神社の紹介
亀戸天神のご紹介
- 「菅原道真」を祀る神社で、学問の神として親しまれている
- 本社である「九州太宰府天満宮」に対し、東の宰府「東宰府天満宮」と呼ばれていた
- 「亀戸宰府天満宮」とも
- 明治6年には「亀戸神社」と改号し、昭和11年に今の「亀戸天神社」となった
- 1646年(正保3年)、九州太宰府天満宮の神官「菅原大鳥居信祐公」が諸国を巡る
- 菅原道真の末裔
- 天神信仰を広めるために社殿を建てようと、諸国を巡り歩いていた
- 日光や盛岡などを巡り、1661年に江戸の本所亀戸村にたどり着く
- 元々村にあった天神の祠に、道真ゆかりの飛梅の枝に彫った天神像を祀る
- 江戸時代「明暦の大火」を受け、幕府より復興開発事業の土地として本所の街が指定される
- 4代将軍家綱は天神を篤く信仰しており、亀戸天神を鎮守とするよう現在の社地を寄進
- 1662年(寛文2年)、社殿・回廊・心字池・太鼓橋などを造営
- 本殿の扁額は本社の太宰府天満宮宮司「西高辻信貞」によるもの
正式名称
東宰府天満宮 亀戸天神社
御祭神
天満大神(菅原道真)
天菩日命(菅原家の祖神)
ご利益
学問成就・合格祈願・学問の神・書道の神
御朱印
鷽替えの時には、完全に御朱印のことを失念・・!改めて訪問し、御朱印を頂いた。
亀戸天神社の説明
亀戸天神社(東宰府 亀戸天満宮)
学問の神様、菅原道真公(天神様)を祀る。
寛文二年(一六六二)菅家の後裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源とする。 爾来、亀戸天満宮と号され、朝野の信仰厚く、また、行楽の名勝地としても喧伝され、杖を引く人、跡を絶たない繁栄をみせ、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢を占めている。
春は梅の花に藤の花、秋は菊花、四季折々の彩りは、まさに”花の天神様”というにふさわしい。
亀戸天神社 由来書きより
御朱印所について
御朱印は社務所ではなく、お守りなどを販売している授与所にて御朱印を頂く。
こちらが社務所の入口。御祈祷や七五三はこちらから入る。
御朱印帳情報
鷽のデザインの御朱印帳や御朱印袋が販売されていて、可愛い。
鷽替え神事
1月の30日に訪問した際にも、一部販売されている様子。鷽が所狭しと並んでいる姿がとても愛らしい。
我が家の鷽も徐々に成長をしている。
本来は、1年間持っていた鷽と新しい鷽を取りかえるのだそうだけれど「持っていてもそれはそれで良し」と神社の方に伺い、せっかくなので集めている。
在りし日の亀戸天満宮
とんでもない敷地である。
本殿は昔の方が奥にあったのかな?
多くの人で賑わっている様子がよくわかる。
門前町はとても繁昌していたのだろう。
昔から藤棚が描かれている。歴史半端ないって。
みどころ
亀戸天神の鳥居
大きく立派な鳥居である。
「藤の花育成基金」のお願いについて
「藤の花育成基金」のお願い
亀戸天神の藤は神社創建当時から植えられたと伝えられ、古くは廣重の錦絵に描かれるなど江戸市中に広く知れ渡り、多くの人々に親しまれて参りました。今日に至るまで幾度の災害や戦災などの不運にも見まわれましたが、氏子の皆様をはじめとする崇敬者の方々のご尽力によりその都度復興され、『新東京百景』にも選ばれました。
先人達より受け継がれたこのかけがえのない大切な藤を守り育て、次の世代へ末永く伝え続けてゆくため、「藤の花育成基金」を創設致しました。
この基金は花の保護や植樹、藤棚の管理など藤の名所に相応しい神苑整備に資するため活用して参りたいと存じます。
皆様には何卒この意をご理解をいただき、格別のご協力ご奉賛を賜わりますようお願い申し上げます。
藤の花育成基金 一口 三、〇〇〇円
なお、ご協力の皆様のご芳名は神前にご奉告申し上げますと共に、 藤の実をもって製した「ふじみ守」をお頒かち致します。
亀戸天神の鳥居よこの案内看板より
亀戸天神の藤まつり
歌川広重|名所江戸百景 亀戸天神境内 (名所江戸百景)
江戸時代から、富士の名所として浮世絵にも書かれていたからすごい。
あたり一面藤が見事に満開である。
東京の名所と言われるだけあってさすがの絶景である。
こりゃ綺麗だ。
例年4月中旬から5月5日頃まで、藤の花が見ごろを迎える。
境内一面に藤の木が植えられており、満開の時期には綺麗な藤色でいっぱいになるので、ぜひ一度藤祭りの時期に参拝していただきたい。
なお、2月のこれからは梅の花が見ごろ。1月下旬は、まだ1分咲きにも満たない。ポツポツ咲いていた梅の花をパチリ。
春までもう少し!!
