目次
お寺の紹介
- 「桓武天皇」の勅命により「坂上田村麻呂」が創建(推定:700年頃)
- 坂上田村麻呂が房総を平定した際、戦没者供養のために建立された真言宗豊山派の寺院
- 佐倉宗吾の伝説
- 当時、度重なる凶作と、佐倉藩の追い打ちをかけるような重税に農民が苦しんでいた
- 見かねた名主の「木内惣五郎」ら6名が藩へ窮状を訴えるも取り合ってもらえず
- 覚悟を決めた「惣五郎」が徳川将軍へ直訴
- ようやく訴えを聞き届けられ、佐倉藩の領民たちは救われた
- 面目をつぶされた藩主「堀田正信」が怒り、惣五郎夫妻を貼り付け、子供4人は死罪に
- これを宗吾霊堂の当時の和尚「澄祐」が刑場跡に埋葬
- 100年後の佐倉藩主「堀田正亮」が惣五郎に対し「宗吾道閑居士」の法号を諡号
- 以降「佐倉宗吾様」と呼ばれ、人々から親しまれるようになった
正式名称
鳴鐘山 医王院 東勝寺 宗吾霊堂 (通称:宗吾霊堂)
御本尊
宗吾尊霊
御朱印
みどころ
宗吾尊霊墓所
境内に入って参道を進み、大山門の手前にあるのが「宗吾尊霊墓所」である。
江戸時代初期、領主の悪政を正すために一人江戸へ赴き、徳川将軍に直訴。結果、農民を救ったとされる「佐倉宗吾(惣五郎)」とその家族の墓。
直訴をしたことで、佐倉藩の家老に咎められ、惣五郎夫妻は磔となり、男子4人も死罪となった場所がこの地であり、お墓が建てられた。現在の境内は昔の処刑場でもあった。
農民のために一人で行動したことで、たくさんの農民を救った宗吾様に感服。
昭和の雰囲気がまだ残る参道
温泉街の雰囲気があり、とても街並みが綺麗
昭和っぽくしてみた
仁王門
山門の下では「蚤の市」が行われていた。
山門をくぐって振り返るとこんな感じ…
総合受付所
山門をくぐるとすぐに受付所があるので、こちらで御朱印を頂ける。
御朱印は300円と書いている。
大本坊
総合受付の先を左に曲がると見えてくるのが大本坊。
およそ300畳の大広間があり、信徒のお食事や休憩、研修道場及び宿泊等をするところ。
御本堂
御本堂前
「天下泰平萬民豊楽」の文字は、佐倉宗吾の想いを感じる。
扁額
額には「宗吾霊」の文字。
御本堂裏
まとめ
「宗吾霊堂」は、有名な義民「佐倉宗吾」が命を懸けて領民を守ったことを、後世まで語り継ぐ大切なお寺だった。当時の人々の想いが今にまで受け継がれているように感じた。
アクセス
住所
所在地 | 千葉県成田市宗吾1丁目 |
最寄駅 | 「京成電鉄 京成本線 宗吾参道駅」下車 徒歩10分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場あり |
公式サイト | http://sougo.frenchkiss.jp/index.htm |