神社の紹介
- 111年(景行天皇41年)創建
- 東京五社(東京大神宮・靖国神社・日枝神社・明治神宮)のうちの一つ
- 武蔵国の総社
- 古代の国司が、任された国内で効率的に神社巡礼が出来るよう合祀した
- 「源頼朝」が妻「北条政子」の安産祈願をしたと伝わる
- 源義経と義家が奥州戦に向かう際、戦勝祈願をしたとも伝わる
- 古くより武家の間で崇敬が篤く、鎌倉幕府を始め北条氏、足利氏も崇敬していた
- 慶長年間に、「徳川家康」の命により大久保長安が奉行となって社殿の大造営が行われた
- 正保3年「府中本町の大火」で焼失
- 現在の本殿は四代将軍「徳川家綱」の命により久世広之が奉行となり寛文7年に再建
- 慶応3年と昭和40年に修理を行い、建立当時のままの形を残している
- 例大祭である「くらやみ祭り」は、東京都指定無形民俗文化財に指定されている
- 関東三大奇祭(神奈川県金山神社のかなまら祭り・神奈川県茅ケ崎市内の神社が集まる浜降祭り)の一つ
正式名称
大國魂神社
御祭神
主祭神|大国魂大神
よく分かる!「大國魂神社」御朱印の説明
御朱印
みどころ
大國魂神社のパンフレット
武蔵総社 大國魂神社略誌「由緒」の説明
武蔵総社 大國魂神社略誌
一、由緒
大國魂神社は大國魂大神を武蔵国の護り神としてお祀りした社です。この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔武蔵国を開き、人民に衣食住の道を教え、又医療法や、まじないの術も授けられ、俗に福神又は縁結びの神として著名です。
当社の創立は、景行天皇四十一年(西暦一一一年) (約一九〇〇年前) 五月五日で、当時は武蔵国造が代々奉仕しましたが、大化の改新によって、武蔵国府がこの地に置かれたので、国司が国造に代わって奉仕するようになり、管内神社の祭典を行う便宜上、武蔵国中の神社を一ヶ所に集めてお祀りしました。是が武蔵総社といわれる起源です。なお左右の相殿に、国内著名の神社六社を合祀したので、六所宮とも称せられるようになりました。
鎌倉幕府並びに北条・足利両氏も篤く崇敬しましたが、徳川家康が江戸に幕府を開くと共に殊に崇敬の誠を尽くし、神領地五百石を寄進しました。明治維新に准勅祭社となり、同七年県社に、同十八年官幣小社に列せられました。
当社は昔より崇敬者が非常に多く、武蔵国は勿論関東一帯にわたり、毎年五月五日の例大祭には、夜間八基の神輿が古式の行列を整え、闇夜に御旅所へ渡御するので、俗に府中の「闇夜祭」といわれ非常に賑わいます。
大國魂神社のパンフレットより
大國魂神社の社号標柱
都内にあるにもかかわらず、広大な敷地を誇るこの神社は、訪れる人を圧倒する。そして、この石柱もその大きさに驚かされる。
大國魂神社の大鳥居
平日の参拝であったが、多くの参拝客が訪れていた。
まっすぐに延びる広い参道。両脇の木々の木漏れ日を歩くことが心地よい。
このケヤキ並木は、国の天然記念物だそうだ。大きくそびえる木々たちに、ただならぬ雰囲気を感じたわけだ。
安産祈願|宮之咩神社(みやのめじんじゃ)
大鳥居と随神門の間に位置する宮之咩神社は、参道途中にある。
宮之咩神社(みやのめじんじゃ)の説明
神社名 摂社 宮之咩神社
主祭神名 天鈿女命
由 緒
この神社の創立は御本社大國魂神社と同じ景行天皇の御代(一一一年)であると伝えられ、古くから芸能の神、安産の神として崇敬されている。
例祭日は七月十二日で、文治二年(一一八六年)源頼朝より武蔵国中の神職に天下太平の祈願を行なうよう令して以来、毎年この日の夕刻より翌朝にかけて、国中の神職が参会し終夜神楽を奏し祈禱が行なわれた。この祭は青袖・杉舞祭と言われる。(今は国中の神職は参加しない)、また、頼朝の妻政子が当社に安産を祈願したという伝えもある。
安産祈願の折に願いを託した絵馬を奉納し、無事願いが叶うと御礼に底のぬけたひしゃくを納める風習が今でも行われている。
北多摩神道青年会
大國魂神社 宮之咩神社前の案内看板より
