々が見たら、今以上の衝撃を受けたのだろうなあ。

東大寺の八角灯篭

東大寺の八角灯篭
東大寺の八角灯篭

この灯篭は、奈良時代に創建された東大寺の中でも非常に貴重な遺物。その巨大さには驚かされる。当時の技術力をうかがわせる、驚くほど精巧で見事な彫刻が施されている。そして、この灯篭の存在は、当時の人々がどれほど巨大な建物を作り上げたかを物語るものだ。

奈良の大仏|廬舎那仏

奈良の大仏

どどーーん!!
この大仏は、坐像の高さがおよそ15m、台座が3mもある。さすが奈良の大仏、大きさが桁外れだ。その存在感は、本当に圧倒的に壮大なスケールには目を見張る。ありがたや~

奈良の大仏
奈良の大仏

創建当時の大仏殿復元模型

この模型からも、当時の東大寺が占めていた広大な敷地を垣間見ることが出来る。

まとめ

とにかくそのスケールの大きさに驚かされてばかりの参拝となった。
一度だけでなく、何度も訪れたいお寺である。また、人気のお寺なので参拝客もたくさんいた。できれば静かな早朝などにじっくり拝みに来たいものだ。

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アクセス

住所

所在地奈良県奈良市雑司町406-1
最寄駅「近鉄奈良駅」下車 徒歩13分
駐車場情報専用駐車場無し
公式サイトhttps://www.todaiji.or.jp/

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