神社の紹介
- 1063年「源頼義」が京都の石清水八幡宮を「鶴岡若宮」として勧請
- 前九年の役で戦勝祈願をした神社
- 1081年「源義家」が修復
- 「鎌倉八幡宮」とも呼ばれ、以降源氏の守り神とされる
- 「源頼朝」は鶴岡八幡宮を篤く崇敬
- 鎌倉幕府開府と同年、「鎌倉八幡宮」を現在の場所へ遷す
- 幕府の重要祭事として「放生会」「流鏑馬」「相撲」「雅楽」などを境内で執り行う
正式名称
鶴岡八幡宮
御祭神
八幡の神(誉田別命=第15代応神天皇)
比売神 (ひめがみ)
神功皇后 (じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母
御朱印
みどころ
大鳥居
参拝日は平日だったが、かなり多くの人で賑わっていた。修学旅行や校外学習らしき生徒たちもいて、懐かしい気持ちがよみがえったりもする。
鶴岡八幡宮の説明看板
11世紀後半に、源氏の守り神として創建された。
のちに源頼朝によって盤石となったことは言うまでもない。
本殿までの参道と境内
学生だけでなく、20代と思しき若い人たちも多く参拝していた。お寺と言うと、あまり若い人たちを見かけないので、人気の観光地であることが伺える。
手水舎
昨今の感染対策ゆえなのか、水は出ていなかった。仕方ない部分ではあるけれど、お清めの水が無いというのは、やはり寂しい。早く普段通りに戻ってほしい。
舞殿
1181年に源頼朝が建立した「若宮の回廊」があった場所。
静御前が義経に向けて舞を行った若宮廻廊跡に、現在の舞殿が建てられている。
過去に来たときは、この場所で結婚式が挙げられていた。
こんな素敵な場所で式を挙げるなんて、一生の思い出になること間違いない。
鶴岡八幡宮の大銀杏(大イチョウ)の場所には新しい息吹が芽生えていた
2010年3月に強風にて倒壊してしまった大銀杏。すでに枯れてしまっていたと思ったが、同じ場所で大銀杏の根から新たな芽が出たとのことで、今ではこんなに大きな姿に!
枯れてしまったと思っていたので、とてもうれしい。この銀杏も、千年後まで生き続けてくることを願う。
在りし日の大銀杏
千年後も、今と同じように参拝客を見守ってほしい。
御朱印所(祈祷受付所)
御朱印は書置きでの対応とのこと。当分はこの形なのかな。早く自分の御朱印帳に書いてもらえる日が来るのを願う。
若宮(下宮)
鶴岡八幡宮の御祭神「応神天皇」の子「仁徳天皇」を始め、「履中天皇」・「仲媛命」・「磐之媛命」の四柱の神様を祀っている。
本宮楼門(上宮)
「八幡宮」の「八」の文字、よく見るとハトが向かい合わせのデザインとなっている。可愛い。
あまり人も居なかった右側からパチリ。
この角度からのアングルはあまり見たことがなかったが、よい眺め。
本宮前
鶴岡八幡宮の神輿(手前の黒い御神輿|本宮三基)
例大祭ではこの御神輿が担がれるので、実際のお祭りを見てみたいと思う。
まとめ
学生のころの校外学習が、最初の参拝だった鶴岡八幡宮。先の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見た後で尋ねると、また一味も二味も違う注目ポイントがいくつもあった。
アクセス
住所
所在地 | 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31 |
最寄駅 | 「JR横須賀線 鎌倉駅」下車 徒歩10分 「江ノ電 鎌倉駅」下車 徒歩10分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場なし |
公式サイト | https://www.hachimangu.or.jp/ |
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鎌倉をぶらぶら
上海焼き小籠包「華星」
横浜中華街に行くと、必ずと言っていいほど食べる「焼き小籠包」。
ここ小町通りにも「焼き小籠包」を売っているお店があったので、たまらず食した。
この汁が地球上で一番熱い!!!!!!!
絶対にひと口で食べてはならない食べもの。
うまいんだな~これが。
北条時房(トキューサ)邸跡
若宮大路を歩いているとこんな看板を見つけた。
「鎌倉殿の13人」を見ていなければ絶対に気づくことは無かった。
「若宮大路」の商店街を歩いていると突然この看板が出てくる。入口もわかりにくいので看板が頼り。
ちょうど工事を行っていたので、そこかしこに養生が。
奥は行き止まりとなっているが、案内板があるので行ってみた。
詳しい区割りが書いてあるのを発見。こんな区割りだったのだ。「和田義盛」に「北條泰時」の名前も!こんな位置関係に住んでいたんだなあ。