ここ小伝馬町の一帯は、以前は牢屋敷として使用されていた。1875年に刑場が移転された後も、人々が住むような場所ではなく、荒れ果てていたと伝えられている。そのため、亡くなった方々の慰霊を祈るために、ここに大安楽寺が建立されたのだそう。 参拝日:2023年6月4日
お寺の紹介
- 「大安楽寺」付近一帯は、かつて「伝馬町牢屋敷」が設置されていた
- 1872年(明治5年)、五大山不動院の住職が牢屋敷周辺で火の玉を目撃
- 刑場で命を落とした人たちを慰霊するために寺を建立すべく勧請を行った
- 1875年(明治8年)に、牢屋敷は市ヶ谷へ移設される
- 1875年(明治8年)、「大倉喜八郎」と「安田善次郎」らが土地を寄進し「大安楽寺」建立
- 「大倉喜八郎」と「安田善次郎」の名から「大安楽寺」となった
- 1883年(明治16年)には高野山から弘法大師の像を遷座
- 1923年(大正12年)の関東大震災で堂宇が焼失
- 1929年(昭和4年)に現在の形で再建された
正式名称
新高野山 大安楽寺
宗派
高野山真言宗
御本尊
弘法大師
十一面観世音菩薩
ご真言
おん・ろけい・じんばら・きりく・そわか
おん・まか・きゃろにきゃ・そわか
大安楽寺の御朱印
参拝した日は、お寺の方が不在のようで、書置きの御朱印を束ねたファイルが置かれていた。
御朱印分も含めお賽銭を入れさせて頂きました。
みどころ
大安楽寺の寺号標柱
大安楽寺の名前は、大倉喜八郎(鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場の建設に携わった実業家)と安田善次郎(安田財閥の創設者)からそれぞれ一文字を取って名付けられたのだそう。財閥の有力者がこのお寺の建立に関わっていたとは驚きだ。
大安楽寺の門と外観
本堂は鉄筋コンクリート製で、美しい屋根と大きな提灯が印象的だった。
御朱印は、写真右手の古い建物「庫裡」で頂ける。
大安楽寺縁起
ふむふむ。ふむふむふむ。
要するに、明治の初め、処刑場跡の霊魂を鎮めるために、高野山より弘法大師の御霊を分けて、新たにここ小伝馬町にお寺を創建した、とある。
大安楽寺 江戸伝馬町処刑場跡
大安楽寺を囲う塀の一部に「江戸伝馬町処刑場跡」と書かれた碑が塀に割り込む形で建っている。
まさにこの場所が処刑場の跡地だ。この石碑の前は道路になっているが、おそらくこの一帯がかつて刑場だったのだろう。
大安楽寺本堂
御本尊である「弘法大師」と書かれた大きな提灯が下がっていた。
御本尊である弘法大師様が祀られている。
こちらは賽銭箱の前にあった石。
土佐、伊豫(伊予)、讃岐、阿波と書いているので、「四国八十八か所霊場」を指している。
この石の下には、ご住職や副住職が訪れたインド、ネパール、中国、敦煌などの仏教の霊場から集めた砂が埋められているのだそう。まさにパワースポットと言える場所だ。
大安楽寺 境内
この地で処刑された数多くの人々を供養するため、延命地蔵尊が祀られている。
境内にはさまざまな仏像が祀られている。これも牢屋敷で亡くなった方々の霊を鎮めるために建立されたのだろう。
大安楽寺 延命地蔵
大安楽寺 江戸八臂辨財天(えどはっぴべんざいてん)
とても精巧な造りである。
屋根の上に、何やら見たことのある家紋のような文様を発見。よく見ると、中に北条家の家紋「三つ鱗」が彫りこまれている。調べてみると、この弁財天は江の島から譲られたとのことで、北条政子によって造られたのだそう。ここにも、頼朝と北条氏の足跡を見ることが出来るとは面白い。
大安楽寺 弁財天使神 白蛇
弁財天のそばには、岩に刻まれた白蛇の姿が。
大安楽寺 江戸傳馬町牢御椓場跡の石碑
延命地蔵の前には「江戸傳馬町牢御椓場跡」と書かれた石碑がある。
おしまい
アクセス
住所
所在地 | 東京都中央区日本橋小伝馬町3−5 |
最寄駅 | 「東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅」下車 徒歩1分 |
駐車場情報 | 専用の駐車場なし |
公式サイト | 無し |