亀戸天神の太鼓橋
大鳥居をくぐると「心字池」という池が広がり、これを渡るための3つの橋が架けられている。九州の太宰府天満宮の境内にならって作られているそう。それぞれに意味が込められており最初の太鼓橋を「男橋」と言う。これは生きてきた過去を意味する。
続いて2番目の橋は「平橋」と言い、今が見える現在を表す。今が見えるから平らなのか。
最後の太鼓橋は「女橋」と言い、希望の未来を表しているとのこと。これらの橋は人の一生に見立てた「三世一年の理」と言うのだとか。
いい感じ!!
都内とは思えない程、落ち着いた雰囲気である。
亀戸天神 本殿
本殿の向こう側にスカイツリーが見える。この対比がとても面白い。
どこを撮っても絵になるねぇ
本殿を見るとどこからでもスカイツリーが写りこむ(笑)
七五三の時は多くの祈願者で混雑している。
亀戸天神 絵馬
学問の神様を祀っているため、ほとんどが合格祈願の絵馬であった。
亀戸天神 境内
幼き頃の道真公
菅原道真公が、5歳の時に詠んだとされる歌が書かれている。可愛らしい内容なのでぜひ読んでみてほしい。
鷽の石像
手水舎の亀
亀の口から水がピュー!と飛び出していて面白い。
花園社
心字池の脇にポツンとあるのが花園社
中を覗くと、こんな感じ。
花園社の説明
花園社
ご祭神は、菅原道真公の北の方で、道真公の父君是善会の門人であり、道真公がご幼少の時の師であった儒者の島田忠臣の御女であらせられ、御名を宣來子(のぶきこ)と申し相殿に御子達十四方をお祀りしています。
寛文年中(一六六一~一六七二)亀戸天神社の創建と時を同じくして、筑紫(福岡県) の地より勧請し、以来花園神社・花園大明神とも号されて、安産・子宝・育児の神・立身出世の守護神として信仰されています。
安産御守護・岩田帯・安産祈願絵馬は、ご本社でお頒ちしております。
亀戸天神花園社前の案内看板より
弁天社
弁天社の説明
弁天社
寛文五年、太宰府天満宮(福岡県)心字池畔に鎮まり座す志賀社を勧請したのを始めとしますが、時代の推移と共に、七福神の一つであり無量の福徳を与える弁財天(水の神・音楽の神)の信仰と習合し、一般には弁天様と親しまれて、福徳福智を増し天災地変を消除する開運出世・芸能成就の神として信仰されてきました。その間幾度か災害に罹りその都度復興されましたが、近年殊に社殿の破損も著しく、菅原道真公御神忌一一〇〇年大祭に伴う記念事業に併せ、地元宮元会役員一同を始めとする崇敬者各位の御奉賛により、装いも新たに修復されたものであります。
(平成十三年十二月一日遷座祭執行)
弁天社前の案内看板より
舞殿
年に数回、こちらで能が行われるとのこと。
御神牛
亀戸天神 御神牛の説明
御神牛
菅原道真公と牛との御神縁は殊の外深く古来より信仰されて来ました。
道真公は、承和十二年「乙丑の年」六月二十五日にお生まれになり、太宰府の配所でお亡くになった際、ご遺体を乗せた車を引く黒牛が臥して動かなくなり、これは道真公の御心による事としてその場を墓所と定め、社殿が建立されたのが太宰府天満宮の起源とされています。
また、道真公が京都から太宰府へ下向の途中、白牛によって危難から救われたという故事も伝えられています。
この神牛の座像は昭和三十六年、御鎮座三百年祭にあたり御社殿の復興とともに奉納されたものです。
亀戸天神 御神牛前の案内看板より
道真公が亡くなった際、ご遺体を乗せた車を引く黒牛が地面に伏して動かなくなった場所を、道真公の墓所と定めて社殿を建立したのが太宰府天満宮の起源とされているのだそう。
菅原道真公と牛との深い関係性によって、昭和36年に奉納されたものだそう。
塩地蔵(おいぬさま)
なんの説明も無いので後々しらべてみたら「おいぬさま」と言うお地蔵様とのこと。
塩で何にも見えないから、てっきりお地蔵様かと。
どなたがどのタイミングで塩を盛っているんだろう??
まとめ
冬には節分、春には梅、初夏は藤、夏は御神輿とシーズンを通して色々と行事がある神社。
何度も来たくなる理由はしっかりとある。
アクセス
住所
所在地 | 東京都江東区亀戸3丁目6番1号 |
最寄駅 | 「JR総武快速線 錦糸町駅」下車 徒歩13分 「JR総武線 亀戸駅」下車 徒歩13分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場あり |
公式サイト | http://kameidotenjin.or.jp/ |
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ご当地グルメ
佐野味噌醤油商店
昭和9年創業「佐野味噌醤油商店」
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「噌むりえ(ソムリエ)」と言われる店員さんがいるので、自分の好みや、どのような使い方したいのかを相談するとアドバイスをもらえる。(普段使いで安くてのが良い。西京焼きで利用したい。麦みそが好き等々)
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