八剱八幡神社の御朱印|頼朝や家康が社殿を寄進した上総国の歴史ある神社に行ってきた。(千葉県 木更津市)

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源頼朝や徳川家康らが社領を寄進したと言われる八剱八幡。大坂冬の陣では、木更津の船頭たちが集められ大きく活躍したと言われ、家康もとても喜んだのだとか。アクアライン開通の際には、東京の名だたるお神輿と共に、こちらのお神輿が渡御をしたそう。

参拝日:2023年6月11日

目次

神社の紹介

  • 今の神社がある一帯を、昔は「八剱やつるぎの里」と呼んでいたことが「八剱八幡」の由来
  • 八剱八幡が建つ「木更津」の由来
    • 景行天皇の時代、「日本武尊やまとたけるのみこと」東方遠征の際、浦賀沖で暴風雨に遭い転覆寸前となる
    • このとき、日本武尊の妻「弟橘媛おとたちばなひめ」が海の神の怒りを鎮めるために身を投げる
    • 一行は無事対岸へたどり着いたが日本武尊が妻の死を悼みしばらくその地を離れず
    • このことから、「君去らず」と呼ぶようになりこれが訛って「木更津」となった
  • 「源頼朝」が鎌倉幕府を開く際、神領を寄進して社殿を造営
  • 1591年(天正19年)、徳川家康が社領を寄進
  • 1612年(慶長17年)の大坂の陣では木更津から多くの船頭が呼ばれ、目覚ましい活躍をする
    • 家康は、八剱神社のご加護であるとして宮司らを駿府城内に招待して銅鳥や銀子を送る
  • 1752年(宝暦2年)、木更津の大火で社殿焼失
  • 1773年(安永2年)に現社殿を再建
  • 大正、明治、昭和に亘り、度々修復を繰り返す

正式名称

 八剱八幡神社やつるぎはちまんじんじゃ|通称 八剱神社やつるぎじんじゃ

御祭神

 御祭神 
  誉田別命ほんだわけのみこと|應神天皇:八幡信仰の祭神 神功皇后の子
  足仲彦命たらしなかつひこのみこと|仲哀天皇
  息長足姫命おきながたらしひめのみこと|神功皇后
  日本武尊やまとたけるのみこと 
  素戔嗚尊すさのおのみこと

八剱八幡神社 御朱印

八剱八幡神社 御朱印所

社殿の左手にある窓口で受け付けてもらえる。

可愛らしい限定御朱印があった。参拝時には6月限定のお花をあしらった限定御朱印も。
限定御朱印は書置きのみとのこと。直書きを希望する場合は、スタンダードなタイプを選ぶと良い。

パンフレット

※クリックで拡大表示

八剱八幡神社の御由緒

境内案内図

みどころ

八剱八幡神社 外観

木更津駅のすぐ近くに位置しているため、駅から徒歩でアクセスできる。
神社への道は「みまち通り」という商店街を通り抜けると、見えてくる。この通りはかつて放送されたドラマ「木更津キャッツアイ」でも知られており、何十年も前は繁盛していたが、現在は人通りが少なく閑散としていた。

この狭い鳥居の先に車が停車しているのでここに車を止められそう。専用駐車場がすぐ近くにも用意されているので、この鳥居をくぐる自信がない場合はそちらを使用すると良さそう。

専用駐車場がこちら。先ほどの鳥居を正面に見て左手に位置している。

この神社は日本武尊やまとたけるの縁があるとのこと。ほう。
どのような所縁かと言うと、日本武尊やまとたける」が御東征の折、相模の国からこの地に渡ろうとした際、浦賀沖で暴風雨に遭遇し船が転覆しそうになった。そのときに「弟橘媛おとたちばなひめ」が海の神を鎮めるために入水し、「日本武尊やまとたける」は無事にこの地へ到着することが出来たと伝えられているそう。
日本武尊やまとたける」は「弟橘媛おとたちばなひめ」との別れをいたみ、この地を離れることが出来ず「君去きみさらず」と呼ぶようになった。その後、この言葉が転じて「木更津きさらづ」と呼ばれるようになったと伝えられている。
ちなみに、隣の君津市も同様に「君去きみさらず」から「君津きみつと呼ばれるようになったと言われている。
さらに、隣の袖ヶ浦市は「弟橘媛おとたちばなひめ」の衣服の袖が流れ着いたことから「袖ケ浦そでがうら」と呼ばれるようになったとさ。

