お寺の紹介
- 1250年(建長2年)、建長寺を開山した蘭渓道隆の弟子「桑田道海」が創建と伝承
- 本尊の木造閻魔王坐像は建長2年に作られ、1520年に一度修理が行われた
- 現在は東部が鎌倉時代のもので、他は江戸時代のもの
- 関東大震災後にも補修
- 像の表情から「笑い閻魔」とも呼ばれる
- 閻魔王含む十王
- 地獄で、亡くなった人の審判を行う裁判官
正式名称
新居山 圓應寺(円応寺)
御本尊
閻魔大王
御朱印
寺院パンフレット
みどころ
円応寺に至る階段
建長寺から歩いて3分くらいの道沿いある円応寺。ただ、入口がこの階段なので見落とす人も多そう。
拝観料は200円。
円応寺案内看板
ここ円応寺は、閻魔様のほか「十王」をお祀りしているお寺とのこと。
閻魔大王と聞くと地獄に落とす怖いイメージが強い。
円応寺の寺院名碑
「閻魔」という字が怖い。
山門
御朱印及び拝観料はここで
山門をくぐるとすぐにこの小屋があるので、こちらで「拝観料」を払い「御朱印」を頂く。
円応寺の本堂
閻魔王が中央に座している姿が目に飛び込む。普段は仏堂があるところに閻魔大王の木造が祀られている。あまり見ない風景なので、最初はびっくりした。
本堂内部へ
閻魔王が、クワッと口を開いてこちらをにらんでいる・・・
本堂内には、中央に祀られる閻魔王を取り囲むような形で壁一面に「十王」が祀られている。
十王とは
人が亡くなると、お葬式から初七日、四十九日、一周忌、三回忌と法要を行う。この法要に「十王」が大きく関わっているのだそう。これは面白い!
下記に法要の時期と意味をまとめた。
十王についてご紹介
秦広王(しんこうおう)|初七日に出会う王
亡者の生前の殺生の罪を問いただし、罪の軽量によって三途の川のどこを渡らせるかを決める。
秦広王の説明
人がこの世に生まれると、その人の左右の肩に「倶生神」(ぐしょうじん)が一神ずつ宿(やど)ります。一神はその人の善(よき)事のみを、一神はその人の悪(あ)しき事のみを一生涯(いっしょうがい)に渡り監視(かんし) 記録(きろく)しています。
秦広王は倶生神の報告受け、亡者が生前にどの様な殺生の罪を犯したかを調べ、罪の軽重により 「三途(さんず)の川」のどこを渡るかを決定し、「閻魔帳」に記録します。
私達は生きていくために、必ず食事をします。 私達が食べる食品はすべて命有るものです。 一切の殺生をしないと決めて何も食べなければ、死んでしまいます。 自分の命は一つではありません。私達の腸にはビフィズス菌・大腸菌などの命が存在し食物を分解し栄養の吸収を助けてくれています。私達の命は多くの命が「共生 (きょうせい)」して生かされています。私達は頂いた多くの命に感謝しましょう。
遺族が初七日法要を勤めるのは、亡者が四十九日の冥途(めいど)の旅で苦しみにあう事が無い様、お地蔵様にお導(おみちびき)きを願って勤めるのです。
初江王(しょこうおう)|二・七日(14日目)に出会う王
秦広王の裁きを受けた亡者が、三途の川を正しく渡ったかどうかを審議。さらに、生前の盗みについての審判を行う。
【画像なし】:鎌倉国宝館に寄進したためとのこと。
宋帝王(そうていおう)|三・七日(21日目)に出会う王
邪淫(不貞)の罪を問いただす、生前に邪淫の罪を犯した亡者は化け猫に切り裂かれ、大蛇に巻き付かれ骨を砕かれる。
宋帝王の説明
「三途の河」を渡った岸の上に宋帝王の官庁(かんちょう) があります。官庁の前には恐ろしい化け猫が群がり、大蛇 が列をなして出てきます。
生前に邪淫の罪を犯した亡者は化け猫が身体を爪で切り裂 きます。大蛇は邪淫の罪を犯した亡者の身体に巻き付き縛 (しばり上げ体中の骨を砕(くだ)きます。
仏教は、快楽を与えてくれる存在を次から次へと求める欲 求や熱望は「貪(むさぼり)」と同義語で、「渇愛(かつあ い)」と言います。「喉(のど)がかわいた者が水を求めるような激しい欲求」であり「苦」の原因です。「不倫行為」は渇愛により引き起こされ、邪淫の罪となります。愛する 人を奪うば)われると怒りとなり、愛する人を喪(うしな)えば悲しみとなり、愛する人に裏切られると憎(にく) しみとなります。 快楽を与える存在を求める熱望が愛です。愛に執着(しゅちゃく)すれば「愛憎(あいぞう)」は一体となり、愛するが故に苦しみと成ります。
