目次
神社の紹介
- 808年(大同3年)、静岡「富士山本宮浅間大社」の分霊を祀ったことが始まり
- 富士山本宮浅間大社の分社
- 1180年(治承4年)に源頼朝が武運長久を祈願
- 1187年(文治3年)、社殿を再建
- 富士山に倣い、山と三方の参道を整備
- 東京湾を挟み、富士山を正面に臨むように建立
- 「千葉常胤」以来、代々千葉氏の信仰が篤かった
- ちば遺産100選に選定

正式名称
稲毛浅間神社
御祭神
主祭神|木花咲耶姫命
配祀神|瓊々杵尊・猿田彦命
御朱印
みどころ
稲毛浅間神社の鳥居

手前が一の鳥居、奥が二の鳥居。
一の鳥居と二の鳥居の間にある道路は国道で、ここがかつての海岸線で、遠浅の海が広がっていたのだそう。かつては海の目の前に建てられていたのだ。
また、一の鳥居は海中に立つ鳥居で、人々は写真写っている岩の祠まで海に浮かべた船の橋を渡りお参りに来ていたそうな。海岸線が埋め立てられた今、この岩だけが当時をしのべる遺構だ。

「稲毛浅間神社」と書かれた大きな看板もあるので、見落とすことは無いだろう。
ただし、駐車場がわかりにくいため、行く前に一度調べたほうが良さそう。駐車場は複数あり、価格も異なるため、事前の情報収集がおすすめ。

春の晴天に恵まれ、心地よい参拝となった。
本殿までの参道

道の脇にある松林と燈籠がより一層、雰囲気を醸し出している。
僅かに上り坂であるため、ここは河岸段丘であることが分かる。(ブラタモリ風)

小高い丘のような高台に稲毛浅間神社の神門が見えて来た。
稲毛浅間神社の神門

2015年の社殿再建50周年記念行事として、この神門を建立したとのこと。

手水舎

今まで数多く神社仏閣に行ったが、ここの手水舎はトリッキーな造りであった。

コンクリと屋根に覆われている。

手水舎に刻まれた神紋は九曜紋であり、千葉氏の家紋である。
稲毛浅間神社
先ほどの手水舎の階段を登ると見えてくるのが、稲毛浅間神社の本殿。

稲毛浅間神社の向かいには、富士宮にある「富士山本宮浅間大社」があるそうだ。
そうか、あっちが富士宮か。

本殿内では何か祭事を行っているようで、中に人がいた。
稲毛浅間神社の扁額

「浅間神社」と書かれた神額。
稲毛浅間神社の神楽


千葉県指定の無形民俗文化財に登録されている「浅間神社の神楽」。
おしまい

浅間神社の近くに、清朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」の弟「愛新覚羅溥傑」の新婚当初の邸宅があり、そちらへも足を延ばした。
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アクセス
住所
所在地 | 千葉県千葉市稲毛区稲毛1丁目15−10 |
最寄駅 | 「京成千葉線 京成稲毛駅」下車 徒歩5分 |
駐車場情報 | 専用の有料駐車場なし |
公式サイト | http://www.inage-sengenjinja.or.jp/ |
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