愛新覚羅溥傑|ラストエンペラー「溥儀」の弟は新婚時代を日本の千葉で過ごした(千葉県 千葉市)

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清朝の最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」は、映画化もされており有名だ。その溥儀の弟「溥傑」もまた、壮絶な人生を歩んでいる。その人生の中で、ひと時の幸せな時間を千葉で過ごしたことはあまり知られていない。

訪問日:2023年4月12日
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愛新覚羅溥傑の紹介

  • 清朝の皇族である醇親王じゅんしんのう愛新覚羅あいしんかくら 載灃さいほう」の次男として生まれる
  • ラストエンペラー「愛新覚羅 溥儀ふぎ」の同母弟
  • 清朝での地位は醇親王家の跡継ぎ
  • 満州国軍人としての階級は陸軍中校(中佐のこと)
  • 兄である第12代清朝皇帝「溥儀」に仕える
    • 「溥儀」は、1911年の辛亥革命で袁世凱えんせいがい」から退位を要求され、翌1912年に退位
  • 1924年、光緒帝こうしょていの側室「端康太妃」の姪「唐石霞」と結婚するも価値観の不一致で離婚
  • 1934年、兄「溥儀」が満州国皇帝に即位し、弟「溥傑」と日本皇族との婚姻を望む
    • 皇室典範により、外国人との婚姻は認められていなかったため、この願いは叶わず
  • 1937年、侯爵「嵯峨実勝さが さねとう」の長女で、昭和天皇の遠縁にあたる「嵯峨浩さが ひろ」と結婚
    • 司祭は靖国神社宮司
  • 結婚当時、千葉市稲毛区にあった日本陸軍歩兵学校に在籍していたため、稲毛に新居を構える
    • 愛新覚羅溥傑仮寓かぐう
  • 1937年9月と10月に、それぞれ溥傑、浩が満州国の首都「新京」へ渡った
愛新覚羅溥傑 あいしんかくら ふけつ 仮寓 かぐう

正式名称

 千葉市 ゆかりの家・いなげ(愛新覚羅溥傑あいしんかくら ふけつ 仮寓かぐう

建造物の説明

 愛新覚羅溥傑あいしんかくら ふけつ の新婚生活を過ごした思い出の家

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みどころ(愛新覚羅溥傑のご案内)

愛新覚羅溥傑 仮寓までの行き方

千葉浅間神社の鳥居(国道沿い)が目じるし。

千葉浅間神社の鳥居の脇道を進む。

この小道を50m程直進。

愛新覚羅溥傑 仮寓

愛新覚羅溥傑 あいしんかくら ふけつ 仮寓 かぐ

純和風の一軒家であるが、とても良い造りであることがわかる。

こちらが愛新覚羅溥傑 仮寓の石門。

この門の前で、愛新覚羅溥傑ご本人や子孫が記念撮影をしている。

愛新覚羅溥傑 仮寓の開館時間

公開時間|午前9:00~午後4:30まで
休 館 日|月曜・祝日・年末年始
入 館 料|無料

ちなみに仮寓かぐうとは、仮の住まいのこと。
結婚当時、溥傑は千葉市稲毛区にあった日本陸軍歩兵学校に在籍していたため、稲毛に新居を構えたとのこと。

それでは、早速お宅にお邪魔する。

溥傑邸の玄関

普通の純和風の玄関である。

おじゃまします。

溥傑邸に足を踏み入れると、この家こそが溥傑ご夫妻が日本滞在のわずかな期間、新婚生活を送った場所であることを、ひしひしと実感した。しかも、自分が今住んでいる同じ千葉県内にあったなんて驚きだ。

溥傑氏の年表

波乱万丈の人生であったことだろう。千葉での新婚生活が幸せであったことを願ってやまない。

溥傑邸の内部

おお、広い!外からは分からなかったが、部屋数が多い。やはり豪邸だ。

先ずは向かいの廊下を進んでみよう!

