喜多院の御朱印|江戸城の徳川家光公誕生の間が残っているお寺!(埼玉県 川越市)

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喜多院の一部は、江戸城の建物を移築して建立されていることで知られる。その喜多院には江戸城の風情が残されており、戦乱や火災による炎上を何度もくり返しながらも復興を繰り返し、その姿を今に伝えている。
参拝日:2015年6月24日

目次

お寺の紹介

  • 「元三大師」を祀っており、川越大師の別名でも知られる
  • 830年(平安時代・天長7年)、慈覚大師が「無料寿寺」として創建
  • 平将門の乱、比企の乱により、無料寿寺は衰退
  • 1296年(鎌倉時代・永仁4年)、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じる
  • 1301年(正安3年)、後伏見天皇から関東天台宗の本山の地位を与えられる
    • 仏蔵院(北院)、多聞院(南院)を建立
  • 戦国時代、1537(天文6年)河越夜戦で炎上
  • 1599年(慶長4年)、天海僧正が住職となり寺号を「喜多院」と改める
    • 川越藩主で老中の酒井忠利が喜多院再興に当たる
  • 1613年(慶長18年)、「徳川秀忠」により関東天台宗総本山と定められる
    • 山号は東の比叡山「東叡山」に改められる
      • この山号は、後に上野寛永寺へ移る
  • 1638年(寛永15年)、川越大火により山門や伽藍が焼失
  • 1639年、徳川家光の命により江戸城紅葉山御殿の一部を移築
    • 現存する客殿、書院、庫裡にあたる
    • 喜多院再興には、当時幕閣で老中の「堀田正盛」が大きく助けとなった
  • 4代将軍「徳川家綱」の時代には、厚い保護を受けた

正式名称

 星野山せいやさん 喜多院きたいん   通称|川越大師

宗派

 天台宗

御本尊

 元三大師 ※良源(慈恵大師)のこと

御朱印

みどころ

山門

四脚門式しきゃくもんしきの山門は、4本の柱の上に屋根が乗る形で、屋根は切妻造り、本瓦で覆われているそう。
かつては後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたと伝えられている。山門内部に貼り付けられた棟札むなふだを確認すると、天海僧正によって1632年(寛永9年)に建立され、川越大火では焼失を免れたと記されているとのこと。喜多院に残る最古の建物だ。

慈恵堂(本堂)

元三大師を祀る堂宇で、現在は本堂となっている。
建物は、入母屋造りで屋根は銅板で葺かれているそう。

喜多院の多宝塔

この多宝塔、元はなんと古墳の上に建てられていたのだそう!なんだかありがたさが増す。
建築は1639年とのことだが、老朽化が進んだために明治43年にには慈恵堂と庫裏玄関の渡り廊下の中央あたりへ移動。さらに大幅な改造により、昭和48年に現在の場所へ移動して復元したのだそう。
建物自体は、江戸時代初期の特徴を示す建物なんだとか。

おわり

アクセス

住所

所在地埼玉県川越市小仙波町1-20-1
最寄駅「西武新宿線 本川越駅」下車 徒歩15分
駐車場情報専用の有料駐車場あり
公式サイトhttps://kitain.net/

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