智積院の御朱印|真言宗智山派の総本山 秀吉と家康のエピソードが面白い(京都府 京都市)

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智積院は、空海が開祖の真言宗の源流となる寺院。数多くの紆余曲折を経て、現在の京都に建立され、真言宗智山派の総本山となった。その建立の経緯には、豊臣秀吉や徳川家康のエピソードが登場するなど、興味深い逸話がある。

参拝日:2007年12月23日

目次

お寺の紹介

  • 真言宗智山派の総本山で、全国に3,000余りの寺院教会を擁している
    • 大本山:成田山新勝寺、川崎大師平間寺、髙尾山藥王院
    • 別格本山:高幡山金剛寺、大須観音寶生院
  • 真言宗の開祖である弘法大師空海が、835年(承和2年)に高野山で入定
    • 真言宗の総本山として高野山金剛峯寺を建立
  • 長盛法印が、真言宗中興の祖「興教大師こうぎょうだいし」ゆかりの地である根来山に「智積院」を創建
  • 以後発展を続け、政治的にも経済的にも大きな勢力となり豊臣秀吉に目を付けられる
  • 1585年(天正13年)、豊臣秀吉が根来山を攻め、山内の堂塔伽藍が灰燼に帰す
  • 1601年6年(慶長6年)、徳川家康から京都東山に寺院を寄進される
    • 五百佛山根来寺智積院いおぶさんねごろじちしゃくいんを再興
  • 明治の神仏分離政策により土地を没収される
  • 1882年(明治15年)には金堂が焼失
  • 1900年(明治33年)、真言宗智山派の総本山となる

正式名称

 五百佛山いおぶさん 根来寺ねごろじ 智積院ちしゃくいん

御本尊

 大日如来

御朱印

御朱印 智積院

みどころ

智積院の冠木門(かぶきもん)

智積院 冠木門

宗祖弘法大師千百五十年御遠忌を記念し、1984年に、智積院檀徒より寄進された。

冠木門
2本の柱の上に、横材を置き屋根を付けた門のことを意味する。
現在は、屋根のないものを指して言うことも多いそう。

智積院の説明看板

智積院の名勝庭園

この庭園は「利休好みの庭」として知られており、豊臣秀吉が建立した「祥雲禅寺」の庭園として原型が作られたと言われる。
あれ?智積院は確か、秀吉が攻撃して焼失させてしまったくらいだから、どちらかと言うと敵対していたはずなのに、利休好み?秀吉建立の「祥雲禅寺」が前身?
と言うことで調べてみると、秀吉が焼失させたのは根来山に建立されていた智積院で、大坂夏の陣のあと家康に寄進された現在の土地に建立されていたのが「祥雲禅寺」だったというわけだ。
なんとまあ・・。こんなことをされれば、「粋な計らい」と言うことで、より一層家康に従いたくなるよなあ。家康の政治手腕を垣間見た気がする。

智積院 講堂

講堂の説明

講堂は、灌頂道場や各種研修の道場として使用しています。現在の建物は、平成4年(1992)の興教大師850年御遠忌記念事業として計画し、平成7年(1995)10月に完成したものです。
講堂はかつて方丈と呼ばれていて、玄宥僧正が現在の京都東山の地に智積院を再興した折りに、徳川家康公より寄贈された祥雲寺の客殿が基になっています。
 
 講堂についての案内看板より

大書院の襖絵

智積院 大書院の襖絵

大書院(おおじょいん)

大書院から眺める庭園

とても雰囲気のある庭園で、疲れた体と心が癒される。

金堂(御本堂)

総本山智積院の中心的な建物であり、金堂と呼ばれている。
以前の金堂は1705年に建立されたが、1882年に火災により焼失。現在の金堂は、弘法大師の生誕千二百年の記念事業として昭和50年に再建された。

まとめ

智積院は、美しい庭園や建物が整備されており、境内に足を踏み入れるだけで背筋が伸びる思いがした。また、豊臣秀吉や徳川家康などの時代を彩った人物たちが関わった歴史的なエピソードがあり、お寺の魅力を一層引き立てている。智積院を訪れたら、美しい自然と共に歴史の面白さも感じてほしい。

アクセス

住所

所在地京都府京都市東山区東瓦町964
最寄駅「京阪本線 七条駅」下車 徒歩10分
駐車場情報専用の駐車場なし
公式サイトhttps://chisan.or.jp/

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