お寺の紹介
- 鎌倉幕府二代執権である「北条義時」が創建した寺
- 嫡子「安千代丸」が不慮の事故で命を落とした際、北條寺を墓所として七堂伽藍を建立
- 義時は源頼朝の挙兵以来、父「時政」と共に頼朝に従い大きな功績を残した
- 1224年(元仁元年)に義時が亡くなった際、この地に墓が建てられた
- 義時の長子である「泰時」らによる
- 「木造阿弥陀如来坐像」「木造観音菩薩坐像」「牡丹鳥獣文繍帳」を所蔵
- 静岡県文化財指定
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正式名称
巨徳山 北條寺
創建・開基
平安末期・北条義時
宗派
臨済宗・建長寺派
御本尊
観世音菩薩
ご真言
おん・あろりきゃ・そわか
御朱印
大河ドラマ放映期間の限定御朱印。 北条家の家紋である「三つ鱗」が良い。
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みどころ
いざ北條寺へ
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訪問時は大河ドラマ真っ只中であり、訪れている人も多かった。
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「北条寺」ではなく「北條寺」が正式名称らしい。
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北條寺
北條寺は、北条義時が幼くして亡くなった子、安千代の冥福を祈って建立したと伝えられています。 鎌倉時代前期の慶派による阿弥陀如来坐像 (県指定文化財)、鎌倉時代後期から末期の中国宋風の観音菩薩坐像 (県指定文化財)、 牡丹鳥獣文繍帳 (県指定文化財) など、 貴重な文化財があります。また、これらは北条義時 時政・政子が信仰 寄進したと
いう伝承が伝えられ、 北条氏とのつながりの深さがわかります。
伊豆の国市
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北條寺の説明
巨徳山 北條寺
宗旨 臨済宗建長寺派
伊豆の国八十八ヶ所霊場拾三番札所
横道三十三ヶ所霊場八番札所
中道三十三ヶ所霊場十六番札所
鎌倉幕府創立に功績があった北條時政の子息、義時(江間小四郎)が創建した寺院。
伝承によれば、義時の嫡子安千代が大蛇に襲われて命を失ったため、北條寺を墓所とし、七堂伽藍を建立したという。この時、仏殿の本尊「阿弥陀如来坐像」を運慶(鎌倉時
代の仏師)に命じて作らせたと伝えられている。
本尊「観音菩薩坐像」は、南北朝時代の作で、寄木造、漆塗で、高い髪や全面に広がる絵画的表現の衣文など、中国宋代風の像容である。
また、北條政子が奉納したとされる「牡丹鳥獣文繍帳」三張が伝来している。
境内にある「小四郎山」と呼ばれる丘の上には、北條義時夫妻の墓がある。
・木造観音菩薩坐像 静岡県指定文化財
南北朝時代 桂材寄木造
・木造阿弥陀如来坐像 静岡県指定文化財
鎌倉時代 桧材寄木造 国重要美術品(昭和一三年認定)
・牡丹鳥獣文繡帳 静岡県指定文化財
・北條義時の墓 伊豆の国市指定文化財
平成二七年七月 伊豆の国市
北條寺前の案内看板より
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こちらが本堂となっており、訪問時は中に入って資料映像や中にある展示物を見学することが出来た。手前には義時夫妻の墓を案内する石柱も。
北條時の公式ホームページに拝観に関する案内が掲載されていたので、引用。(2023年1月14日時点)
1年間のお礼と今後のご拝観について
2022年は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で伊豆の国市も大いに賑わいました。
当寺につきましても主人公である北条義時が建立した寺として大きく取り上げていただき、多くの拝観者様にもご来寺いただいた1年間でございました。そんな1年間の感謝を込めてささやかではございますが、14日(土)、15日(日)の拝観者様には紅白のお餅をご用意しております。(※ 250個ほどご用意しておりますが、なくなり次第、配布終了とさせていただきます。)今後のご拝観について
大河ドラマ館の閉館日である15日をもって、当寺の本堂拝観につきましても終了とさせていただきます。
今後につきましては下記のような形でご対応させていただきます。拝観範囲:境内、北条義時のお墓(小四郎山) ※本堂は拝観いただけません
入山料:200円(文化財保護のために使用させていただきます)
受付:山門横の受付場所
その他:御朱印は通常のもののみ随時受付しております。 ※期間限定の御朱印は終了となります。最後になりますが、これまでご来寺いただいた皆様、ご協力いただいた関係者様、ご理解をいただいた地域の皆様に、改めて深くお礼申し上げます。誠にありがとうございました。
北條寺ホームページより
実は当時勢いでこの地を訪ねたのだけれど、行っておいて本当に良かった。「いつか行こう」では、期間限定で公開しているような、貴重な場所に入れないことが分かった。
