鎌倉の大仏の御朱印|鎌倉と言ったら鎌倉の大仏!!(神奈川県鎌倉市)

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鎌倉の大仏といえばこの高徳院。座っているのは国宝の「銅造阿弥陀如来坐像」。大仏は、奈良東大寺の大仏に大きさが及ばぬものの、造られた当時の像容を保っており、芸術的に重要な価値がある。大仏に関連した歴史資料館も併設されている。胎内巡りも並ばずに中へ入ることができた。

参拝日:2020年3月7日

目次

お寺の紹介

  • 開山、開基、大仏造像の経緯など、史料が乏しく不明
    • 鎌倉「光明寺」奥の院を移設したとの説もあるが定かではない
  • 1711~1716年の間に増上寺「祐天上人」によって再興され「高徳院」と称するようになる
  • 江戸時代には「東大寺大仏」「方広寺大仏」と並び「日本三大仏」と称される
  • 完成直後の大仏像には金箔が施されていた

正式名称

 大異山だいいざん 高徳院こうとくいん 清浄泉寺しょうじょうせんじ

御本尊

 阿弥陀如来あみだにょらい

御朱印

みどころ

鎌倉の大仏の胎内参拝

鎌倉の大仏の内部 胎内参拝 

横から見ると、かなり猫背な大仏様。実は、参拝者と目を合わせるためにかかんでくださっているのだそう。確かに正面から見ると、こちらを見てくれているように感じる。

鎌倉の大仏の胎内

鎌倉の大仏の内部 胎内参拝 

中は空洞になっていて、大仏の内側を見ることが出来る。細部まで目を凝らすと継ぎ目などが有り結構面白い。
小学校の校外学習で訪れた際、中へ入りたかったが、有料(当時20円?)だったので、断念。
入ったクラスメイトが、「大仏の中すごい!!絶対に見た方がいいよ!」と意地悪を言っていたことを思い出した。彼にしてみれば、何もなかった悔しさからの発言だろう。今思い出すとほほえましい。

明治時代の鎌倉の大仏

明治時代の鎌倉の大仏

写真を見る限り、基本的な部分は今と変わり無いように見える。ただ大仏様の右足付近の台座に人が立っていることがわかる。当時は台座に上ることができたようだ。もちろん現在では、台座に上ることはできない。
明治の頃から、大仏様が当時とほとんど変わらない姿を見せてくれていることに驚きとともにとてもうれしく思う。

鎌倉の大仏は元々金色だった!?

鎌倉の大仏の顔 金箔

顔をアップで見ると、頬に金色の跡が見える。当時の大仏は金色にすることが多く、この鎌倉大仏も当時は金色に輝いていたことが推測される。さぞかし美しく輝いていたことだろうなあ。

まとめ

千葉県に住んでいることもあり、鎌倉の大仏は何度か足を運んだことがある。関東大震災などの災害に遭いながらも、おそらく当時とほとんど変わらない姿を見せてくれていることに驚く。時を経ても変わらない姿は、神々しさを感じるものだ。
奈良の東大寺大仏をお手本として作られたとのことなので、なんとなくありがたさも倍増する。

アクセス

住所

所在地神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
最寄駅JR横須賀線鎌倉駅下車。江ノ島電鉄長谷駅下車。徒歩約7分。
駐車場情報近隣にいくつかあるが、止められる台数が少ない。
華正樓の利用又は商品購入で、駐車場を利用できるのでお勧め。(要問合せ)
「華正樓」公式サイトhttp://www.kai-zenkoji.or.jp/index.html
公式サイトhttps://www.kotoku-in.jp/

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