土方歳三終焉の地|新政府軍に最後まで抗った「鬼副長」の足跡を辿る(北海道 函館市)

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人気の観光地「北海道函館」には幕末の動乱期、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦争が終結した地でもある。幕末から明治維新を駆け抜けた新選組「鬼の副長・土方歳三」最後の地を訪ねてみた。

訪問日:2007/9/23

目次

土方歳三の最後

  • 榎本武明と共に「蝦夷共和国」立国を目指す
  • 新選組副長として活躍し「近藤勇」亡き後は、幕府軍の参謀として新政府軍と戦いながら北上
  • 1868年、榎本武明率いる軍艦8隻・2,500以上の兵と共に「開陽丸」で現在の茅部郡森町に上陸
  • 「土方歳三」「大鳥圭介」の2隊に分かれ、築城されたばかりの五稜郭を占領
  • 松前城を陥落、さらに江差まで追撃を行い一時戦況は優位に立つ
  • 新政府軍が、今の乙部町から上陸し攻撃を開始すると戦況は悪化
  • 五稜郭を出て新政府軍と交戦中、銃弾が腹部に命中し命を落としたと言われる
    • 今の若松町付近で被弾したと言われ、「土方最後の地碑」が立っている
    • 最後まで降伏を拒んだため、内部暗殺説
    • 諸説あり
  • 土方歳三の辞世の句
    「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちるとも 魂は東(あずま)の 君をまもらむ」

函館奉行所(函館五稜郭)

  • 日本では珍しい星型要塞で、1857年(安政4年)に江戸幕府の命で武田斐三郎が設計建築
    • 完成まで7年
    • 星型要塞とは、ヨーロッパ各地に広まった建築方式
    • 広さは東京ドーム3倍の大きさ
  • 星型の先端に砲台を設置し、どの角度から敵が来ても砲撃することを想定して造られた
    • 箱館戦争時、大砲が全て設置出来ておらず機能しなかった

訪問当時(2007年)には、まだ函館奉行所は出来ていない。
建設途中の骨組みが見える。

あれから15年も経ってしまった。
いまだ再訪できていないが、改めていつか行ってみたい場所である。

函館五稜郭タワー

五稜郭タワー内には土方歳三関連の資料も多く展示されているので、こちらも行ってみた。

函館五稜郭タワー 土方歳三の銅像

北海道の土方歳三と言ったらはやり洋装姿!カッコイイ。

土方歳三の死因や遺体の行方には未だに多くの謎が存在する。五稜郭に眠っているとの逸話も。

五稜郭タワー歴史回廊

函館総攻撃

歳三のミニチュアを発見した。これが土方歳三最後の戦いとなった。彼の死については新政府軍による攻撃により戦死したとも、味方からの攻撃で殺されたとも言われる謎の死であった。新政府軍は土方歳三の死に関して何かしらの思惑を抱いていたのかもしれないなんて、思ってみたりする。

「五稜郭開城・終戦」

右側の集団先頭に立つ人物は、黒い被り物(黒熊)を被っているので、おそらく薩摩藩出身であろう。
錦の御旗を持っているのは長州藩出身の人物をイメージしているのか。

碧血碑(へっけつひ)

  • 箱館・五稜郭戦争で賊軍となった旧幕府軍戦没者の遺体は、埋葬が許されなかった
    • 斃れたその場所で朽ちていくまま放置された
  • 箱館の侠客「柳川熊吉」が、明治政府に無断で遺体を回収し埋葬
    • 実行寺の住職や大工の棟梁、子分たちが協力
    • 明治政府の命令に背いた形だが、官吏は埋葬を黙認
    • 熊吉の行いに感銘を受けた新政府軍の薩摩藩士「田島圭蔵」は、打ち首を中止、無罪放免
  • 1871年(明治4年)、熊吉が函館山の土地を購入し、箱館戦争戦没者を実行寺から移して供養
  • 1874年(明治7年)、ようやく「賊軍」と呼ばれた戦没者の祭祀が許される
  • 明治8年、榎本武明・大鳥圭介・柳川熊吉らが協力して「碧血碑」を建立
  • 碑の題字は「大鳥圭介」による

訪問時にも生花が供えられていた。

碧血碑の裏側

碧血碑の裏側に回ってみると、このような石板が。
この石板には「明治辰巳實有此事 立石山上㕥表厥志 明治八年五月」との文字が刻まれている。
調べてみると、

これは、「明治辰巳、実に此の事有り、石を山上に立てて以て厥(そ)の志を表す」と読み、「明治2年、此の事は実際にありました。山上に石を建ててその気持ちを表します」という意味である。明治2年(1869年)は箱館戦争で五稜郭の旧幕府軍が降伏し、戊辰戦争が終結した年であるが、建立当時でもそうした経緯に具体的に触れることがはばかられていたことが推測される表現となっている。

Wikipediaより引用

賊軍となった戦没者の祭祀が許可されたとは言え、それを言葉にすることがまだ憚られる時代だったからこその「実に此の事有り」と言う表現になったというわけか。そこまでして、この碑を建立した「柳川熊吉」は非常に立派な人物だったのだ。

土方歳三最後の地(一本木関門跡)

土方歳三の最期の地については諸説があるが、最も有力な説はここ一本木関門であるとされている。しかし、証拠となるものは見つかっていないため、彼が具体的にどこで死んだのかは謎に包まれている。

函館の銘菓などを紹介

六花亭カフェのワッフル

北海道のお土産と言えば、六花亭のチョコレートが有名であるが、六花亭直営のカフェが数多く存在している。その中でも特に美味しかったのが、このワッフルだ。 ワッフルの外側はサクサクとしており、添えられたクリームも本当においしかった。訪れたらまた食べたい一品である。

五勝手屋本舗

こちらは江差町えさしまちのお土産である「五勝手屋本舗」の羊羹。あんこそのものの味わいと上品な甘さが口に広がり、滑らかな舌触りがたまらない。まさに絶品だ。
百貨店などでもこの羊羹を購入することが出来る。

ラーメン|函館麺や一文字

こちらは湯の川温泉地域にある函館のラーメン店。函館を訪れた際には必ず行くお店だ。塩のうま味と、あとからほのかに香る甘味が絶品。
北海道はラーメンが有名で、「札幌の味噌ラーメン」「旭川の醤油ラーメン」「函館の塩ラーメン」が挙げられると思う。その中で「箱館の塩ラーメン」と言えば、この「一文字」が一番だ。

アクセス

住所(五稜郭タワー)

所在地北海道函館市五稜郭町43−9
最寄駅「函館市電 五稜郭公園前駅」下車 徒歩9分
駐車場情報駐車場なし(近隣のコインパーキングを利用)
公式サイトhttps://www.goryokaku-tower.co.jp/

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