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北条義時の墓所へ
本堂で手を合わせた後は、看板に従って義時の墓を訪ねることに。随所に看板が設置されていて、迷うことなくたどり着くことが出来る。墓所は少し小高い丘の上に建てられており、江間を見渡せるようにと配慮したかもしれない泰時の思いを感じた。
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看板があってわかりやすい。
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お墓は小高い丘の上にある。
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所々に案内看板があるのがとても親切。
北条義時の墓
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向かって右が「義時」、左が後妻佐伯氏の娘のお墓。「藤原朝光の娘」と彫られている。後妻佐伯氏の娘とあるが、ドラマで登場した「のえ」のことか?
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北条義時夫妻の墓の説明
北条義時夫妻の墓
北条義時は時政の次子で、源頼朝夫人政子はその姉である。幼少より江間の館に育ち、江間小四郎と称した。頼朝の旗挙げ以末父時政兄宗時とともに従い大功があった。
鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の正統が絶えると京都より頼朝の姉の曾孫に当たる藤原頼経を迎えて自らわ執権となり勢戚を極めた
後鳥羽上皇はその専横を憤り、承久三年(一、二二一年)院宣を下して義時を討とうとされた。
義時はその子泰時、弟時房に大軍を率い京都に攻め上らせ、官軍を大いに破り、帝を廃し、後鳥羽、順德、土御門の三上皇を配した。
これが世にいう承久の変である。
義時は承久の変後三年、元仁元年六月十三日急死した。時に六十二才であった。
長子泰時らは、北条氏発祥の地にあるこの寺に墓を建て追善の碑とした。なおこの墓は向かって右が義時、左が後妻佐伯氏娘の墓である。
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こちらが義時のお墓である。
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仲睦まじく並んでいるが、大河の結末を思うと何とも複雑。フィクションなので実際とは違うのだろう。
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お墓の境内にはこのような変わった形のお墓があった。
さて、せっかく伊豆の国市まで来たので、色々と寄り道をした。
大河ドラマの聖地巡礼
北条氏ゆかりの品々が展示されていた「大河ドラマ館」へ。残念ながら館内は撮影禁止のため、何も残っておらず。※こちらも令和5年1月15日をもって、閉館済み。
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北条早雲 生誕の地より終焉の地へ 黒松
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結構人がいる。 開催中の大河なので人気だ。
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地方の電車を見ると嬉しくなるよね!
・・・では、この近くにも北条ゆかりの地があるので行ってみることに。
北条義時屋敷跡へ
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北条義時館跡の説明
北条義時館跡
北条義時は、江間小四郎義時とも呼ばれ、 江間に館があったと言われています。『増訂豆州志稿』 (明治21~28年刊)に、「北条義時ノ宅址ハ江間村町屋ニアリ、今尋常小学校ノ
敷地トナル」と書かれていることから、現在江間公園となっているこの付近が北条義時の館と推定されています。
公園の一角に「北條義時 (江間小四郎義時) 屋敷跡」と彫られた碑が建っています。
伊豆の国市
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今はこの碑だけがひっそりと残っているだけであった。
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それでは!
アクセス
住所
所在地 | 静岡県伊豆の国市南江間862−1 |
最寄駅 | 伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山駅」下車。 徒歩25分もしくはバスを利用し、「北條寺」から徒歩1分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場あり |
公式サイト | https://houjouji.com/ |