お寺の紹介
- 細川勝元が創建
- 有名な石庭で知られ、世界遺産に登録されている
- 元々、衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、円融寺の境内地だった
- 細川勝元が山荘を譲り受け、1450年(宝徳2年)敷地内に龍安寺を建立
- 応仁の乱で、細川勝元が東軍の総大将だったため、龍安寺は西軍の攻撃を受けて焼失
- 勝元は寺基を洛中の邸内に一時避難させた後、旧地に戻す
- 細川政元と四世住職「特芳禅傑」によって再興
- 織田信長、豊臣秀吉らが寺領を寄進
- 蔵六庵の露地には、水戸藩主「徳川光圀」の寄進による蹲踞がある
- 方丈北側にある蹲踞は精密な複製
正式名称
大雲山 龍安寺
御本尊
釈迦如来
御朱印
御朱印の左上に「吾唯足知」の印が押されている。※詳細は後述
みどころ
龍安寺の全景看板
龍安寺の説明看板
開基(創建者)は細川勝元であり、開山(初代住職)は義天玄承との記載がある。
枯山水の庭園と、水戸光圀から寄進された「吾唯足知」と刻まれた石造りの手水鉢があるとのこと。
楽しみだ。
方丈庭園(国の史跡・特別名勝)
白砂の砂紋で波や水を表現する枯山水の庭園として有名だ。わずか75坪ほどの空間に白砂を敷き詰め、大小15個の石が配置されている。どの位置から眺めても、必ずどこかの1つの石が見えないよう工夫されているのが特徴。
面白いのは、作者の意図が不明であることで、色々な憶測が存在する点だろう。見る角度や天候、もしかすると心のコンディションでも感じ取り方が変わるのではないだろうか。そうなると、何度も足を運んでみたいと思ってしまう。
苔の島に岩がある。白い石を大海ととらえると、孤島に切り立つ険しい崖に見えてくる。厳しい修行に耐える島なのかもしれない。妄想は膨らむ。
こちら側にも。あちこちに修行の島は点在し、やがて極楽浄土へと繋がる・・とか。面白い。
吾唯足知の手水鉢
手水鉢の上部には「五・隹・疋・矢」の文字が刻まれている。
これだけでは意味を成さないが、中心の正方形を漢字の「口」と解釈して、周囲の「五・隹・疋・矢」と合わせると「吾・唯・足・知」と言う文字が現れる!これを並べて「吾れ唯だ足るを知る」となるのだ!!すごい!!!
これは禅の格言で「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という意味なのだそう。
今流行りの謎解きクイズでよく見る問題と同じような理論で、とても面白かった。
まとめ
龍安寺は、方丈庭園や吾唯足知の手水鉢など、独特の魅力を持った場所だった。方丈庭園は、見る角度によって表情が変わる不思議な空間だ。吾唯足知の手水鉢は、禅の格言を込めた謎解きの仕掛けが施されていて、遊び心に溢れた中にも深い意味が込められていた。どちらも心を落ち着けて静かに過ごすことができる場所で、また訪れてみたい場所だ。
アクセス
住所
所在地 | 京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13 |
最寄駅 | 「京福電鉄 龍安寺駅」下車 徒歩分 |
駐車場情報 | 駐車場は石庭拝観者に限り1時間無料 |
公式サイト | http://www.ryoanji.jp |