この神社は創立建されたのが御本社大國魂神社と同じ景行天皇の御代(111年)であると伝えられ、古くから芸能の神や安産の神として崇拝されている。
源頼朝が、妻の北条政子の安産祈願をしたという言い伝えもあるのだそう。
こじんまりながらも立派なお社。
安産祈願をしたあと、無事出産を終えると、お礼として底の抜けた柄杓を納める風習が今もなお受け継がれている。
柄杓に穴が開いていると、水がスルスルと流れてしまうことから、お産も同じようにスルスルと進みますように、との思いが込められているのだとか。
忠魂碑
参道の先にはこの忠魂碑がある。この碑は、先の大東亜戦争における出征・戦没兵士たちの忠誠心を偲んで建立されたものだそう。
大日本帝國海軍 軍艦 多摩戰歿者慰靈碑
大國魂神社の手水舎
立派な千鳥破風の屋根が印象的な手水舎。
よく見ると屋根も素晴らしいが、何よりも細部まで凝った掘り込みがされている重厚感あふれる彫刻に目が留まる。
彫刻には、「獅子」「龍」「獏」「鳳凰」など様々な生き物が彫られている。
龍がかっこいい!
大國魂神社の随神門(ずいじんもん)
大國魂神社御鎮座1,900年の記念事業として、平成23年に現在の門に改築された。
こちらは反対側(社殿側)から見た随神門。
大きな扉と菊の御紋で迫力満点。
この随神門を抜けると、左側に鼓楼が見える。
慶長年間に建設された三重塔と対面する形で建てられたが、1646年の府中本町の大火で焼失し、約200年後の1854年に再建された。
そしていよいよ最後の門である中雀門が見えて来た。
大國魂神社の中雀門
この中雀門は、明治維新100年の記念事業として昭和44年に現在の門に改築された。
大國魂神社の拝殿
- 現在の拝殿は明治18年に官幣小社に昇格した年に改築された
- 昭和53年に改修
- 内部で拝殿と幣殿に分かれる
- 構造は流造・切妻千鳥破風・銅板葺素木造
- 慶長年間に社殿を造営した際には、拝殿と本殿の間に幣殿が建立されていた
- 大火で焼失し、再建後に拝殿と幣殿が一体となった
- 拝殿正面「総社六所宮」の扁額は、江戸時代中期の書家勝間龍水によるもの
結婚式の写真を撮っている方も居た。
総社六所宮と書かれた扁額。
御朱印受付所
中雀門を入って左手に御朱印受付所がある。
大國魂神社の本殿
三棟が合わさった建物で、とても面白い造りをしている。
宮之咩神社(みやのめじんじゃ)の説明
東京都指定有形文化財(建造物)
大国魂神社本殿
所在地 府中市宮町三一
指 定 昭和三七年三月三一日
律令時代国府にいた国司が国内における大社六社を一所に勧請祭祀したのが始まりで、当時は武蔵総社、六所社と称していました。源頼朝以降、歴代将軍家等武家の尊信が厚かったといいます。
現存する本殿は、正保三年(一六四六)の火事による全焼の後、徳川四代将軍家綱の命によって、寛文七年(一六六七)三月に完成したものです。その後何度か修理を行なっていますが、古式を伝えています。構造は、一間社流造の社殿三棟を横に連結した三間社流造の相殿造です。流造とは前面の屋根が長く伸びて庇(向拝)となったものです。流造自体は神社の建築様式としては最も一般的な形ですが、三棟合わさった構造様式は、遺例が少なく珍しいものです。三棟の社殿は一つ屋根の下にありますが、それぞれ別々の神を祀っています。
平成二二年三月 建設
東京都教育委員会
大國魂神社 本殿横の案内看板より
説明看板を読んでみると、柱が四本ある「三間社流造」と言う構造なのだそう。このような構造は、現存する例が少なく、珍しいのだとか。
それぞれに、別の神が祀られているとのこと。ありがたさも3倍!
おしまい
アクセス
住所
所在地 | 東京都府中市宮町3-1 |
最寄駅 | 「京王線 府中駅」下車 徒歩5分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場あり |
公式サイト | https://www.ookunitamajinja.or.jp/ |