神社の紹介
- 平安時代末期、関東南部を統治した「平良文」が「北辰妙見尊星王」を信仰
- 「北辰=北極星」であり、北極星・北斗七星を神格化ている
- 「平良文」を祖に持つ「千葉氏」が一族の守護神として「北辰妙見尊星王」を各地に祀る
- 千葉氏3代目「平忠常」が、領内各地に祀られる「香取神社」境内の一角に「妙見」を祀る
- 第66代「一条天皇」が眼病平癒を祈り完治したことから、寺号「北斗山金剛授寺」を贈る
- これを受け「忠常」は伽藍を整備、息子を大僧正に就けて1000年(長保2年)に中興開山
- 源頼朝、日蓮上人、徳川家康など名だたる人物も参拝し崇敬
- 1869年(明治2年)神仏分離令により千葉神社へ改称
- 妙見大祭の「神輿渡御」が神社の様式だったから
- 千葉神社へ改称以降も「妙見信仰」と習合する神社となっている
- 社殿は2階建てのようになっており、上下2つの拝殿を持つ国内の重層社殿
正式名称
妙見本宮 千葉神社
御祭神
北辰妙見尊星王
御朱印
みどころ
唐獅子
左右一対の獅子像。
これは、獅子がわが子を谷に突き落として鍛錬したと伝わる、故実を元にしたといわれている。
親獅子が見下ろす谷底に、子供の獅子が上を見上げている。
手水舎
第二次大戦中、千葉を襲った「七夕空襲」で奇跡的に焼け残った。手水石は1755年頃のものだそう。
御社殿
旧本殿は、第二次大戦中1945年7月7日の「七夕空襲」にて喪失。
なお、1990年に建立した御社殿は、国内初の上下に二つの拝殿がある重層社殿である。
「妙見」と書かれた扁額
仏教の「妙見信仰」を合わせた神社なので、「妙見」の額がある。
千葉氏ゆかりの家紋
「月に星」と「九曜」の家紋。同じ千葉市にある「千葉寺」にも、同様の家紋がある。
まさに千葉市は千葉氏によって築き上げた街なのである。
御社殿一階の拝殿
こちらは「千葉神社」の額。
御社殿二階の拝殿
2階の拝殿は誰も居ない。あまり知られていないのかなぁ。参拝客で混み合う時期は穴場かもしれない。
二階拝殿から見た「尊星殿」
神社建築では珍しい「寺社の山門」+「神社の社殿」の複合建築物である。
よく考えると珍しい建築だが、昔から見ていると違和感は全くない。
尊星殿
この「尊星殿」は、千葉神社開創1,000年の奉祝事業として平成10年に竣工した。
福徳殿
尊星殿の中央にはこの福徳殿があり、千葉神社の御祭神である「北辰妙見尊星王」の御分霊を祀られている。八角形の形をしており、それぞれに守護神が配置されている。
東西南北・四方八方すべての方角へ力を及ぼすとされる守護神だから、この形なのか。あまりこのような建物は見たことが無く、とても珍しい。
千葉常胤(ちばつねたね)ゆかりの地
「尊星殿」は千葉通り町公園に面している。そこはかつて「千葉氏」の菩提寺であった「大日寺」が建立されていた場所とのことで、千葉氏のゆかりの地とされている。
境内にもどり…
妙見延寿の井
ありがたい「霊泉」であるので、ひと口頂くことに。これで「増福延寿」を達成!?
一人一本、2リットルまでは持ち帰り可能とのこと。
福授の「亀岩」
「福授の亀岩」は、妙見の遣いである玄武(亀)をかたどってるらしい。岩を撫でると福運を授かる。
千葉神社に来ると、色々とこのようなパワーを頂ける場所があるのが嬉しい。
千葉天神
千葉の天神様として有名。受験シーズンには合格祈願の学生たちが多く参拝している。
千葉氏の家紋でもある千葉神社の神紋から「ツキを呼び、勝星を拾う」とのこと。最高の縁起!
こちらの千葉天神の建物は、昭和29年に再建した「旧本殿」であり、現本殿の再建に合わせて移築された。現在は天神様の祈祷殿として利用されている。
末社(まっしゃ)
ずらーっと
ずらーっと
妙見池の周りにはこのような末社が14社ある。それぞれに御新徳があるので、自分に合うものを探してみるのも楽しい。
妙見池
「延寿の井」のご神水を水源とした池なので、綺麗であり透明度が高い。
泳いでいる鯉も神々しく思える。
妙見池の中にある「弁天様」
まとめ
千葉県民としては馴染みのある千葉神社。平安末期に建立され千葉氏と関わりのとても深い神社だった。明治の寺社分離以降もお寺と神社が融合している珍しい神社と言える。参拝では、一風変わった方法で神社を巡るので、それもまた面白い。
アクセス
住所
所在地 | 千葉県千葉市中央区院内1-16-1 |
最寄駅 | 「JR総武線 千葉駅」下車 徒歩5分 |
駐車場情報 | 専用の有料駐車場あり |
公式サイト | https://www.chibajinja.com/index.html |