お寺の紹介
- 東京都内最古の寺
- 628年(飛鳥時代・推古天皇36年)、現在の隅田川で漁師の網に仏像がかかる
- これが浅草寺本尊の聖観音像
- 漁師の主人「土師真中知」が出家し、自宅を寺として供養したことが浅草寺の始まり
- 645年(大化元年)、僧の「勝海」が寺を整備し、本尊を秘仏とする
- 平安時代初期、延暦寺の僧「円仁・慈覚大師」が「お前立ち」の観音像を造る
- 942年(天慶5年)に、七堂伽藍を整備、雷門・仁王門などが建立される
- 山号「金龍山」の由来
- 観音さまが現れた日の夜、千株もの松が生じる
- 3日後には、天から金の鱗を持つ龍が松林に降りてきた
- 1685年(貞享2年)に、寛永寺の支配下に組み込まれる
- 当時の別当「忠運」が、5代将軍綱吉の機嫌を損ねたことが原因と言われる
- 1740年以降、輪王寺別当代が浅草寺を統括し、幕末まで続く
正式名称
金龍山 浅草寺
宗派
聖観音宗 ※浅草寺が総本山
御本尊
聖観音菩薩
御朱印
みどころ
浅草寺総門 風神・雷神が守る、通称「雷門」
TOKYO、JAPANと言ったらこの浅草雷門!!
休日になると、日本人だけでなく多くの外国人もこの超人気スポットを訪れる。
門の両側には「風神・雷神」が睨みを利かせている。
三社祭の時、神輿渡御の際にはこの大きな提灯が畳まれる。
浅草寺雷門の扁額
大きな山門の扁額には、山号である「金龍山」をと書かれている。
浅草寺山門 宝蔵門(仁王門)
雷門を目指して賑やかな仲見世通りを通り抜けると、浅草寺の山門である宝蔵門が目の前に現れる。この宝蔵門には仁王像が安置されており、「仁王門」とも呼ばれている。立派な朱色の門には大きな提灯が掲げられており、THE浅草寺と言える姿。
浅草寺山門 宝蔵門(仁王門)の扁額
こちらの扁額には「浅草寺」と書かれていた。
浅草寺山門の「小舟町」と書かれた提灯
「小舟町」と書かれた大きな提灯が目に入る。この「小舟町」は実は浅草ではなく、日本橋の人形町付近に位置する地名だ。何故、浅草に「小舟町」なのか?
大提灯の由来に関する説明パネルが有ったので、読んでみると・・・
東京の観光名所の一つ、浅草寺、雷門をくぐり、仲見世を抜けると、わが町「小舟町」と書かれた趣のある立派な大提灯が掛けられています。
関東大震災まで、日本橋は江戸の魚河岸であり、界隈は「江戸湊」として大繁盛を誇っていました。
諸国の産物が集まる荷揚場であり、集散地であって、その地続きである小舟町には産物を扱う商人が店を構え、財をなしていました。この商人らが、約340年前、当時の小舟町の繁栄と信徒の心意気を示し、浅草寺に小舟町の町名を大書きした大提灯を奉納したのが始まりで、当時の小舟町の繁栄を今に伝えるものの一つになっています。
現在かけられているものは、平成15年10月5日、江戸開府400年を機に、約15年ぶりに新調奉納されたものです。
「浅草寺小舟町大提灯の由来について」の説明パネルより
江戸時代、浅草寺を中心に繁華街として栄えていた浅草で、町名を書いた提灯を掲げることは、絶大な宣伝効果があったのだろう。なるほど、これは江戸時代の商人たちが考案した、大きな広告塔だったのだ!当時も今と同じように、この辺りは人々で溢れ賑やかな街並みだったのだろう。
浅草寺山門と五重塔
やっぱり寺が好きだなぁ。癒される。
浅草寺 五重塔
この五重塔は、インドのストゥーパを起源としているのだそう。最上層には、スリランカのイスルムニヤ寺院から奉戴した仏舎利が大切に納められている。現在の五重塔は、昭和48年に再建された鉄筋コンクリート製の塔。
浅草寺 授与所
多くの御守やお札があり、お土産としてもたくさん欲しくなってしまう。
ご朱印を頂く場所はこの建物の先、左側にある。
浅草寺本堂
浅草寺の本堂はご本尊の聖観世音菩薩を安置していることから、観音堂とも呼ばれている。
浅草寺本堂の「志ん橋」と書かれた提灯
当時、浅草寺では奉納をすると提灯に好きな文字を書くことができたそう。この風習を利用して、新橋の商人たちも浅草から新たな顧客を獲得するために宣伝効果を狙って提灯を奉納していたのだとか。現在はそのようなことはできないものの、この大きな地名入り提灯が当時の風習を今に伝える形で残っている。
おしまい
アクセス
住所
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
最寄駅 | 「東京メトロ銀座線 浅草駅」下車 徒歩5分 |
駐車場情報 | 専用の駐車場なし |
公式サイト | https://www.senso-ji.jp/ |