お寺の紹介
- 徳川家康が大坂夏の陣で目の病に罹り、病気平癒
- 平癒祈願にあたったのは、当時目の神様として人気だった身延山久遠寺の「日朝上人」
- その後、無事治ったことから家康公が建立を約束
- 1635年(寛文12年)、下田奉行「今村正長」により創建
- 時の将軍「徳川家光」より正式に領地が与えれ、家康公の祈願成就に奉じた
- 歴代の徳川家将軍から朱印状が下賜されている
- 1854年(嘉永7)「日米和親条約」締結により、下田開港
- のちに締結される「下田条約」にかかる、アメリカとの交渉場所が了仙寺
- 先に締結済みの「日米和親上条約」規定に基づく追加13条の付帯協定のこと
正式名称
法順山 了仙寺
御本尊
十界曼荼羅
御朱印
みどころ
寺院名碑
左:下田了仙寺 右:開国の道場 と刻まれた石碑。
珍しい朱色の文字が目立つ。
「日米下田条約締結地 了仙寺」の看板
了仙寺の境内の中には、「黒船ミュージアム MoBS(The Museum of Black Ship)」があるので、参拝の際はぜひこちらも立ち寄って頂きたい。
「黒船ミュージアム MoBS(The Museum of Black Ship)」
御朱印はこちらで書いていただいた。
了仙寺の説明看板
ペリー一行の応接所としてここ了仙寺が使われ、「日米和親条約付録下関条約」が了仙寺で調印された。また、米人休息所としても使われたとのこと。
まさに目の前に大きな黒船が停泊し、そしてこれまで見たこともない異人達を前に、当時の人々はどのように思い相対したのだろう。あれこれと想像するだけで、歴史のロマンを感じる。
了仙寺調練の図が書かれた「石絵」
ペリーの一行は下田へ上陸後、軍楽隊とともに了仙寺までの道を行進し、了仙寺の境内では軍事パレードや戦闘訓練の様子も披露したとされている。この絵はまさに、その時の様子を描いたものだそう。
ペリーの外交手腕の一端を垣間見るシーンでもある。
了仙寺の本堂
ご本堂内の下田条約に関係する資料
先にあった石版画の複製とのこと。カラーになると、当時の様子がわかりやすい。これは、驚きだっただろうなあ。畏怖の念か、面白い見世物感覚か・・?
お寺の中は無料で拝観できた。
学生時代に学校で学んだことの、答え合わせとなるような時間で面白かった。
昔持っていた社会の資料集を片手に来ると、より一層わかりやすかったかもしれない。
アクセス
住所
所在地 | 静岡県下田市七軒町3-12-12 |
最寄駅 | 「伊豆急行線 下田駅」下車 徒歩10分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場あり(40台) |
公式サイト | https://ryosenji.net/ |
GoogleMap
せっかく下田まで来たので、街中を散策。
下田散策
下田まちなか案内図
どれどれ
「ペリーロード」と「ペリー艦隊来航記念碑」があるので、てくてく歩いて行ってみよう。
ペリーロード
ここが「ペリーロード」か。
昔からの街並みがとても綺麗に残されている。これを「エモい」というのか。
石造りの建物は、当時からあるのかな?
ペリーロードは歩くだけでも十分に楽しい。
この橋の欄干はかなりの古さを感じる。これも当時のものか?
ペリー上陸の碑
マシュー・ペリー
まとめ
ペリー来航の騒動は、誰しも学校の授業で習う、日本歴史においての非常に大きな転換ポイントだと思う。何事も本で読むだけでなく、可能な限りその地に足を運び、残っている資料や建物に実際に触れることで、歴史を自分事に置き換えることが出来る。今回の参拝は、とても学びとなる1日だった。