宋帝王は邪淫の罪の軽重(けいじゅう)を「閻魔帳」に記録し亡者と共に次の五官王の官庁へと送ります。
五官王(ごかんおう)|四・七(28日目)に出会う王
言葉や心で犯す罪(生前に嘘をついていないか、言葉によって人を傷付けていないか)を問いただす。亡者は七つの秤にかけて罪の軽量を図られ、閻魔帳に記録される。
五官王の説明
五官王の官庁は左に「秤量舎(ひょうりょうしゃ)」右に「勘 録舎(かんろくしゃ)があります。亡者はまず秤量舎の七 つの秤(はかり)にかけられ罪の軽重を計られます。
人の守るべき教え「十善戒(じゅうぜんかい)」の内、不殺 生・不偸盗・不邪淫の身体による「三つの罪(つみ)」は前、 三王による取り調べにより閻魔帳に記録されています。
秤量舎おいて、残る七つの罪を七つの秤(はかり)で取り 調べます。不妄語(ふもうご嘘(うそ)をつかない) 不綺 語(ふきご・人を惑(まど) わすことを言わない) 不悪口 (ふあっく・人の悪口(わるぐち)を言わない) 不両舌(ふ りょうぜつ・人を仲(なかたがいさせることを言わない) の言葉による四つの罪。無貧(むひん・物惜(ものお)しみ をしない) 無瞋(むしん・怒(おこる)ことはいけない) 邪 見(じゃけん・因果応報の教えを無視した考え・信仰)の心 による三つの罪、言葉と心、合わせて七つの罪を調べます。
五官王は勘録舎において、亡者が十善戒の何を守り、何を 犯したか、秤量舎における取り調べの結果を閻魔帳に記録 し、亡者と共に閻魔大王のもとに送ります。
五官王の官庁は左に「秤量舎(ひょうりょうしゃ)」右に「勘 録舎(かんろくしゃ)があります。亡者はまず秤量舎の七 つの秤(はかり)にかけられ罪の軽重を計られます。
閻魔王(えんまおう)|五・七(35日目)に出会う王
冥界(死後の世界)の最高の王。亡者がどこに輪廻転生するかを決定する最高決定権者。
閻魔大王の説明
閻魔大王は冥界(めいかい・死後の世界) の最高の王です。
それまでの四王による取調(とりしらべ)を記録した閻魔 帳の他「俱生神(ぐしょうじん)」「人頭杖(じんとうじょ う)」「浄玻璃(じょうはり)の鏡」により、亡者の罪をもう 一度取調べます。その結果により亡者が「六道(ろくどう)」 の地獄 (じごく) 餓鬼(き) 畜生(ちくしょう) 修羅(し ゅら) 人間 (にんげん) 天上 (てんじょう)」のどこに輪廻転生するかを決定します。
仏教とは二千五百年ほど前インドに生まれた「お釈迦様(お しゃかさま)」が「仏(ほとけ)」と成り説いた「教(おし え)」のことです。仏教以前のインド最古の伝説「リグベイダー」では「ヤマ(男性)・ヤミー(女性)」が全人類の祖先 です。ヤマは死後、子孫の為に「死後の楽園」を作り主となりました。ヤマは子孫である亡者の生前の行いにより楽園 に迎い入れるか、地獄に落とすかを決定します。
三蔵法師(さんぞうほうし)がインドの経典を中国語に訳 す際ヤマの音に当て字して「エンマ・閻魔」となりました。
変成王(へんじょうおう)|六・七(42日目)に出会う王
閻魔大王が決めた六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の内容を決定し、生まれ変わるための細かな条件を変成王より言い渡される。
変成王の説明
閻魔様は亡者が六道のどこに輪廻転生するかを決定します。
変成王は閻魔様が決定した六道(天上・人間・修羅・畜生・ 餓鬼・地獄)の内容を決定します。
天上界・須弥山(しゅみせん)の頂上に帝釈天があり、その四方にそれぞれ八天があります。合わせて三十三天となります。
人間界・平和な国、豊かな国、貧しい国があります。
修羅界・争(あらそい)ばかりしている世界。
畜生界・動物の世界、虎(とら)や鷹(たか)・ウサギやハトにそれぞれ生まれ変わりが決められます。
