お寺の紹介
- 最澄によって平安時代初期788年(延歴7年)に開かれた、日本天台宗の本山寺院
- 比叡山全域が境内
- 比叡山にある150以上の堂塔の総称で「三塔十六谷」と呼ぶ
- 南都の興福寺と対になって、平安京の北に位置し北嶺と呼ばれる
- 最澄の開創以来、延暦寺は平安仏教の中心寺院であった
- 多くの仏教の教えが学べる総合大学のような存在で、日本仏教の基礎となった
- 平安時代には、皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持っていた
- 延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ、東寺の密教(東密)と競い合った
- 最盛期には比叡山の寺社は3,000を超える寺社で構成されていた
- 文学作品にも多く登場し、1994年にはユネスコの世界遺産に古都京都の文化財として登録
- 織田信長と延暦寺
- 織田信長が京都周辺を支配した際、延暦寺は信長に反抗し浅井・朝倉連合軍を匿う
- 1571年、信長が延暦寺に通達を行う
- 味方になるか、どちらにも付かず中立の立場をとるよう求める
- 延暦寺はこの要請を断固拒否
- 9月12日、信長は味方の園城寺に本陣を置き、延暦寺を取り囲んで焼き討ちを行った
- 延暦寺や日吉社の堂塔は炎上し、多くの僧兵や僧侶が殺害された
- この事件は京都から比叡山の炎上が見え、山科言継など複数の資料に記されている
- 山科言継の日記に、前年に延暦寺西塔に浅井軍と見られる兵が放火したと記されている
- 延暦寺は織田・浅井双方の圧迫を受けて進退窮まっていたともいわれている
- 発掘調査では、焼き討ちで焼失したのは根本中堂と大講堂程度の可能性もあるとのこと
正式名称
比叡山 延暦寺
御本尊
薬師如来
御朱印
みどころ
比叡山鉄道 坂本駅(ケーブル)
延暦寺は比叡山にあるので、ケーブルカーに乗って登頂を目指す。
駅舎入口の上には「坂本驛」と旧駅名が記されている。
いよいよ山頂へ!ケーブルカーを目の前に、テンションが上がる!
標高848mの延暦寺周辺は、麓とは全く違う空気
結構高い場所まで登ったので、気温も少し低く感じる。5月のちょっと暑い時期にその涼しさは心地よく、元気が出た。
比叡山案内看板
延暦寺は山全体を占めており、非常に広大な敷地を持っている。また、延暦寺は3つのエリアに分かれているため、効率的に回らないと回りきれない可能性大なので注意が必要だ。
延暦寺までの道のり
先ずは本堂である根本中堂に行きたいので、東塔エリアを目指す。結構歩くことに。
途中に比叡山に関する看板。延暦寺の敷地は約2,400ヘクタールととても広い。さすが比叡山延暦寺、その規模の大きさに驚かされる!
やっと見えて来た。ここまで来ればあと少し。
慈恵大師(天海大僧正)の350回忌法要記念の石碑を発見。歴史を感じる・・。
比叡山延暦寺の入口
門には、日本の国旗と仏旗(六色仏旗)が掲げられていた。
根本中堂
根本中堂は、この先!
ん?・・嫌な予感・・・・・・えっ?ちょっとまって!!
改修中かーーーい!!
平成の大改修で、10年にわたり根本中堂を改修するとのこと。
根本中堂(改修中)
内部の写真が見当たらず、外側だけ。撮影不可だった記憶がある・・。
伝教大師童形像
比叡山延暦寺の根本中堂の前には最澄の幼少期を描いた像がある。この像は、大師が子供たちに対して持っていた思いを後世に伝えるために、昭和12年に比叡山開創1500年を記念して建てられたものである。
大講堂
「讃仏堂」は昭和39年に山麓の坂本から比叡山に移築されたとされている。
まとめ
比叡山延暦寺は、信長による焼き討ちから復興した歴史ある寺院であり、長年行ってみたかった場所だった。実際に訪れてみると、広大な境内に3つのエリアがあり、半日では回りきれないほど見どころがたくさんあった。時間が短くて中途半端な感じになってしまったので、もう一度行ってゆっくりと散策したいと思う。
アクセス
住所
所在地 | 滋賀県大津市坂本本町4220 |
最寄駅 | 「JR湖西線 比叡山坂本駅」下車 ケーブル坂本駅からケーブル延暦寺駅より徒歩10分 |
駐車場情報 | 専用の有料駐車場あり |
公式サイト | https://www.hieizan.or.jp/ |