瑠璃光寺の御朱印|なぜ、山口発展の象徴となったのか?(山口県 山口市)

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瑠璃光寺五重塔は、地元の人から山口の象徴として愛されているという話を聞いた。 歴代当主「大内氏」が大きく山口の発展に関係しているとのことで、その歴史を辿ってみた。

参拝日:2011年12月24日

目次

お寺の紹介

  • 嘉吉2年(1442年)、「大内義弘」の菩提を弔うために弟「盛見」が建立
    • 当時は「香積寺」の境内だった
  • 江戸時代初期、「香積寺」が萩へ移転、跡地に「瑠璃光寺」が移転してくる
  • 以降「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれている
  • 室町時代の優れた建築の一つとして、国宝指定
  • 外にある五重塔としては国内で10番目の古さ
  • 京都「醍醐寺」、奈良「法隆寺」と並び日本三名塔の一つに数えられることもある
  • 大内文化の最高傑作
  • 香山墓地
    • 萩市の「天樹院」「大照院」「東光寺」とともに長州藩主の墓所となっている
    • 明治維新当時の13代当主「毛利敬親」などの墓がある
  • 「瑠璃光寺五重塔の下には、大内義弘の棺が埋まっている」との口伝がある

正式名称

 保寧山 瑠璃光寺るりこうじ

御本尊

 薬師如来

御朱印

みどころ

寺院名碑

「曹洞宗 瑠璃光寺」と書かれた石碑。

【国宝】瑠璃光寺五重塔

大内文化を示す遺構として、象徴的な建物と言える。下から見上げると、深く空へ跳ね上がるように張り出した軒が荘厳な印象を与える。上の階ほど間を詰めた設計になっているそうで、すっきりとしながらどっしりとした安定感も得られているように感じた。

大内文化とは
室町時代、山口を中心とする文化のこと。
大内9代当主「大内弘世」が京の都を模した街づくりを始めた。その後、14代当主「大内政弘」が文化として奨励。16代当主「大内義隆」の時代まで、文化人を庇護し「北山文化」「東山文化」「大陸文化」を融合させた、独自の文化が栄えた。

瑠璃光寺と大友弘世の像

大内弘世像と、奥は山門。春頃には木々に花が咲き、綺麗な姿を見せてくれそう。

まとめ

「大内弘世ひろよ」によって、ここ山口に独自の文化「大内文化」がしっかりと根付いた。そして、大内文化が隆盛を迎えるころ、大内氏によって建立された「瑠璃光寺五重塔」はやがて山口の象徴となっていった。
この文化の影響は幕末まで続き、周辺の文化に加え大陸の文化も柔軟に取り込んだ結果、幕末維新の先駆けとなるような人物たちを多く輩出したのではないだろうか。

アクセス

住所

所在地山口県山口市香山町7−1
最寄駅「JR山口線 山口駅」下車 徒歩30分
「JR山口線 上山口駅」下車 徒歩25分
駐車場情報専用の無料駐車場あり(香山公園無料駐車場)
公式サイトhttps://yamaguchi-city.jp/details/aa_ruri_tou.html(山口市観光情報サイト)

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