餓鬼界・飢(う)えて何も食べることができない世界。 地獄界・想 (そう) 大地獄、黒縄(こくじょう) 大地獄、堆圧(ついあつ)大地獄、叫喚 (きょうかん) 大地獄、大叫喚(だいきょうかん) 大地獄、焼炙 (しょうしゃ)大地獄、大焼炙(だいしょうしゃ) 大地 獄、無間 (むけん) 大地獄の八大地獄があります。
亡者は変成王により来世それぞれどこに輪廻転生するかを 決定されます。(地獄界は世記経地獄品による)
太山王[泰山王](たいざんおう)|七・七(49日目)に出会う王
人は亡くなってから四十九日までは「あの世とこの世」の中間に居るとされ、善良な人や供養をきちんとしてもらった人は極楽浄土に行けるとされる。最後の四十九日目の審判で、太山王[泰山王]によって行き先(極楽浄土に行けるかどうか)が決まる。
太山王の説明
人は亡くなった日より七・七日(四十九日)の間は『中有 (ちゅうう)』または『中陰(ちゅういん)』と言われてい ます。亡者の霊魂はその間「あの世とこの世』の中間おり『冥土の旅』を勤めます。
生前に罪を犯す事の無い亡者、又は遺族により『葬儀と初 七日の法要』を勤めてもらった亡者はお地蔵様に手を引い て頂き『極楽浄土(ごくらくじょうど』への旅を勤めます。生前に罪を犯し、懺悔することもなく、誰からも供養して もらえなかった亡者は、初七日から四十九日のまでの間 贖罪(しょくざい)の旅を勤めます。その間に七日毎に七人の王による取り調べを受け、その結果により罰(ばつ) を受けます。
仏教は全ての人が『無苦安穏(むくあんのん)・苦しみがな く安心して穏(おだやかな人生を送ることを願ってい ます。しかし、私達は生きてゆく中で様々な罪を犯してしまう存在です。
私達は毎日の生活において今、生かされていることに感謝し、犯してしまった罪を懺悔しましょう。
平等王(びょうどうおう)|百か日(100日目)に出会う王
四十九日を終えても故人の行先が極楽浄土でなかった場合に出会う。故人の死後から100日目に遺族が故人のために法要を行うと故人の善行とされ、平等王が再審を行う。いわば救済措置。
平等王の説明
七・七日の四十九日の間は亡者の生前の「行い(おこない)」 を七王が取り調べ次に亡者がどこに輪廻転生するかを決定します。
遺族が故人の為に法要を行うと、その功徳の七分の一を故 人の為に、七分の六を施主と共に参列者の功徳とします。法要は故人の為だけでなく供養した人の善行となります。
原始仏教以来、部派仏教や大乗仏教を通じて共通の教えが 【七仏通誡偈】(しちぶつつうかいげ)で す。次の四句です。
諸悪莫作(しょあくまくさ)
・もろもろの悪をなすことなく
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
・衆(しゅ・おおくの)善を奉行(ぶぎょう) 実践し
自浄其意(じじょうごい)
・自らその意(い・こころ)を浄(じょう・きよ)くする。
是諸仏教(ぜしょぶきょう)
・これが諸仏(釈迦以前から)の教えであり仏教です。
平等王は遺族が「貪(とん・むさぼり)」の心を起こさぬ様に説いています。
都市王(としおう)|一周忌(2年目、1年後)に出会う王
故人の死後、行き先がまだ確定していない場合に再審を行う。
悪行により地獄行きとなった罪人であっても、遺族により一周忌の法要を行えば都市王により再審できる。
都市王の説明
都市王は「瞋恚(しんい・怒(いか)り)」の心を戒(いまし)めます。
世界中で争いが絶えません。それは全て「怒り」の心が元になっています。
愛する者を殺されると、殺した者に対して怒り憎しみ苦しみと成ります。復讐(ふくしゅう)を果たせば、次の怒り憎しみ苦しみと成り、終わりの無い殺し合いの世界となってしまいます。
仏教は「涅槃 (ねはん)」を理想とする宗教です。
涅槃とは生死輪廻を超えた理想の状態、すなわち最高の悟 (さとり)無苦安穏(むくあんのん)の境地です。
私達は様々な煩悩(ぼんのう)により苦しんでいます。それは私達の心に「貪欲(とんよく・むさぼり)」「瞋恚(しんい・いかり)」「愚痴 (ぐち・おろかさ)」の三毒(さんどく) 又は三火(さんか)が有るからです。煩悩の三つの火を吹き消した状態が涅槃です。