八剱八幡神社 鳥居

それではお参りに。一礼して入ります。

反対側からパチリ。かつての参道だったのだろうか、鳥居の向こうにもまっすぐ続く道路が見える。

八剱八幡神社 手水舎

参道の石畳を歩くと手水舎があるので、ここで清める。

何やら俵の人形が置いてあるように見える。どれどれ。

竹細工の作品が置かれていた。これは珍しい。たくさんの米俵を載せ、鶴と亀があしらわれたおめでたい船だ。帆の上部には交差した剣もついている。よく見る龍が口から水をはいているタイプではないのも新鮮だ。

八剱八幡神社 本殿

では、体も清まったところで参拝としよう。
左手にはウサギを表した竹細工も発見。大きなウサギと、足元には子ウサギだろうか、小さなウサギもちょこんと座っている。

こちらが八剱八幡神社の本殿である。木像で歴史を感じる建物だ。

こちらは本殿内。多くのお酒が奉納されていた。

八剱八幡神社 茅の輪くぐり

本殿の前に何やら輪っかが置いている。なになに?

これは「茅の輪くぐり」と言って、順番取りにこの輪をくぐると疫病退散となり厄払いができるとのこと。「大祓 六月三十日」と書かれているので、今だけのものだろう。30日には少し早いが、早速願いを込めてくぐってみた。

八剱八幡神社 扁額

八剱八幡神社 参集殿

本殿隣の大きくて綺麗な建物が、参集殿。中は祈祷受付や、社務所が入っている。

どーーん。

じゃーーん。

「参集殿」の額!

なんとも立派な建物だ。中にお邪魔したかったが、案内がよく分からず断念。

こちらが受付所。

八剱八幡神社 境内散策

祖神社

八剣八幡神社の鳥居をくぐり、右側の敷地には「祖神社」が建つ。この神社は工匠の祖神や殖産興業の神が祀られているのだそう。木更津の発展を見守ってくれた神様なのだろう。

こちらにも多くのお酒が奉納されていた。

嶺田楓江 寿碑(みねだふうこう じゅひ)

嶺田楓江みねだふうこう」は江戸時代の儒学者・蘭学者であったが、治安を乱したとして江戸を追放され、この地に移り住んだ。その後、地元の若者たちらの教育に専念し、木更津一帯の教育に大きく貢献した方である、と書かれていた。

源頼朝公「お手植えの蘇鉄」

ここでも発見!頼朝のお手植え蘇鉄!!

この蘇鉄は元々は木更津銀行の頭取が「森家」から譲り受けたものであり、この神社に奉納したとのこと。
森家はその昔、今の君津市にある山中に住んでおり、ちょうど旅人たちが森家の前で休息をとった場所なのだそう。そして源頼朝も、北上するにあたり、この地で疲れを癒すために休息したそうで、このお礼として蘇鉄を植えたとのこと。
頼朝の「お手植え蘇鉄」は千葉県の色々な場所で見かけるが、頼朝は蘇鉄好きだったのかな?

頼朝の「お手植え蘇鉄」があるお寺

神輿殿(関東一の大神輿)

神輿だ!とても大きな建物に厳重に保管されている。

アクアライン開通時には、「東京深川の富岡八幡宮」の黄金神輿・「東京浅草の鳥越神社」の神輿が、ここ木更津で三基揃って担がれたとある。さぞ圧巻だっただろうな。二度とない光景かもしれない。

写真を見るだけでも、大迫力!

シャッターとガラスの反射で良く見えないのが残念だった。

水引飾り

水引には、「水が引いた後は清々しくなることから、物事を浄化し清めて、悪いものを払う力がある」と言われている。なるほど。

三社神社

この社には、「三峰之大神」「御嶽之大神」「稲荷之大神」が祀られている。

狛犬

朱色に塗られていて、なんだか可愛らしく思える不思議。

絵馬(合格祈願と祈願成就)

こちらは五大力船がモチーフ

おしまい

アクセス

住所

所在地千葉県木更津市富士見1-6-15
最寄駅「JR内房線 木更津駅」下車 徒歩分
駐車場情報専用の無料駐車場あり
公式サイトhttp://www.yaturugi.net/

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