お寺の紹介
- 「法然」が開山
- 江戸時代初期、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定める
- 家康・秀忠により、本堂や山門など多くの建物が建立される
- その後火災によりほぼ全焼するが、家光のもとで直ちに再建される
- 境内は3段に分かれている
- 上段:開創当初の敷地で勢至堂・法然廟がある
- 中段:徳川幕府によって造営された敷地で本堂など中心的な伽藍がある
- 下段:中断と同じく徳川幕府造営の敷地で山門・塔頭寺院がある
正式名称
華頂山 知恩院 大谷寺
御本尊
法然上人像|御影堂
阿弥陀如来|阿弥陀堂
御朱印
令和元年5月1日に頂いた御朱印 つまり「令和」初日の御朱印をいただくことができた!
中央に「阿弥陀如来」、左には「知恩院」と記載。
※方丈特別拝観の期間限定御朱印「阿弥陀如来」
過去の御朱印
参拝日:2015年5月5日
中央に「法然上人」と記載
参拝日:2015年5月5日
※家康公四百回忌限定
中央に「欣求浄土」と記載
御朱印所について
知恩院朱印所にて御朱印を頂く。
みどころ
寺院名石碑
知恩院の総門(新門)
この門の奥にすでに見えている建物が、知恩院の山門。この距離でとてつもなく大きいことがわかる。
山門までの参道
緩い坂道を上った先に見えてきたのが山門。大きい。とにかく大きい。
今まで見た中で一番大きな山門であることは間違いない。それくらい大きい。
徳川秀忠が寄進した山門
山門の奥に階段が見えるが、これを「男坂」と呼び、登りきると本堂などの中心的な伽藍が立ち並ぶ「中段」にたどり着く。
平成の大改修で、上層部の屋根となっている場所から1621年に書かれた墨書が発見されたことで、秀忠の時代に建立したものだと判明したとのこと。いつも思うことだけど、当時書き残されたものがひょんなことから現代に顔をのぞかせ、当時の様子を示してくれるというのは、本当に面白い。
扁額には知恩院の山号である「華頂山」と書いてある。
建築技法は、弥生時代から見られる伝統的な建築方法の中でも、最も格式高いとされる入母屋造とされ、正面の柱が5つ、中央に3つの通路が存在する。さらに2階建てとなっおり、高さは24メートル!
有名な「東大寺南大門」より大きく、現存する日本の寺院の山門の中で最大の二階二重門とのこと。
知恩院 黒門
元々この門は伏見城に建てられており、その後知恩院に移築されたと言われている。
北門
石段と石垣と白壁に沿って「北門」へ向かう。
時代が止まったような景色である。
北門の裏側
権現堂(権現様影堂)
権現堂には、知恩院の大伽藍を築いた徳川家康・秀忠・家光三代の霊が祀られている。
瓦にたくさんの葵の御門が!
御影堂(みえいどう)|国宝
本堂、大殿とも呼ばれている。御影堂は、3段に分かれる境内の「中段」に建っている。
家康・秀忠によって建立された御影堂は、残念ながら火災により焼失してしまい、今見ることが出来るのは3代家光によって再建されたものなのだそう。状態も美しく、国宝なのもうなずける。
建物は山門と同様に、最も格式高いとされる入母屋造で建立されている。間口45m、奥行き35m、幅3mの外縁をめぐらせた非常に大きな建物で、徳川幕府がかなり力を入れて建立したことがわかる。
方丈
大方丈(左の建物)と小方丈(奥に見える建物)と方丈庭園(右)
徳川家光お手植えの松
尚、現在の松は三代目とのこと。
方丈庭園には菖蒲が見ごろを迎えており、鮮やかな彩を加えていた。
まとめ
知恩院を訪ねるまで、徳川幕府との深い関わりについては全く知らなかった。
家康・秀忠・家光の強力なバックアップがあって、この広大で威厳ある伽藍が建立されたのだろう。家康は、他にもたくさんの寺院を建立しており、とても信心深い人だったのだろう。なんとなく、家康の人となりを垣間見ることが出来た気がして、過去に思いを馳せた。
アクセス
住所
所在地 | 京都市東山区林下町400 |
最寄駅 | 「市バス 知恩院前」下車 徒歩7分 「京都市営地下鉄 東西線 東山駅」下車 徒歩7分 |
駐車場情報 | 専用駐車場なし |
公式サイト | https://www.chion-in.or.jp/ |