私達は三毒に振り回されない様に生きて行きましょう。
五道転輪王(ごどうてんりんおう)|三回忌(3年目、2年後)に出会う王
故人の死後、行き先がまだ確定していない罪人は、五道転輪大王から最後の審判を受ける。そして、再び生まれる場所を五道転輪王によって決定される。
五道転輪王の説明
愚痴・無知の心を戒める。貪瞋痴の三毒が煩悩となり涅槃への障害となります。涅槃に至る六つの行(おこない)が 六波羅蜜(ろくはらみつ)です。
一、布施 (ふせ)
財施(ざいせ・経済的な施与)法施(ほっせ・精神的な 施与) 無畏施 (むいせ・悲しむ人に寄り添う施与)の事。
二、持戒 (じかい)
社会的な法律と仏教の説く十善戒を守る事。
三、忍辱(にんにく)
耐え忍ぶ事。攻撃を受けても相手に憐みの心を持つ事。
四、精進(しょうじん)
仏の知恵を成就するまで全力で努力する事。
五、禅定(ぜんじょう)
坐禅をして精神統一する事。
六、知恵 (ちえ)
「色即是空、空即是色」ゆえに「空無我」と知る事。
六波羅蜜を実践することにより煩悩から解放され、涅槃(無安穏の理想の世界)に至(いた)ることができるのです。
閻魔大王の罪と願い
閻魔大王の罪と願いの説明
仏教が説く「因果業報(いんがごうほう)」の説によれば、「善因善果(ぜんいんぜんか・良い行為が原因となって幸福な良い結果が得られる)」「悪因悪果(あくいんあっか・悪い行為からは必ず悪い不幸なむくいが得られる)」ことが真理であると説かれています。
閻魔大王は前世の罪のむくいとして亡者を地獄に落とします。しかし、亡者に地獄の苦しみを与えた閻魔大王もそのむくいを受けなければならないのです。
閻魔大王の前に昼夜三度忽然(こつぜん)と大鍋 (おおなべ)が現れます。すると獄卒達が大王を捕らえ真っ赤に焼けた鉄板の上に仰向けに寝かしつけ、鉄の鉤(かぎ) で大王の口をこじ開け大鍋のドロドロに溶けた銅(どう)を口の中に流しこみます。大王の口からのどから体中焼けただれてしまいます。そのくるしみは亡者が地獄で受けるどの様な苦しみよりも苦しいと言われています。
閻魔大王は全ての亡者を楽園に迎へれば自らも苦しみません。しかし、罪ある亡者を許すことはできないのです。
閻魔大王の願いは全ての人々が罪を犯さないこと、犯した罪を懺悔 (ざんげ)することを願っています。
亡者に地獄の苦しみを与えると、閻魔王自身にはそれ以上の苦しみが報いとなって返ってくるのだという。人に厳しくするということは、自身にも同等かそれ以上の厳しさをもってあたらねばならないということなのだ。今の社会にも同じようなことが言えるのではないだろうか。人として、誰かを導く時にはとても大切な心掛けだ。
懺悔文
懺悔文の説明
閻魔様は懺悔した人の罪を許します。許さなければ閻魔様 自身が苦しみを受ける事になるのです。
閻魔様の前に懺悔し、犯した罪を許していただきましょう。
がしゃくしょあくごう
我 昔 所 造 諸 惡 業
かいゆうむしとんじんち
皆 由 無 始 貪 瞋 痴
じゅしんくいししょしょう
従 身 口 意 之 所 生
いっさいがこんかいさんげ
一 切 我 今 皆 懺 悔
合掌し心静かに右の懺悔文を三回読みましょう。
我れ昔、造(つく)る所(ところ)の諸(もろもろ)の悪業 は、皆はてしなき貪瞋痴 (とんじんち)に由る、身口意に従 って生ずる所のもの、すべて我れ今皆(みな) 懺悔し奉る。
まとめ
閻魔王がいるお寺、とのことで最初はビクビクしながらの参拝だった。実際には、閻魔王もまた人々の幸せと救済を司っていた。人生において罪を犯さないことは大切だが、自分がこの世を去ったあとにもきちんと法要をしてもらえるよう、少なくとも一番身近にいる家族こそ最も大切にすべきなのだ、と感じた。実は、それこそが真理なのかもしれない。
アクセス
住所
所在地 | 神奈川県鎌倉市山ノ内1543 |
最寄駅 | 「JR横須賀線 北鎌倉駅」下車 徒歩1分 |
駐車場情報 | 専用の駐車場なし |
公式サイト | https://kamakura-ennouji.jp/ |