昔の千葉浅間神社の写真も多く飾られている。

溥儀の末裔も訪問しており、この家は大切にされている貴重な場所となっているようだ。

溥傑と浩夫妻の写真を見ると、とても幸せそうな笑顔が印象的だ。千葉で愛を育んでいたのだろう。きっとそうに違いない。

奥の部屋は洋間となっている。この部屋の壁一面に、思い出の写真が飾られている。

愛新覚溥傑の系図

中国の皇帝の跡継ぎ問題も、大変そうだなあ。

愛新覚羅浩(妻)の系図

妻「浩」さんの実家である嵯峨家は、元は藤原北家の三条家の分家だそう。かなり身分の高い家柄である。確かに、清国皇帝の弟君と結婚するのだから!

奥座敷

先ほどの広間よりも綺麗な造りとなっている。

綺麗な亀甲格子の欄間

細部にまでこだわりが感じられる、洗練されたデザインだ。

2つの部屋のランプには、とても趣が感じられる。この家に当時からあったものなのだろうか。

近づいて観察してみると使い込まれたような歴史を感じるので、きっと当時からあるものなのだろう。ランプに描かれているデザインもモダンなイメージで素敵だ。

外から見る限り、庭と藤棚が見えてとても美しい。きっと、溥傑、浩ご夫妻にとってはお気に入りの場所だったのだろう。

厠(御便所)

奥座敷の先にお手洗いがあった。今も使える。

田舎のおばあちゃんちがこんな感じだったなあ。

大地の子(NHKドラマスペシャル)の范家屯の御両親が来ていた!!

大地の子 陸徳志

陸徳志先生と、奥さん!!!
「大地の子」が大好きな私はこの写真が一番テンションが上がった。
来てたのね、お父さん。。。
NHKオンデマンドで、もう一回みようかな。

大地の子 陸徳志

愛新覚羅溥傑 仮寓の庭

玄関横の道をまっすぐ進むと、裏手の庭へ行ける。

藤棚があった。

ちょうど藤が咲き始めていた。家に藤棚があるなんて羨ましい。

小さな渡橋があったり

庭が美しく整備されていて素晴らしい。

離れ

庭の一角に離れがあった。お茶室かな?

パンフレット

まとめ

ラストエンペラーの「愛新覚羅溥儀」の弟君であった溥傑氏が、日本での新婚生活の場を千葉市に選んだことを知り、千葉浅間神社と合わせて訪問した。壮絶な人生の一部を千葉市で過ごしたことが、嬉しく感じられた。目立つような建物ではないが、訪れる価値は十分にある。(好きな人にはたまらない)また、溥傑氏が晩年に書かれた書画がある。平成2年に再び千葉市を訪れた際、その書画は千葉市に寄贈されたとのこと。

溥傑の晩年に書かれたもので、稲毛に居を構えた当時に思いをはせた漢詩二首がしたためられています。浩夫人が亡くなって3年後の平成2年、溥傑が再び千葉市を訪れた際に千葉市に寄贈されました。「ゆかりの家・いなげ」と「溥傑夫妻」のつながりをしのばせる作品です。

 過ぎ去った歳月を顧みて再び千葉に来る。世の中はすでに大きく変わっているが、余齢をもって稲毛の旧居を訪れる。新婚当時は琴瑟相和して仲が良く、まるで夢のようだった。短い期間ではあったが想い出すとつい我を忘れてしまうほど幸せだった。
 愛しい妻の姿と笑顔は今は何処に。昔のままの建物と庭を見ていると恋しい情が次々と湧いてくる。君と結婚したその日のことが目の前に浮かび、白髪いっぱいになった今にかつての愛の誓いを思い出すにはしのびない。
 再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり二首を詠む。
                                   歳次庚午仲夏 溥傑 

https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/yukarinoieinage.html
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アクセス

住所

所在地千葉市稲毛区稲毛1-16-12
最寄駅「京成千葉線 京成稲毛駅」下車 徒歩6分
駐車場情報専用の無料駐車場あり(3台)
公式サイトhttps://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/yukarinoieinage.html

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